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    占者の街    
       
第三章 占者の街……嘘吐きどもの場合(7)

   

「旅の方なんですね。よかった。もしあのまま放っておいて、ミムサ・ノスの娘は礼儀を知らない、なんて言われたらイヤですもん」

 礼儀にもいろいろあって、在る意味これもかなり礼儀と言う常識からは外れてるんじゃないかな…。と、こみ上げて来た苦笑いを香りのいい紅茶と一緒に無理やり飲み込み、ルイードは黙って傍らのチェスを窺った。

 チェスはなんだかやり難そうな引きつった笑みで、何か答えるべきかどうか迷っているらしかった。元々口のいい方ではないから言葉を選んでいるのか、口を挟むタイミングが掴めないのか、定かではないのだが。

「わたし、いっつも言われるんですよ。離れて暮らしている母とか、あ、今ここで同居してるのは姉なんですけど、その姉とかにも、もっと落ち着きなさいとか、周りに注意を払いなさいとか、人の話を聞きなさいとか。別に聞いてない訳じゃないのに、どうしてだか姉が毎日のようにそう言うんで、毎日けんかに、っていっても、ちょっとした言い争い程度なんですけど、結局けんかになっちゃって、でもやっぱり姉妹なんで、いつの間にかけろっと忘れてしまうんですよね」

 チェスが唖然とするくらい、いつ息継ぎしているのかと思うような早口でまくし立てる娘。これで普段の悪党面でいいなら「ちょっとあんた黙ってあたしの話も聞きなさいよ」と言ってやるのだろうが、さすがに「旅行者です」と答えてしまった手前、そうも行かない。

 娘は、自分が通りの喫茶店でウエイトレスをしていると話した。エイミ・リーという名前で、姉はシルヴィアだそうだ。ブルネットの癖っ毛を肩まで伸ばした、ごくごく平凡な顔立ちの町娘。ミムサ・ノスに来てからもう二年になり、そこそこ生活が落ち着いたから恋人でも作ろうかと思っているが、なかなか世の中そう上手くはいかないものだ、とそばかすの浮いた愛嬌のある顔で笑った。

 さすがに話しづめで喉が乾いたのか、エイミは一度言葉を区切って、すっかり冷めた紅茶を豪快に飲み下した。カップの裏が見えるまで傾けられた茶器に思わず吹き出しそうになりながらも、ルイードがさりげなく室内を見回す。

 先に言うならば、エイミは窃盗の被害届を出してきた被害者ではない。しかし、二階の東から二軒目に位置するこの部屋に連れ込まれるまでの短い距離で確認したところ、どの部屋も、左右が逆なくらいで構造に大差はないように見えたのだ。彼女の話によると、表の玄関は一階の大家が営んでいる雑貨屋を通り抜けなければならないので、住人は大抵あの裏口を出入りに使っているらしい。狭いが大家に気を使う必要がないので、その方がいいという事だった。

(だったらますます逃走向きじゃないなぁ、あの裏通り)

 出来れば他にあるという寝室とキッチンも見たいくらいだったが、それは諦めるしかないだろう。バスターとしてなら平然と踏み込めるが、さすがに旅人の肩書きではそういった暴挙に出る訳にも行かない。

 窓は南、北側は廊下だけ。建物は薄っぺらく、五部屋一列に並んでいて、一階が大家の店舗兼住居、店子は五組。

 頭の中で情報を処理するルイードの、色の薄い瞳。それを窺って、もう少々時間を稼ぐべきだと判断したのか、チェスはエイミが勝手に喋りまくる隙を突いて特等の笑顔を彼女に向けた。

 一瞬、同姓のエイミでさえ息を飲むような、華々しい笑顔。

「さっきから気になっていたのですけれど、エイミさん?」

 チェスが穏やかな声で問い掛ける。内心は、げっそり肩を落としつつ…。

「あなたがお持ちになっていた、あの花籠、何が入ってますの?」

 通りに出て来た時彼女が大事そうに抱えていて、その位置のおかげで腹部に強打を食らった憎い花篭を白い指で示し、チェスはあくまで淑やかに小首を傾げた。

(………。得したなぁ)

