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占者の街 | |||
第六章 占者の街 悪党の場合(3) | |||
なぜ、占者館の手入れを早朝にしたか。 答えは簡単だ。待合室に香が焚かれる前に、屋敷に踏み込んでおきたかったから。 ではなぜ、香が焚かれる前に屋敷に踏み込んでおかなければならなかったか。 それもまた、明白だ。 シュアラスタに正気で居て貰わなければならないから。 「…無駄な努力って、こういうのを言うのかしら…」 がっかりと吐き出してから盛大にピンクゴールドの髪をかきあげたチェスが、勧められたソファにどさりと身体を投げ出す。そのぞんざいな動作さえも優雅に見えるのは、彼女の類稀なる美貌のせいか。 「それにしてもナンだね、おもしろい悪党もいたもんさ」 ふふん、と鼻でチェスを嘲笑ったマジシャン・ギャレイは、筋肉の盛り上がった全身を似合いもしないルビー色のドレスに包み、部屋の最奥に設えられている豪華で悪趣味な長椅子に、半ば寝そべっていた。 顎の張った四角い顔と、押しつぶしたように平たくて大きい鼻の、動物顔? とでも言ったらいいのか、とにかく、面倒そうな不機嫌顔で対峙しているチェスとは正反対、逆立ちしても美人には見えない、大柄な女。大きくウエーブの掛かったブルネットをいかにもな手付きで物憂げに梳くのだが、どうもその容姿と演出のちぐはぐさが安いおかまバーのママみたいに思えて、チェスは呆れ気味に口の端を歪めた。 笑ってもいいかしら。と本気で悩む。これでシュアラスタが健在(…)なら、確実突っ込み放題だったのにと、少々相棒を恨みがましく見てしまう。 その、微妙に思惑のズレた視線をどう受け取ったのか、ギャレイはそこでくつくつと喉を鳴らした。 「ちょいとクスリ嗅がされて軽い暗示一つ掛けられただけの相棒に、こんなに簡単に裏切られるなんざ、嘆かわしいと思わないかい? アンタ」 「思わないわね」 ギャレイに顔も向けず速攻で答えつつ、クスリってなんだろう、とぼんやり考える、チェス。 「強がり言うんじゃないよ、別嬪さん。そのお綺麗な顔相棒に切り刻んで貰うっての、どうだい?」 いひひひひひひひひ、と締まりのない口元で笑うギャレイをひたすら無視して、俯いたまま部屋の真ん中辺りに突っ立っているシュアラスタの背中に視線を移し、チェスはもう一度溜め息を吐いた。 「いいんじゃない? 黙ってやってくれるなら文句は言わないわ。………迂闊な醜態晒すくらいなら、ここでひと思いに殺して貰った方が楽だし」 やる気なく言い捨ててからチェスは、ゆっくりとソファの背凭れに後頭部を載せ、目だけで周囲を見回した。 ギャレイの手下は、ここにも別働隊が潜んでいたのだ。下の、外の連中と違って、ここの男達は全員が真っ黒いボディースーツみたいな趣味の悪い服を来ている。手にしているのも、かなり使い込まれた長剣。最初に切り捨てられたのが元・フロッグ旅団の連中だとすると、残留組はこのミムサ・ノスで新しくギャレイの組織した何かなのだろう。 「冥土の土産に教えてくれない? サーカス切って、手練集めて、資金も集めて、一体何しようって魂胆?」 と、チェスは何かお使いを思い出したかのような気安い口調でいいつつ、ソファの背凭れから頭を引き剥がし、ようやく、正面に座るギャレイの顔を見つめ直した。 「これから死んでくヤツに教えるようなモンじゃないさ」 ギャレイを入れて、部屋には八人。そう多い人数ではない…。 (どこかの組織に手土産持って行こうってでも思ってたのかしら?) 「そう、残念ね。でも、無理には聞かないわ」 「こいつぁ随分物分かりのいい女だね。じゃぁ、そろそろあんたらには最後の「仕事」でもして貰おうか」 ぱちん。とギャレイが指を鳴らすなり音もなくソファの背後に移動してきた二人の黒服が、チェスの肩をそれぞれ押さえ付けようと手を伸ばす。 「ま、派手に殺し合いでもして、下の連中の注意を引いてくれるだけでいいからね。その間にあたしらは逃げさして貰うよ」 言いつつ、長椅子から身を起こすギャレイ。どう見ても催眠術師というより筋肉自慢の怪力女でしょ。とチェスは、息を詰めて部屋の内部を窺う。 ギャレイの、チェスの太もも並みに太い腕が持ち上がる。その手には、どこに隠していたのか、短い蝋燭が握られていた。 「さぁ、おやり、色男。「皆殺し」だよ…」 呼ばれたからなのか、ぎくしゃくとギャレイを振り向いたシュアラスタの眼前に翳された、赤紫の炎、蝋燭。それが左右にゆっくり動くのに合わせて、微か漂ってくる甘い芳香。 その香の元はなんだろうと胡乱に考えつつも、グランブルーの瞳は見逃さない。黒服の男たちの指先が真紅のコートに触れようかとした瞬間、シュアラスタの指先もまた微かに動いた事を。 「ああ。ねぇ? 折角のトコロ悪いけど、その依頼、最後までは聞けないわ。だって…」 ソファにゆったり背中を預けて足を組んだまま、チェスはふとラズベリーの唇を綻ばせた。 