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    占者の街    
       
第四幕 夜も昼もなく、悪党の場合(2)

   

 促される前に口を開いたのは、ルイードだった。チェスと町を歩き回って調べた事を漏らさず報告し、最後に、それまで無言だったチェスに視線を向けて、小首を傾げる。

「結局、どの家も同じように表通りから見える位置にあったし、盗みを働いた「誰か」が誰にも見咎められず逃げおおせるような特別な構造してた訳でもないわ。ごくありきたりな、普通の町。とりたてて危険もない、そんな場所よ」

 訴えを出した家の周囲を調査し退路を割り出そうとしていたチェスとルイードの報告は、シュアラスタの予想通り素っ気無く、発見も驚きもなかった。

「だからと言って、誰にも見つからないで逃げ出すのが完全に無理、とは思いませんけどね。やって出来ない事ないでしょう? ねぇ、バスター・ヘルガスター?」

 一応、なのだろうか、否定できない可能性としてルイードがまるで無関心に付け足し、チェスに意見を求める。その言葉を追いかけてチェスに視線を向けたシュアラスタに短く笑いを吐きつけて、彼女は「そうね」と溜め息みたいに言った。

「やって出来ない事はないでしょうよ。それが十七件も持続できるかどうかなんてあたしは知らないし、やってみたいとも思わないけど。でも、そんな綿密な計画を練って小金稼ぐくらいなら、もっと効率的な方法考えた方がマシなんじゃないの」

 チェスのぶっきらぼうな物言いに、シュアラスタもヌッフも、問い掛けたルイードでさえ、同意するように小さく笑った。

「愉快犯てのはどうだ? にーさん。目的は金目の物でなくてよ、本当にそんな、誰にも見つからねぇで逃げおおせる、って方だとしたら?」

 モヒカン頭をがしがし掻きながら、ヌッフが適当な思いつきを口に上らせる。

「その可能性は低いだろうな。もしもこれが単純に愉快犯の仕業だったとしたら、犯行自体はもっと派手に露見するだろ」

 当然、シュアラスタ自身もその可能性を最初(はな)から考えていなかった訳ではない。ただ、自身の足で歩き回り、あまりにも不明瞭な窃盗事件であると知れば知るほど、そういった、いい気になって保安官(この場合、悪党の介入は考えない)に挑戦しているような傾向の事柄には見えなかったのだ。

「そりゃそうだな」

 自分で言っておきながら、ヌッフはあっさりとその意見を引っ込めた。というより、疑わしいを疑う、しかも、徹底的に。という悪党の性質上、とりあえず思いついたので言ってみた、程度だったのか。

「それで、あんたの方はどうだったのよ、ヌッフ」

 結局大した収穫も無かったのだろうチェスが、普段程度に機嫌悪くヌッフをじろりと見上げる。シュアラスタに同じくこちらも相当な美形だったから、そういう表情とやや薄暗い翳りを閉じ込めたグランブルーの瞳で睨まれたら、普通の人間ならば竦みあがってしまいそうになるだろう。

「周囲の町や村にもよ、普通の悪人が起こした普通の事件しかなかったぜ。押し込み、殺人、銀行強盗に、営利誘拐。ミムサ・ノスからちっとばかり外れた町の街道じゃ最近野盗が大流行らしいが、そいつらの手口も別に珍しいモンじゃねぇな。普通に賑々しく登場して、普通に旅人脅して、普通に金目のモン根こそぎかっぱらって、抵抗されれば普通に殺す。そっちゃ討伐の悪党連中が出張ったって話だから、三日もしねぇうちに普通に吊るされて手配抹消だろうよ」

 ごつい肩を竦めて窮屈な椅子に収まったヌッフが、さもやる気なく誰にともなく言う。

「ここで起こってるみてえな得体の知れねぇ窃盗騒ぎなんぞ、微塵もございませんて」

 言い置いて、ヌッフの灰色の瞳が無言のシュアラスタを盗み見る。

「妥当だな」

 それに気付いたのだろうか、シュアラスタは紙巻の乗った唇を殆ど動かさずに呟いた。が、それきり何か言うでもなく、何か誰かに尋ねるでもなく、誰かがシュアラスタに何かを訊くでもなしに、沈黙。

