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    占者の街    
       
第五章 占者の街 占者の場合(4)

   

 後手に回ったのではなく相手の出方を見たのだと気付いた人間は、果たして、その中に居ただろうか。

 ギャレイと数人の男が踵を返して館に逃げ込むのを追ったのは、最初に飛び出したチェスとシュアラスタだった。

「ギャレイの首とったら、それでいいから殴らしてねー、シュアちゃーん!」

「あほう! 俺の名前を縮めて呼ぶんじゃねぇ!」

「まだそれ言ってんの? あんた。バカじゃない?」

「うるせぇ!」

 遠ざかって行く二人の背中に手を振りながらシャオリーが言い放つと、間抜けな会話と笑い声が返る。なんとも緊張感のない連中。

「むーーーー」

 唇を尖らせて唸りつつもシャオリーは、咄嗟に身体を地面に投げ出した。途端、さっきまで彼女の胴体のあった部分を銀色の光が薙ぎ払う。

 振り抜いた剣をそのままシャオリーの首に叩きつけようとしたのか、転がる彼女を追いかけた男が、一歩深く踏み込んだ。地面にへたり込んだ少女のごとく小さな顔に振り降りる、嫌な笑い。しかしそれを迎え撃つシャオリーの笑顔は、もっと凶悪で暗い。

「あまーい!」

 きゃは、と全く緊張感ない呟きと共に、シャオリーは身体を捻りながら右腕を大きく振り上げた。

 翻る、オレンジ色のジャケット。手首から飛び出したナイフが、男の手首を貫く。

 悲鳴を上げて後退した男の隙を突いて弾けるように立ち上がったシャオリーが、転がる勢いで一直線に前庭の外壁目指して駆け出した。

「邪魔邪魔邪魔邪魔! かんけーない人手ぇあげてー! じゃなくってぇ、上げる暇あったらさっさとこっから逃げ出しな!」

 逃げ惑う占い師と使用人たち。その背後に肉薄するギャレイの手下にタックルをかまして転がし、ついでに、勢い余ってシャオリーもごろごろ転がった。

 その襟首を、忽然と現れたカーライルが猫のように掴んで引き起こす。無表情な相棒に無言で微笑みかけ、またすぐ駆け出して行く少女。華奢な背中を胡乱に見送ってすぐ、カーライルはなんの予備動作もなく垂直に跳躍した。

 足元を駆けぬける銀光。呆気に取られたギャレイの手下が頭上を見上げた時には、その顔面にカーライルの踵がめり込んでいる。

 常人では考えられないような跳躍を遣って退けたカーライルは、着地するなりやっぱり無表情に再度地面を蹴って、今度は真横に移動した。そこでは、彼の注意を別の仲間が引き付けている隙を突いて人質を取ろうとしていた男が、腕を前に伸ばしたままぽかんと口を開けている。

 悲鳴を上げた使用人らしい男と、腕を伸ばしたままの悪人。そのわずかな隙間に滑り込んだカーライルの腕が閃いたと思うなり、しっかり皮ひもで手首に括りつけられたナックルガードから、バシン! と発条の弾ける音が朝の空気を切り裂く。

「あう…」

 尖った鉤爪の切っ先を喉元に当てられてごくりと固唾を飲んだ男をじっと見つめ、カーライルが口を動かさずに呟いた。

「俺は殺さない。黙って戻れ」

 言われたギャレイの手下がもつれる足で前庭に取って返したのを見届けてから、カーライルが振り返る。

 彼の背後では、数人の占い師と使用人ががくがく震えながら肩を寄せ合って地面に座り込んでいた。それを無表情な濃紺の瞳で見つめたままカーライルは、いきなり、拳の先で鈍く輝く手鉤を彼らの鼻先に突きつけたではないか。

「邪魔。とっとと出て行け」

 抑揚のない声で言放たれるなり、善良な一般市民が蒼白になって跳ね起きる。多分腰が抜けていたのだろうが、まさに荒療治、彼らは刹那で遥か遠くに感じられる外壁まで一気に後退り、それをよじ登って向こう側へ落っこちた。

 シャオリーとカーライルの行動は、残された無関係な人間を前庭から退去させるに留まっていた。それでも、入り乱れたギャレイの手下の中から一人も傷つけずに逃がし通すというのは、間違って一人二人巻き添えにするより、ずっと難しい。

「お帰りはぁ、あっちらー! っと!」

 広い前庭を走りながら使用人どもの尻を蹴飛ばして、外壁沿いへと追い立てる、シャオリー。それに追い縋ろうとするギャレイの手下は、横合いから飛び込んで来たハルパスに牽制され、じりじり館の方へと押し戻されて行く。

 右手に真っ直ぐな…漆黒の刀身に真紅のレリーフが刻まれた奇妙な宝剣を握ったハルパスは、切っ先を地面に向けたまま雑魚どもを冷淡に見つめていた。その、もしかしたらカーライルよりも感情の浮かばない凍えた碧眼と気配だけに、武骨な手で剣を正面に握ったギャレイの手下は押されているのだ。

「人質を取るなどという卑怯な真似は良くない。美しくないな。さっさと戻って、わたしのかわいいルイード・ジュサイアースに虐殺されろ。貴様らの薄汚い顔を見ているより、屍の真ん中で微笑んでいるハニーの方が数百倍美しいぞ」