「受ける気ないもの」 男達の指先が今まさにチェスの肩に到達するか否か、という絶妙のタイミングで、室内に轟音が二度響き渡る。それと殆ど同時に男の腕…当然、チェスに触れようとしていた、である…が盛大に肉片と血液を撒き散らしながら吹っ飛び、反動でそれぞれの男も背後の壁まで飛ばされた。 びしゃん! と無残にも何かが叩きつけられる音。嗅ぎ慣れた硝煙の匂いと、冷え切った気配。 「うちの相棒に汚ねぇ手で触んじゃねぇ、あほう」 今度は、機嫌が悪い…。 「それに触っていいのは俺だけ。OK? で、脅かしていいのも俺だけ。てめーらに許された自由は、殺されていいって事くらいか?」 はっはっは、とさも面白くなさそうに笑いながら、シュアラスタはようやくぱちりと瞬きした。 やや伏せたような睫の奥には、虚ろに滲んだ瞳。それをチェスに向けようとしているものの、彼女の姿は探せていないようだった。先刻よりもますます震える腕で、やっと拳銃を支えている。青ざめた顔、額にべったり浮いた脂汗。意識の浮き沈みが激しいのだろう、時折眉を寄せ唇を引き結ぶのは、その瞬間だけが正気だからだ。 館全体に染み付いた残り香で、自分の鼻も機能していないのではないだろうか、とチェスは思った。 (最初から、おかしいといえばおかしかったのよね…。シュアラスタが屋敷に踏み込んでから一回も「匂い」に話を振ってこなかったって事は、最初から訳が判らなかったって事なんでしょう? どうせ…) 偽保安官の時は逃げ帰ってきたのにも関わらず、いくら香の煙が眼に見えないにしても、シュアラスタにはこの「匂いがダメ」と意識に刷り込まれていた筈なのだから。 「解ったか? 俺の話。判らないなら…、全員死ね!」 その鋭い呟きを耳にするなり、チェスはソファから床に転がり出た。 最初に腕を飛ばされた二人は、ドア近くで呻きながらのたうち回っている。標的はそれなのだろうか、シュアラスタは転がったチェスの胴に腕を回して横抱きに彼女を起こし、そのまま、残った弾丸を全てソファの背後に向けて突き刺した。射出反動を逃がすのではなく抑え込む手首の角度も何もかもが普段と変わりないように見えるが、その銃口は、冗談のようにがくがくと震えている。 のに、一発も外さない。 床を転がり回っていた男たちの全身に、次々大穴が穿かれる。着弾と同時にその身体から吹き上がった鮮血が壁に放射状の模様を描き出すと、シュアラスタはついに、チェスを抱きかかえたままげたげた笑い出した。 「いや、なんだ? 実に愉快だな。えーと、なんだ? なんでもいいか。お前…おい、……」 スライドした弾倉から転がり出た空薬莢が、床にばら撒かれる。それから、抱きかかえていたチェスが邪魔だったのか、シュアラスタは相当乱暴に彼女を突き放し、ついでに赤いコートの背中を靴裏で蹴飛ばした。 蹴られて、咄嗟に身体の前後を入れ替え顔から転ぶという醜態は避けられたものの、背中から壁に激突し息を詰まらせずるずるとその場に座り込む、チェス。手加減してくれないシュアラスタといえば、正直、武器を持たせているより素手の方が手強いのだ。下手に抵抗するより、黙ってやられておいたほうが少しは…注意も逸れて逃げ出すチャンスもあるだろう。 (……絶対、こいつも後で殴る!) びしゃ、と床の血溜まりに尻餅を着いたチェスを胡乱に見下ろし、シュアラスタは紙巻をくゆらせたまま弾丸を再装填。その間にも、あー、とか、なんだっけ? ほら。とか必死に何かを思い出そうとしているようだった。 「下でおやりって言ってるだろう! 色男。あたしのかわいい手下に手ぇ出すんじゃないよ!」 「うるせぇ。俺に指図すんじゃねぇ!」 怒鳴ったギャレイに苛々と叫び返して顔を上げ、、それから、さも不思議そうに周囲を見回したシュアラスタが、ふと顔を顰める。 「……なんだっけ…、ここは…………。どこだ?」 意外にも広い部屋。 長椅子と、ソファと、ベッドルームに続くこげ茶色のドア。 毛足の長い上等そうな絨毯。 無意識の意識。被った記憶。顔も形もはっきりしないのに、よく知った女がなまめかしい衣装でくつろいでいる、思い出したくないあの場所。 赤い三角屋根の…、あの場所。 「どこ…だ? シ…………」 シュアラスタが、誰かの名前を…、呟きかける。 瞬間、チェスは、膝元に転がっていた黒服の千切れた腕を掴んで、キャメルのコートに投げ付けていた。 何度も聞いた名前。シュアラスタの口からは、一度しか聞いた事のない名前。しかしチェスはその「一度」で酷く不機嫌になり、それから今日まで、多分明日からも、シュアラスタの口から二度とその名を聞きたくないと…思っている。 「ばかね、あんた。相棒の名前も忘れたの!」 コートの裾を掠って床に落ちた血まみれの腕。それと、眉を吊り上げ睨んで来るチェスの顔を何度か見比べてから、シュアラスタは撃鉄を挙げたままの銃、その銃口で、がしがし頭を掻いた。 「……………あぁ、そうだった。もう…、……………」
その女性は、死にました。
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