 ただ、あの灰色かがった緑の瞳が、爛々とした光を湛えて中空の一点を睨んでいるだけ。

「みなさん、何かお飲みになりますか?」

 一旦全員が口を閉ざしたからだろう、いいタイミングでマスター・エコーが四人に歩み寄って来て、チェスの椅子の背凭れに手をつき、それぞれの顔を覗き込むようにしながら笑顔を見せる。それに適当な飲み物を頼み、チェスが「シュアラスタにはワイン樽でやって」と笑いながら付け足すと、マスターは殊更酷薄な笑みを満面に、分厚い紙の束をシュアラスタの前に、どん、と置いた。

「バスター・ジェイフォードには、特注のこちらを」

 で、意外と流麗なウインク。

「……いくらなんでも、これは飲めねぇぜ、ダンナ…」

 うんざりと睨んでくるシュアラスタに朗らかな笑みだけを残し、マスターはさっさと背を向けまたカウンターに戻って行ってしまう。

「なんですかぁ、それ」

 無邪気な質問に苛立った紫煙を吐きつけ、むせるルイードの前に書類の束を押し遣ってから頭の後ろで手を組んだシュアラスタが、椅子にふんぞり返って言い放つ。

「被害届の原書。借り物だから汚すなよ」

「はぁ。あらら…、被害品目の欄、ハテナマークが」

 多過ぎですよ、これじゃぁ。と、何か面白い本でも読んでいるような、笑いを含んだ声で言うルイードの手元を除き込み、ヌッフも苦笑いする。

「書類自体、なんやら要領得てねぇな」

「なんて言うんでしょうね。なんとなく、被害届を出した、って安心するために、なんとかかんとか書いた感じしません?」

「こう訳の判らない事件? …なのかも判らないんだもの、その程度で保安官がとりあえずの対面を保てるなら、いいんじゃないの?」

「そうかもな。…それにしたって、さっきの話じゃねぇが本当に小金ばっかりだなぁ、おい」

 悪党どもの金銭感覚が非常識だとしても、ヌッフの呆れたセリフはもっともだった。それを証拠に、それまで黙りこくっていたシュアラスタがいきなり腕を下ろし、椅子を引き寄せてテーブルににじり寄ったかと思うと、ルイードのぺらぺらめくっていた書類を取り上げて、ご丁寧に一枚ずつ広げ始めたではないか。

 そろそろエンジンがかかって来た。と他の連中は内心思う。

 シュアラスタ・ジェイフォードという男は、相棒のチェスでさえ理解できないような行動を平気で取る。何かを一心不乱に喋り続けていたかと思うと、三日も四日も口を開かない。一瞬前まで上機嫌だったかと思うと、急に不機嫌になる。やたら自信ありげにしながら、時折、ふと弱音を吐く。

 気紛れでワガママな男。手がつけられない。信頼には値しないかもしれないが、信用する価値はある。そして何より、プライドだけはバカみたいに高い。

 だから、何かをさっさと諦めるような事だけは、死んでもしない。

……。―――死の淵ぎりぎりまで寄っても、諦められなかった、男。

「正直、金貨、銀貨、中には銅貨も混ざってるが、金額は当てにならない。大抵のヤツらの記憶が定かでないせいだが、中には確定してるのもある。ほら、金貸しだとかは台帳をつけてるし、そういう金に細かいヤツは、バスターでもない限り、財布の中身まで覚えてるモンだろ? と、まぁ、今のはあくまで余談だがな。それで、つまりここで注目すべきは、貨幣でなく宝石の類(たぐい)だ」

