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    占者の街    
       
第三章 占者の街……嘘吐きどもの場合(8)

   

 別に重要な情報じゃなかったっていえば、そうなんだけど。とエイミの家を出て次の目的地に向うまでの間に、チェスは苦笑いを含む声で呟いた。

「それは、僕にも判りますよ。ただ……、見逃すにはおかしなモノだったでしょ? アレ」

「用途も含めてね」

 傾き始めた太陽に晒されて、チェスの髪は燃え盛る陽炎を纏っているかのように赤く見えた。陰影のはっきりした面を向けた彼女が今はもうバスターの顔つきで見つめる先に自分も目を転じて、ルイードは独白するように呟く。

「風船花とは、あまり嬉しくも懐かしくもないものを見ちゃいましたね。ただ、ここに出回っているのは硬い殻だけで、中身…被子の内側についてるあの「ワタ」は街に運び込まれる前に捨てられてるようですけど」

 チェスとルイードが見つめているのは、件の占者館、の周りをぐるりと取り囲む、みやげ物などを売る露天のひとつだった。店先に並んでいるのは、占者館で営業している占い師の意匠を飾った様々な小物たちや、献納するための小さなブーケ、生花、ミムサ・ノス特産の高原ぶどうの果実酒などという、旅行者相手のありきたりの品物ばかり。しかし、佇む二人の話題に上っているのは、その天幕張りの小さな店の、更に片隅、こちらはどう見ても近所の住民向け、と思われる奇怪な雑貨の山だった。

「本当は、なんて名前なの? ……あれ」

 言いながらチェスが、ルイードの言う…嬉しくも懐かしくもないもの…を指差す。真っ赤で艶々した、林檎と大差ない大きさの、堅い実。硬質化した被子の表面はいんちき臭いほどテラついていて、形は、林檎というより柿に似ているのかもしれない、やや偏平な感じだった。ご丁寧に少し残した蔓をリボン結びにされて、木の器だというくらいなのだから、取っ手にしている。上から三分の一程に薄っすら見えるのは、身と蓋の境目だろう。

「風船花の実、というのは俗称です。本来は、「サバナサ」という砂地に生える低木の実なんですよ、アレって」

「ふうん」

 尋ねてみたものの関心そのものは余りないのか、彼女は素っ気無くそう返しただけで、それ以上何も言はしなかった。だから、暗い気持ちになりそうなところなんとか踏み止まろうと、ルイードが勝手に、必要以上の陽気さでぺらぺらと喋る。

「でぇ、なんで風船花と呼ばれているかというとですねぇ、あの「ワタ」から特殊な方法で抽出された透明な液体を気化させて吸引すると、まるで自分が風船になったようなですねぇ…」

「精神高揚作用があるんだっけ?」

「らしいです」

 二人は顔を見合わせた。

「経験ないから理解出来ないけどね」

「どうでしょ。この際なので、思い切ってバスター・ジェイフォードに軽く吸わせてみる、ってのは」

 真顔で提言したルイードの額を掌でひっぱたき、チェスはさもイヤそうな顔で「やめてよ…、頼むから」と溜め息混じりに吐き捨て露天から視線を剥がし踵を返す。気にはなるがこれが仕事に関係あるのかどうかも判らない、では、いつまでも時間を割いていられない。万一これが別な事件なりなんなりと関係があったとしても、依頼でもなければ首を突っ込むような事でもないし、その気もない。

(……………大体、薬物絡みの依頼はゴメンなのよ、こっちは)

 忌々しげに嘆息し、チェスは派手な金色の髪を盛大に掻き上げた。

 次の目的地に向って足早に通りを歩きながら、彼女はグランブルーの瞳に微かな燐光を煌かせて、口の中でだけ悪態を呟く。その声はなぜか、自分でも可笑しくなるほど震えていた。

「…冗談じゃないわ、もう! ただでさえ、銃持ってないうちの相棒は扱い難いってのに!」

 腹立ち紛れに傍らのルイードを睨んだチェスが、ふと凶悪な笑みを口元に浮かべた。

「退屈凌ぎに吸わしてもいいけど、そん時は、あんた責任もって引き取ってよね」

「えぇぇぇー! そんなぁ」

 ふん、と言い捨てられ、ルイードは半泣きでチェスを追いかけながら、やれやれ、と内心苦笑いした。

「そんなに、素手で組み伏せられたのが気に食わないのかな?」

 呟いて、あ! と短く叫び、怪訝そうな顔で振り返ったチェスの瞳をじっと見上げる少年……。

「意識はあるけど自覚がない、っていうのがイヤなんでしょ! いやー、確かにアレでさっぱり記憶にない、とか言われたら、バ…じゃなくて、ミス・ヘルガスターでも腹立ちますよねぇ」

 うんうん、とやたら納得したように頷きつつ、ルイードは唖然とするチェスの傍らを通り抜けて彼女を追い越した。その足元を冷やりとした気配が舐め、背中に、刺のごとき視線がざくざくと突き刺さる。

(……………………もしかして、そんなに気にしてたのか。なんでだか知らないけど)

 その時点でルイードは全身に冷や汗を掻きながら、どうやってチェスの凶行から逃げ出そうか、そればかり考えていた…。

 例えば限りなく口が悪くとも、普段は太刀打ちできないほど強くとも、チェスというのは一個の「女性」な訳で、だとすれば、それまでがどうでそれからがどうなのか、という問題を差し引いても、全く…、超泥酔状態で完全に記憶も自覚もない男(しかもイヤになるほど二枚目だ…)に、全身キスマークだらけにされれば気にも病むだろう。おまけに、キスマークだけなら外野も気を使って見て見ぬふりも出来るだろうが、その時のチェスといったら、あちこち痣だらけで、どう贔屓(ひいき)目に見ても全力で殴り合ったか格闘したか、という風体だったのだ。

 でも、キスマーク…。

 一体、何があったのか。

 未だに、恐ろしくて誰も訊けないでいるのだが…。

「だから、冗談じゃないって言ってんのよ。善行とジャンキーの世話はあたしの仕事じゃないの!」

 脱兎のごとく逃げ出したルイードの背中に忌々しく吐き付け、しかしチェスは、どこかで小さな溜め息を漏らしていた。

  

   
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