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    占者の街    
       
第四幕 夜も昼もなく、悪党の場合(3)

   

 言われた途端、シュアラスタの端正な顔が、微かに引きつる。

「この町の外貨収入のどれくらいがあの館に頼ってるか、知ってるかい? チェスねーちゃん」

 灰色の瞳をシュアラスタから逸らさず、しかしヌッフはまるで彼と関係無いような質問をし始めた。慣れているから気にもならないが、唐突といえば唐突ではないだろうか。

「半分だったら拍手モンね。それ以上なら、領主代行は占い師と交代したほうが町のためじゃない?」

 ふざけて肩を竦めるチェスに朗らかな笑みを投げかけ、ミムサ・ノスという町の内情を語り始めたのは、ルイードの方だった。ここでもまた少年は、年齢に見合わない妙に落ち着いた表情をしている。

「占者館の筆頭がレディー・ポーラ・フィルマと交代したのは、三年半ほど前です。前任のなんとかいう老占い師はごく普通の守銭奴で、その時分はあの館自体そう大きくなかったという話ですね。レディー・フィルマが筆頭になってから、この町の占者館は体制を大きく変えて、半年も置かず今の営業形態を整えたと言います。同時に町へ大量の雇用、つまり仕事を提供し始め、そのシステムが軌道に乗るのと、占い師連中の評判が上がって外部からのお客が増え始めたのが二年ほど前。それまでは、高原果実を中心にした農作物を街道の辻に当たる大きな街まで馬車で運び、そこに土地を借りて店を出し外貨の収入に勤めていたらしいんですが、この方法では経費がかかり過ぎて、あまり商業的効果は出てなかったようです」

「ふうん、そのレディー・フィルマってのの手際いいのには、ちょっと関心しとくべきかしら? 見習いたかないけど」

 ぞんざいに吐き捨てたチェスが、椅子の背凭れに身体をぶつけ仰々しく足を組む。

「そうですね、レディー・フィルマ交代自体に最初からなんらかの内部取引があったというのは、否定出来ません。が、今僕らの考慮すべき事柄と関係がないと判断して、そっちの方は無視しますけど、いいですか? バスター・ジェイフォード」

「質問の相手が間違ってるぜ、ガキ」

 ふん、といかにも面白くなさそうな顔でそっぽを向いたシュアラスタに、あの、達観した薄笑みを向けるルイード。

「では、遠慮なく続けます。レディー・フィルマが占者館筆頭になった当時、ミムサ・ノスにおける外貨獲得率の八割が、例の効率悪い行商によるモノでした。とはいえ、現在の外貨獲得率全体を一〇〇と考えた場合、当時はその五分の一にも満たなかったのですから、本当に微々たる物、と言ってしまえばそれまでですね」

 小ばかにしたように肩を竦めてからこほんと咳払いしたルイードが、「こっからが本題ですー」と暢気な笑顔を振りまく。

「では今がどうか、と言うとですね。外貨獲得率は約四年前の五倍に膨れ上がり、占者館から町に収められる多種多様な金品は、町の全体収入の七割を超えたそうです。その中には直接あのお屋敷から税金として吸い上げるものから、屋敷が雇い入れた住民が間接的に納める税金だとか物品税だとかは含んでいますが、なんていうんでしょう…、占い師の知名度に伴って町の外で商われるミムサ・ノスの商品取引に関わる金品、というのは、算入されてないとか」

「そこんとこは噂だがな、町議会議員にゃ占い師の息の掛かった連中も随分いるらしいぜ。正体は定かじゃねぇが、対外的な商売を手広くやってて納税率や寄付金率の高い一部の商人、てのが数人裏で手を組んで、議会に食い込んでるって話だ。もしかしたらその連中……」

 腕を組んで顎を撫でながら目を細めたヌッフが、続きを促すようにシュアラスタをじろりと見た。

「裏取引じみた暗部、ってのは無いにせよ、商人は何らかの形で占い師連中の噂を有効に使わせて貰ってると考えていいだろうな」

 溜め息で諦めを吐き出し、居住まいを正したシュアラスタがテーブルに向き直る。なんだかんだと言って置きながら黙っていられないのも、この男の悪い癖なのだろう。

「つまり、この町は実に九割近い外貨の収入をあの占い師連中に頼ってる。依属してる、つってそれが気に食わないって誰かが怒鳴り込んで来ても、追い返すだけの自信が俺にはある。