 適当に重ねて、しかし被害品目だけは一望できるように並べられた書類の一枚を細長い指で指しながら、シュアラスタは他の三人を見回した。

「嘘さえ言われてなけりゃ、宝飾品の被害は確定だ。確実にそれだけのモノが、それぞれ家の中から消えてる」

 言われて、チェスたちがさっと書類の表面に視線を走らせる。

「価値は小粒だけど、数はまぁまぁね。十七件もやられてると思えば、妥当かしら?」

「ささやかな財産ではありますけどねー」

「つまり庶民的だってこったな。普段オレらの目にする被害ってのは、宝石商が押し込みに遭って一家惨殺、被害は金貨数千枚とかって単位だろ? だがあくまでそいつは「金持ち」であって、庶民じゃねぇ」

「そう。逆に言うなら、この事件は非常に庶民的だって事だ。本来なら……、悪党が介入しないような、な」

「……それが、どうかした?」

「問題その一だよ」

 溜め息混じりにチェスに答えて、シュアラスタは一枚の被害届を一番上に載せた。そのちょっと面白くなさそうな横顔を、チェスが内心笑う。

(…そういう、細かい仕事に慣れてない、って言い訳したい顔じゃないわね。だったらなんだろ。意味は判らないけど気になる、ってトコかしら)

「俺たちお馴染みの品目つったら、せいぜいこんな所かね」

 どこかしら疑問を残したままなのだろうか、やや歯切れ悪く言いつつシュアラスタが示したのは、さっき一番上に移動された一枚の被害届。それに目を向け、向けてすぐ、ヌッフが、ぴゅう、と小さく口笛を吹いた。

「張り込んでるねぇ、赤色珊瑚かい」

 太い腕を組んで椅子に座りなおし、ヌッフがシュアラスタに視線を戻す。それを受けて頷き、件の男前は、いきなり傍らのチェスを引っ張り寄せて抱きかかえ、豪華なピンクゴールドの髪を掻き分け彼女の大ぶりな耳飾りを探し当てた。

 チェスの耳元で、繊細な金の蔦に絡め取られた涙型の真っ赤な珊瑚が、ちらりと揺れる。豪華で、でも、もしかしたら派手かもしれないイヤリング。それは、整った顔立ちと強固な印象のチェスだからこそ、上品に見えた。

「二十四金の細工に赤色珊瑚の耳飾り。粒自体は大きくないが、一組金貨六百だ」

「わお! 贅沢ですねー」

「あんたの煙草代と弾丸の方がよっぽど贅沢だわ」

 シュアラスタをひっぱたいて身を起こしたチェスに笑顔を向け、判ってますよ、とふざけて答える緑の瞳だけはしかし、まだ、笑っていない。

「十七件中、家にある宝飾品の中で一番高価なモンがヤられたのはここだけ。他は、指輪、ネックレス、耳飾り、カフス。加工前で粒のままの宝石もあるが、どれも高価だが「一番」じゃなかった」

 ここでこの奇妙な大陸を少し説明するならば、海産物、魚介類から海藻、珊瑚を筆頭にする宝飾品までを含む全ての「海洋資源」というのは、非常に珍しい、というのを明確にする必要があるだろう。

 この、子供が乱暴に書きなぐったいびつなひし形、の大陸に、船を持つ港町は三個所しかなく、漁業で生計を立てているのは西部南端に位置するほんの一角でしかないのだ。確かに四方を海に囲まれた島でありながら、その海岸線は入り組んだ断崖絶壁が殆どであり、自ずと海はいつも荒れ狂い、見えているのに遠い、手の出せない宝箱のようなものだった。

 逆に、大陸の大抵の場所から見ることの出来る中央山脈とそれから派生した数々の山々は、豊富な鉱物資源を蓄えていた。その鉱物資源の中には当たり前のように宝石類が含まれており、つまり、珊瑚よりは価値が低い、という事に他ならない。