「ハニーは禁止だつったろ、変態!」

 すかさず、どこからかヌッフの怒号。

「……腹が立つほど耳がいいな、ヌッフ・ギガバイト。ルイード・ジュサイアースの相棒には不向きじゃないのか?」

 くっと唇を歪めたハルパスが油断したと見たのか、刹那、正面の男が奇声を上げて踊り掛かった。

 男の動きと同時に左足だけを半歩後ろに引き、ハルパスは黒い宝剣の切っ先を手首で返した。流麗な動作で振り上げた腕が掬い上げるような弧を描き終わった後には、その足元に男の剣と、それを握っていたうち数本の指が転がっている。

 手首、ではなく、指。瞬きもせず見切られた距離には、薄紙一枚の誤差さえない。

 悲鳴を上げてのた打ち回る男の背中を目端に、ヌッフはひゅっと口笛を吹いた。

「そのいたぶり方も立派な変態だなぁ、ハルパス」

「わたしは監視者であって、協力者ではないからな」

 駆け離れて行くハルパスと交差して、大振りなナタを握ったヌッフが外壁近くで上がった悲鳴を頼りに走り込んで来る。背中の鉄管から覗いた一対の握りが盛大な金属音を立てたが、それを使うのはまだ先のようだ。

 無関係な人間は殆ど逃げおおせたように見えた。しかし、足腰が言う事を利かないのだろう一握りが、外壁沿いの植え込みに隠れていたらしく、しかも迷惑なことに、ギャレイの手下に気付かれてしまっている。

「ヌッフ! 三十秒稼いであげる。その間に、全員逃がして」

「無茶言うなよ…」

 いつの間にかヌッフに並んでいたミディアが、黒革の手袋を填めながら真っ赤な唇を歪めて笑った。

「無茶だったら言わないよ。シュアラスタがアンタを信用してるんだから、アタシもアンタを信用する」

 健気だねえ。などとにやつきながら、ヌッフがナタを腰の鞘に戻す。

 二人はほぼ同時に、揉み合う一塊に突っ込んだ。さすが人質に取ろうとしていただけの事はあり、逃げ惑う占い師どもに怪我はない。

「はいっはいっはいっと」

 ミディアが軽い身のこなしで、絡まり合う雑魚と占い師の間をすり抜ける。刹那、くぐもった呻き声を上げて、ばたばた倒れるギャレイの手下。即効性が極めて高くごく短時間完全に神経を麻痺させる毒を塗った針でも、手袋に仕込んでいるのだろう。とはいえ、人体のどの部分にどれだけの深さでその毒液を注入すれば最も効果的なのか知り得ているのが、ミディアの本当の恐ろしさなのだろうが。

 残った占い師や使用人のうち、動けそうも無いほどがちがちに固まっている数人を纏めて抱え上げたヌッフは、その巨体に見合わぬ素早さで正門から顔を覗かせているギャラリーの間近まで走り込み、いきなり、抱えていた連中をギャラリーのめがけて放り込んだ。

「お仲間だろ? クッションクッション」

 ふざけてウインクして見せてすぐに踵を返し、おぼつかないながら転がるように逃げてくる残りの何人かを片っ端から捕まえては、先と同じ相当乱暴に門から叩き出す。

 ぎゃ、とか、わぁ、とかいう情けない悲鳴が収まったのと、門の外で薙ぎ倒された一般市民に目立った怪我がない事を確認してからヌッフは、未だ呆然と館を見つめる見知った少年臭い顔を振り返った。

「おい、そこの保安官見習い! ぼけっとしてねぇでさっさと出ろ!」

 地面に座り込んだままのレディ・ポーラ・フィルマと、その彼女を支えたまま青い顔をしたネルを怒鳴りつける、ヌッフ。しかし二人は、必死になって首を横に振った。

「ボクには…責任があります! あなたたちをここに入れた責任が!」

「わたくしには…!」

 何かを言い募ろうと身を乗り出したレディ・ポーラ・フィルマを見つめたまま、ヌッフが無言で門の閂を下ろす。それを、ネルとレディ・ポーラ・フィルマを庇う形で立っていたルイードが、無言で見つめ返していた。

「条件がある。ここで見た事は、絶対に口外すんじゃねぇぞ。もしも何か言いふらしてみろ、オレぁどっからだって吹っ飛んできて、てめーらの首跳ねるからな」

 言い捨ててネルたちから視線を外したヌッフは、一塊になったギャレイの手下と、それを囲む悪党どもを見遣った。

「さぁて、ヌルイ撫で合いの時間は終わったぜ、相棒。……シャオリーとカーライルのボケ、震え上がらせてやれよ」

 分厚い唇を歪めて凶悪に笑ったヌッフに、それまで何の行動も起こそうとしなかったルイードが、ふと困ったように微笑み返す。

「それ、間違ってません? なんか」

「? 間違ってねぇだろ。悪人どもなんぞ一山幾らで地獄に叩き込んで終わりだけどよ、悪党は、見せつけて黙らせなっきゃ判らねぇんだからな」

「…………怒ってます?」

 呆然とするネルとレディ・ポーラ・フィルマ。その傍らを通り過ぎながら、ヌッフは肩を竦めた。

「当たり前だろ。背筋伸ばせ、バカやろう。てめーがオレとまだ相棒でいてぇんなら、シャオリーに言い負かされてぐずぐず泣いてんじゃねぇよ」

「相変わらずひどいなぁ、ヌッフは。リンカーフェスさんの運命も、僕のか弱い肩に押し付けるつもりですか?」

 囁いてふと微笑み直し、少年はヌッフの背中を追いかけ歩き出した。

  

   
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