 だから、か、保安部でさえ、あの屋敷の連中に強くは言えないんだ」

 基本的に、保安部の人選は領主が行うし、町政は領主代行が見張る。しかし、結局、とどのつまり、と言うべきか、実際問題住んでいる人間に言わせれば、遠くでふんぞり返っているお偉いさんより町の有力者の方が有り難いに決まっているし、それが目に見える儲け話をちらつかせているなら、尚更だろう。

「その割に、あのレディー・ポーラ・フィルマってのが潔白過ぎて薄気味悪い、ってのも、付け加えとくか」

 吸い差しを灰皿に押し付けて新しい紙巻を唇に乗せ、ついでに薄い嘲笑も載せて、シュアラスタは首を傾げた。

「マスター・エコー! あの占い師のねーさん、何者なんだ?」

 軽く手を挙げてマスターに声をかけたシュアラスタが、まただらしなく背凭れに寄りかかる。それを受け取ってテーブルに近付いて来たマスターからそれぞれ(やっと)飲み物を手渡されると彼らは、目だけで話を促した。

「本当にただの占い師ですよ、バスター。生まれた時からこの町しか知らない、世間知らず、とでも言いましょうか」

 その苦笑いじみた物言いに、思わず悪党どもが顔を見合わせた。

「ジプシー上がりでもなんでもない、普通のお嬢さんです。それなりに大きな商家に生まれたらしんですが、父親が商売に失敗しましてね。一家離散して、両親は行方不明。歳の離れた姉というのが一人いたそうですが、なにぶん地味な町でしょう? 「三角屋根」に出入りしてるのが知られて、結局、妹を残してどこぞの街に行ってしまったとか」

 三角屋根、という部分で、一瞬シュアラスタが眉を寄せる。そういう反応を返してくるのはチェスじゃないだろうか、と予想していたマスターは、平然とする女バスターと、こちらのほうが忌々しげな相棒を見比べて、ちょっと、笑った。

 言い方はいろいろあった。「三角屋根」「赤看板」もっと程度の悪いものは、「軒先」などとも呼ばれる。つまり……。

「それが兄貴だったら、町を出るのは今のレディー・フィルマの方だったかもしれませんね。だって、娼館で買い取ってくれる男性って、条件厳しいらしいですから」

 不機嫌そうなシュアラスタの横顔に向って、確実に買い取って貰えそうなルイード少年が、けろっと吐きつけた。

「よくあるこったな。姉さんが身体売って、その金でなんとか生きのびた妹、ってか?」

 ははっ、とひどく乾燥したヌッフの笑いで決着をつけ、マスターが付け加える。

「だから、ですよ。レディー・フィルマがこの町全体に仕事を回し、少しでも多く外貨を獲得しようと躍起になってたのは。幸い、彼女には「占い」という才能があった。それを最大限に活用し、なんとか、これから先、自分のような「哀れな子供」を出さないで済むように、と、まぁ、こいつは、とんでもなく思い上がった理想ですがね」

 理知的な笑顔で最後の痛烈な言葉をやんわり言い置いたマスターが、テーブルに背を向ける。遠ざかるその痩せた背中に向って、チェスは静かに呟いた。

「やり方が違っただけとしか思えないわ、あたしには。結局、才能だかなんだか知らないけど、その占い師も、「自分」を商品にするしかなかったんじゃない」

 何も「持たない」人間に出来るのは、それしかないのだろうか…。

「とまぁ、そういう情熱? に燃えてるからかどうか知らないが、件の占い師筆頭は、領主の出先機関てのをどうも毛嫌いしてるらしい。確かに、領主代行てのは肝心な時ほど役に立たないし、保安官なんぞ金貨握らせりゃどうにでも出来る。だからだろうな、今回の一件では、意外に早い段階で保安部の弱体化を狙って行動を起こしやがった」

 それまで不機嫌そうに窓を眺めていたシュアラスタが、気を取り直して吐き捨てる。それで、今日は荒れるわね、などとチェスが苦笑いしたのは、意図的に無視されたようだった。

 シュアラスタが荒れようが荒れるまいが、チーム・ギガバイトには関係ないのだから。

「力をつけて自警団を組織した当たりから、あの屋敷は保安官の出入りさえ制限してるんだ。町を乗っ取るつもりはないらしいからな、まぁ、腑抜けな領主の犬どもは信用ならないってトコか」