 エイミ同様思わずぽかんとそのチェスの笑顔に見とれていたルイードが、緩みそうになる頬を必死で抑えながら感嘆の溜め息を心の中で漏らす。こうなると、常日頃この美女相手にやたらべたついているシュアラスタが憎くてたまらなくなる。

(今度、子守唄でも歌っちゃいましょう。耳元で、たっぷり)

 いひひ、と薄気味悪い含み笑いを噛み殺したルイードに視線だけを向けて、チェスが微かに眉を寄せる。

「なんでもありません、おねーさま」

「そう」

 囁き合って、どこかしら剣呑な微笑を交わし、二人は同時にエイミに顔を向けなおした。

「で?」

 実は、その花篭についてはルイードも訊いてみようと思っていたのだ。荒い目の真新しい籠で、果物のいい香りが漂って来る。上にはこれまた新品の真っ白い木綿のハンカチが被せられているのだが、そのハンカチの四隅に、何やら不思議な模様が刺繍されているのだ。

 くねった蛇が、丸を描く線が幾重にも重なった模様を取り巻いている……、紋章のようなもの。

「あ! これはですね、返礼のお品なんですよ、エコーさん」

 テーブルの片隅に押し遣っていた籠を引き寄せながら嬉々として話し始めるエイミ。ちなみにエコーというのは、旅の途中の姉弟です、と適当に自己紹介したチェスが咄嗟に言った苗字で、当然、出所はバスターズのマスターである。

「返礼、ですか?」

「えぇ。お二人とも、もう占者館には行かれましたか?」

「いえ…。それはまだなのですが…」

 占い師じゃなくて! と言いそうになったチェスを押さえて、エイミが籠のハンカチを取り払った。

「そっか。旅の方には関係ないんですけどね、この町の住人は、何かあるごとに占い師の方にいろいろと助言をいただくんです。それで例えば良い結果が出たとか、満足したとか、時には不幸をやり過ごしたとか言う時に、返礼と言う形で果物と小麦とか、とうもろこしとか、とにかく、日常的に皆様のお口に入るものを差し上げる事になってるんですよ」

「……礼金、ではないんですか?」

 籠の中から出て来た果物と麻袋に視線を据えたまま訊いてしまって、ルイードはしまったと内心舌打ちした。なんでも金貨で解決する薄汚い悪党ぶり、を発揮してしまったような気がして恐る恐るチェスの横顔を見上げるのと同時、いきなり爪先を踏みつけられ、悲鳴を飲み込む。

 しかし、エイミは気にした風もないのだが。

「そんな、お金なんてそんなに払えませんよ、ルイくん。本当にこの町の人たちはフィルマ様に…、まぁ、それはわたしなんですけど、絶大な信頼を寄せてて、困った事があったら助言をいただきに行くんですよ? ここだけの話、旅の方の占いには金貨一枚が最低のお礼金になってるんですが、フィルマ様は、この町の住人からは銀貨一枚しか受け取らないんです」

 金貨一枚は銀貨一枚の十倍。とだけ聞くと随分ぼっているような気がするが、通りすがりの旅人と違ってそれこそ継続的に足を運んでくれる地元住民なのだ、最終的には、数回訪れる遠方の客よりも、落としてくれる貨幣が多いのに変わりはない。

「ですから、占っていただく前には銀貨一枚のお礼金、占っていただいた後には、時々こうして返礼の果物なんかを差し上げる事にしてるんです」

 にこにこしながら嬉しそうに話すエイミがどうも気味悪かったが、チェスとルイードはもっともらしく頷いて見せた。適当に話を合わせる、というより、何も知らない、だからなんにでも興味を示す旅人、である顔を貫き通そうというのだろう。

「わたしは姉のおかげでフィルマ様一筋なんですが、もちろんみんながみんなフィルマ様、って訳でもないです。最近隠れた人気なのがリルイ・ロンギン様らしいですし…、あ、これって、地元民の教える隠れた穴場情報みたい!」