「宝石にしても、こうやって見ると見事にピンからキリまでありますよね。数が数なんで換金すればそれなりになるでしょうけど…」

「金貨にしても、実はそうよね。合わせればそれなりだけど、一件ごとはそうでもない」

「ただし、宝飾品の方にはちょっとした共通点が、無いわけでもないんだ」

 黙って書類に目を通すヌッフを無視して、シュアラスタは首を捻るチェスとルイードを見据えた。

「解説、行けそう? ヌッフくん」

 にっと口元を歪めたシュアラスタがふざけて言う。

「先生のご期待通りかどうか、判らねぇけどよ」

 シュアラスタの倍はありそうな太い指でとある一枚の書面をテーブルに縫い留め、ヌッフは耳障りのいい低い声で淡々と述べた。

「おっかさんの形見の指輪、じーさんが遺してくれたカフス、恋人が出稼ぎから戻ってくるとき買って来たネックレス、家を出るとき両親が金に困ったら換金しろと渡してくれた耳飾り…。同等の金貨持ち歩きゃ目立っちまうかもしれないが、上着の隠しにでも忍ばせりゃ、持ってるのかどうかは本人しか判らねぇ程度のささやかな財産だな」

「………。金額じゃない、と思うならば、持つ人の気持ちとしては「高価」だとも言えますね」

 ヌッフと、補足するように言い置かれたルイードの答えに満足した、という顔ではなかったが、シュアラスタはやる気なく適当な拍手の後、こう付け足した。

「持ち主にとっちゃ家の中でもっとも「価値のあるモノ」って、乱暴な括りが出来やしないか?」

 あくまでも予想だ。というスタンスでありながら、シュアラスタはどこかけしかけるように呟いて、笑う。

 バスターは、悪党だから、自分の命さえ金貨で換算出来るという。確かにそうだったし、そうでなければならない。彼らは絶対に、たとえ本心がどうであったとしても、必要悪であり続けなければならなかったし、それだけが、彼らが悪党として大陸に存在していい理由でもある。

 悪党は、多くを語らない。自らを語らない。

 人殺しだと口汚く罵られて、街道で野たれ死んでも誰かを護って命を落としても、同じに唾棄されて。そして彼らは、絶対に「人」と同じ安らかな墓所に埋められることはない。家族が引き取りに来てくれることも無い。バスターになって生きるのは、孤独だった。そして、死んで尚、孤独なのだ。

 だからこそ、彼らはその、この町から忽然と消えた宝飾品の「価値」を、保安官や市井の市民どもよりも先に知ったのかもしれない。

 枷の掛けられた手では二度と掴む事のない、「何か」を。

「ただしそいつぁ、あくまで自分の中だけの価値観だろ? にーさん」

「そうだ」

「で? なんでわざわざそんなモノ選んで盗んで行くワケよ。金目の物の方がいいでしょうに」

「そうだな」

「まさか怨恨だとでも言うつもりですか? バスター・ジェイフォード」

「それこそ、まさかだ」

 じゃぁ? と首を傾げた三人の睥睨し、シュアラスタは意味不明の笑みを口元に浮べた。

「だから、おかしいんだよ、基本的に。この窃盗事件は、最初からおかしいんだ。犯人の姿が全く浮かび上がって来ない事も、盗まれた品目も、保安官がバスターズに依頼を持ってきた事も、何もかもおかしいんだ」

 テーブルに頬杖をついてシュアラスタを横目で見ていたチェスが、短い溜め息を吐き出す。

「そんなワケの判らない事力説するあんたもおかしいわよ」

「ハルパスが居るのに、ミディアが一度も顔を出さないのもな」

「あぁ、それならオレにもひとつ言えるぜ、にーさん」

 微笑み合って痛烈に言い合おうか、という体制に入ったチェスとシュアラスタを遮るように、ヌッフが身を乗り出した。「なんだよ」「なにが」と恐ろしくタイミングよく言い放って同時に顔を向けてきた美男美女に、彫りの深い顔で意地の悪い笑みを突っ返したヌッフは、いかにも気に障る緩慢な動作でシュアラスタの鼻先にごつい指先を突き付けた。

「占者館だよ」

  

   
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