「あーん。それでなの? あたしとルイにも、あの屋敷には手を出すなって言ったのは」

「……まぁね」

 くるりと顔だけを向けてきたチェスに曖昧な答えを返し、シュアラスタが目の前に置かれたワインを手に取る。

「保安官が信用ないなら、悪党だって然り、かねぇ」

「経費かかり過ぎんだろ、俺たちゃさ」

「そうでなくても、悪党なんていらない! って息巻いてる人もたくさんいますからね」

 なんだか話が逸れて来た、と内心首を捻りつつ、チェスはじっとシュアラスタの横顔を見つめていた。

「どっちにしても、あそこに俺たちが踏み込むには正当な理由を保安部経由で申請して、受諾される必要がある。保安官の立ち入りも同じだけ厳しい。しかも、今回の依頼はですね」

 と、いきなり語調を変え、シュアラスタはくそ真面目な顔で三人を見渡した。

「覚えてる? 保安部の威信を…」

「ばーか、誰がそんな嘘信じんのよ。あからさまにウソ臭い作り顔で変な理屈こねる前に、諦めて本当の事白状すればいいじゃない」

 チェスが間髪入れず吐き捨て、ヌッフとルイードも無言で頷いた。

「………。冷てぇな、お前」

「あら、普段通りだけど?」

「ならアレだ、ねーちゃん。普段からにーさんにゃ冷てぇって事で」

「否定しないわ」

 うふふ、と嫣然たる微笑をヌッフに向けたチェスが、ハデに髪を掻き揚げる。

 判っている。それも、嘘だった。

「……………。………………。…、ち」

 舌打ちしてすぐに、がん! と乱暴に肘をテーブルに叩きつけたシュアラスタが、拗ねた顔で頬杖を衝いた。その表情がひどく子供っぽく、思わず、ルイードでさえ吹き出しそうになる。

「ダメなんだよ、あの屋敷!」

 完全に覚悟したのか、シュアラスタは押し出すように、誰ともなしに吐き捨てた。

「どうも、その…、ダメなんだよ。あの、匂いが」

「「「はぁ?」」」

 シュアラスタの口を衝いて出た予想外のどうでもいい理由に、三人が呆れた声を張り上げる。

「匂い、って…。あぁ! 何か、お香みたいなものですよね」

「あぁ。占い師ってぇと、得体の知れねぇ煙焚いてるモンなぁ、確かに」

「だからってあんた…、それが理由ってのはないんじゃないの?」

 今にも吹き出しそうな顔で見下され、しかしシュアラスタは憮然としたまま尚も言い募った。

「出来れば風下にも行きたかねぇぞ、俺は。実際、最初は占者館から出された二件の被害者に会おうと思ってたんだよ、俺だって。だからわざわざ保安官の制服まで用意させたんだ。でもなぁ、どうも……、だめなんだよ」

 ふと、チェスが眉を寄せる。

 なぜか青ざめて見える、シュアラスタの横顔。それが、心に引っかかる。

「あの屋敷から戻ったばかりだって被害者に会った。…、その家の玄関を入る前から、俺は知ってたけどな」

「匂い?」

「そう、移り香ってヤツだ。聞けば、待合室にも占い師の部屋にも、曇るほど香が焚き染められてるらしいからな、あすこは」

 言って、シュアラスタは何かどんでもなく嫌な事を思い出したかのように顔を歪め、唇に乗せていた紙巻を摘んで灰皿に放り込んだ。

 立ち上る、紫煙。少し甘い香りがする。

「めまいがひどくて、結局ろくに話もしないで戻って来た。それがただの香だと判ってるし、この町の禁止薬物は大陸保安部の出した基準と同じ。気にする程の事も無いし、そんなワケもない。でも、………だめなんだ」

 紙巻を放り出した後の指で自分のこめかみを押しながら、シュアラスタはぎゅっと瞼を閉じた。

「あの匂いに耐えられない。風景が、全部溶けて来そうな気がする」

 言い知れない、甘だるい香り。合成薬物などという科学的なものが存在しないこの大陸で、中毒性のある、または幻覚作用のある、薄めて使えば麻酔としても使える「クスリ」の類は、大抵、ひどく独特な芳香を振りまいて人を堕落に誘い込む。