 あはは、と一人陽気に笑い出したエイミに付き合ってかなり疲れた笑みを零そうとしたチェスの視線が、籠の中の一点に吸い付く。

「? お姉様のおかげで、フィルマ様? って、どういう事なんですか?」

 そのチェスを訝りながらも、ルイードは話を進めた。

「あぁ、まだ言ってませんでしたっけ? シルヴィアはフィルマ様付のメイドなんですよ」

「そういう人って、占い師の修行してるとか…」

「あはははは、まさかー。シルヴィアにそんな才能ないですよぉ。フィルマ様に限らず、占い師の方々は大抵の使用人を町から雇ってくれてるんです。お弟子の方はやっぱり別なんですけど、自警団とか、召し使いとか、下男とか、結構な人数があの占者館でお仕事貰ってるのとか、必要な日用品なんかの殆どを町から買い上げてくれるのも、みんなフィルマ様の指示らしいんですけどね」

(……。なるほど、それでこの町はあのお屋敷に頭が上がらないのか。外貨扱いの旅人が落としていくお金は、結果的に随分な割合で町に落とされる事になるよね、今の話通りなら。農地は少ないし、観光でやっていくにも目玉がない。とくれば、占い師協会に依属して顔色を窺いながらでも、確実に外からの収入があるほうが町としてはいいんだろうし)

 それにしても、どこかで聞いたシステムだな。とルイードは苦笑いした。多少の違いはあれど、その貨幣流通の模式はバスターの制度によく似ている。

 バスターは、どこかの町で稼いだ金貨を、チケットと呼ばれるバスターズでしか換金できない紙幣に換えて持ち歩く。そして、事ある毎に散財し、通りすがりの町や村に大金を落としていくのだ。金貨十枚持って囲いの外を歩いたら命ごと取られる、というのが常識のこの大陸で、彼らこそが一等安全に金貨の一極集中を避け、貨幣を流通させている事になる。……、とまぁ、そんな内情を知ろうとする一般市民は皆無なのだけれど。

「フィルマ様が協会の代表になられてからもう三年だったかな。それまでの利己主義的なシステムをやめて今のようにしてから一年足らずで成果が現れたって聞きましたよ。それで、町も随分豊かになったらしいし」

(いいんじゃないの…。別に僕には関係ないし)

「そうですかー。じゃぁ、町のみなさんがフィルマ様に感謝してるんですね」

 完全な作り笑顔で気のない相槌を打ち、ルイードはカップの底に残った紅茶を飲み干した。これでシルヴィアでも帰って来てくれればまだ尋ねたい事もあったが、占者館を調べるのはルイードとチェスの仕事ではなかったから、彼はそろそろ本来の目的に戻ろうと、さっきから押し黙ったきりのチェスに視線を転じた。

「? おねーさま?」

「…エイミさん」

 ルイードの問い掛ける視線と言葉を無視して、チェスが沈んだ声でエイミを呼ぶ。

「なにか?」

「これ、風船花の実ですよね?」

 チェスは、不思議顔のエイミとルイードを抑えて、籠の中から一個の真っ赤な実を取り出し、テーブルの上に置いた。

「あぁ、そういう名前なんですか? それ。この町では、木の器として以前から売ってたそうですよ」

「「どこで」」

 風船花、と聞いて何か思い当たったのか、ルイードもチェスと同時に言いながら、テーブルに身を乗り出した。

「え? えぇぇ? あの…」

 ふたりの声の調子と顔つきまで少々変わったのに驚いたのか、エイミは椅子の背凭れに貼り付いてきょときょと似てない姉弟の顔を見比べた。それにはっと我に返り、ルイードと顔を見合わせて朗らかに視線を交わしてから、チェスがあくまでもたおやかな笑みをエイミに向け空になったカップをずずっと差し出す。

「お茶を、もう一杯いただけませんか? エイミさん」

 その笑顔はさっきの「極上」よりも輝くように美しく、しかしその理由がグランブルーの瞳に宿った悪党らしい薄暗い光のせいなのだと気付いて、ルイードは、ますますシュアラスタが憎らしくなった。

  

   
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