 好むと好まざると、と誰かが言った。そうなってもおかしくなかった、と誰かも言った。当たり前の結果だった、とシュアラスタの前の相棒も言い、生きてまともな生活出来てるだけでもタダモンじゃない、とその時から今も変わらずシュアラスタを知る保安官も、言った。

 シュアラスタ・ジェイフォードという男に、チェスと出会う一年ほど前から遡って、約一年半分の記憶はまったくない。それは相当な悪夢だったらしい、と時折本人は笑ったが、本当は、笑うよりも先に怯えるべきだと、チェスは思った。

 急性の重度薬物中毒。好きでそうなった訳でない事だけは、誰もが知っている。

 それもまた、今話されるべきではない。シュアラスタの過去など仕事には関係無いし、気軽に問い掛けていい話でもない。プライドだけは天より高い男が、記憶もすっぽり抜け落ちるほど薬物塗れになっても生きさらばえた本当の理由は、誰にも判らないのだから。

 ただ、その後遺症とでも言うべきか、シュアラスタは笑えてしまうほど(いや、時には重大な問題を引き起こすほど)薬物に弱い。免疫が消滅してしまったのだろうか、そんな免疫があるかどうかは知らないが、下手な薬物捜査犬よりも鼻が利くのは確かだった。それこそ、漏れる阿片の香りを誤魔化すために焚きしめられた様々な香の中からそれを嗅ぎ分けて…いるのでもないだろうが、とにかく確実に、アタるのだ。

 目の奥が痛いとか、気分が悪いとか、そういう普通の発言をする余裕があるくらいならマシなほうで、チェスに知られずいきなり暴挙に出る、となったらもうお終いなのである。

 そう、殴り倒して昏倒させ、椅子に縛りつけておくぐらいはしなければならない。

「一応、あそこの取引品目を調べさせたが、別に怪しいもんは…? チェス?」

 ふっと短い吐息とともに杞憂を吐き出し、シュアラスタが瞼を上げる。と、伸ばされた白い掌がその頬にそっと触れ、問われて、チェスは曖昧に微笑んだ。

 彼女は、何も答えない。ただ、微かに曇ったグランブルーの瞳がじっとシュアラスタを見つめているだけ。

 臆病な男。しかし、背中にべったり張り付き黒く変色し切った傷跡を見てもそう思い続けられるほど、チェスは無慈悲でない。

 もちろん、シュアラスタを「どうでもいい男」だとも思っていないし。

 その二人をじっと色の薄い瞳で無感情に見ていたルイードが、ふと、微かに眉を寄せてからかわいらしい唇を引き結ぶ。

(風下にも行きたくない? ただのお香で? ……。もしもそれが、「思い過ごし」でないとしたら)

 信頼には値しないが、信用するには充分過ぎる、シュアラスタ。例にも漏れずルイードも、自分の相棒と、チェス…彼の全てであった「時代」のあると付け加えておこう…が選んだシュアラスタを、疑った事はない。

「……あの屋敷関連で締めたい人がいるんですけど、それって…ダメですかぁ? バスター・ジェイフォード」

 殊更暢気に問い掛けたルイードは、じろりと目玉だけを回して睨んで来たシュアラスタに微笑んで見せた。

 その横で、チェスが何か言いたそうに唇を開きかけ、考え直して唇を閉ざすような動きをする。

「ダメに決まってんだろ、あほう。確かに理由が保安官てのは建前だけどな、あの屋敷に手が出せないのは、結局俺たちがバスターだからだ。向こうさんは、無能保安官と悪党の足元掬ってやろうって虎視眈々と機会を狙ってんだぜ? わざわざこっちからネタちらつかせてやんじゃねぇよ」

「それは判ってるんですけど…」

 歯切れの悪いルイードから顔を背けて、シュアラスタは新しい紙巻に火を点けた。

「確実に何かを挙げられるって証拠がなけりゃ、あそこには手が出せねぇと思え」

(その確実な証拠を挙げるために締めたいんだけどなぁ)

 はぁい、と不満げに返事したルイードが、肩を寄せて椅子の中で小さくなる。これはどうにかしてシュアラスタの首を縦に振らせる手を考えなければ、などと本気で無謀な事を考え始めた相棒の心の裡を知ったのかどうか、ヌッフは不意にデカイ声を張り上げて、まるで関係の無い事を話し始めた。

  

   
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