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    占者の街    
       
閑話休題

   

 疲れてぐっすり眠っていたのをたたき起こされ、ネル・アフ・ロー保安官見習いは不機嫌だった。寝癖のついた短い髪をしきりに気にしつつ細い階段をのらりくらりと上がって、ようやく、自分とあのバスターに宛われた仮の執務室に辿り着く。

 まだ夜明けには間がある。遠くの空は暁に染まり始めていたが、ミムサ・ノスにはその気配さえ届いていなかった。

 なのに、一体なんだというのだろう。

 ネルは憮然とした深い溜め息を吐き出してから、勢いよくドアを引き空けた。

「ネル・アフ・ロー出頭……」

 てっきりダーグ保安官主事が待っているものと思っていたネルは、室内に目を向けた途端黙り込んでしまった。それまでの不機嫌も眠気も吹き飛び、一瞬で、全身にべったりと冷や汗が出る。

「おはよう、保安官見習い」

 にこやかに彼を出迎えたのは、シュアラスタだった。

「あ…おはよございます」

 すごすごと室内に踏み込むネルを待ち構えていたのは、シュアラスタだけではない。チェスも、ルイードも、もちろんヌッフもいる。シュアラスタは部屋の中央に突っ立ったまま横柄に腕を組んでいたが、外の三人は今にも部屋を出て行きそうな顔で、ネルの両脇に立っていた。

「どうかしましたか? バスター」

 それでも、やはりネルは落ち着いて見えた。必要以上に怯える事も無く、多少緊張してはいるのだろうが、しっかりとシュアラスタを見据えている。

 こっちに来い、と手招きされてネルがシュアラスタの正面に移動すると、シュアラスタはにっこり微笑んでネルをその場に置き去りにし、つい今しがたまで彼の立っていたドア前へ爪先を向けた。その背中を追いかけて振り向きながら訝しそうにしていたネルは、完全にドアを正面にした時、何か奇妙な予感に掻き立てられて、無意識にそわそわと視線を揺らめかせていた。

 文字通り、置き去りにされた気分。お前は保安官で俺たちは悪党だ、と無言で宣告された…嫌な気分。

「バスター?」

「ネル・アフ・ロー保安官見習い。これがなんだか、判るよな?」

 不安げなネルの顔を無視して、シュアラスタは紙片をコートの懐から取り出し、広げて彼に見せ付けた。

「? それ、契約書、ですよね」

「そう。俺たちがここの保安部の代表…、つまりお前と交わした、窃盗事件解決依頼書だ」

「それが何か?」

 なぜ、こう質問ばかりしているか、ボクは! とネルが苛々髪を掻き毟る。

「契約を破棄だ、保安官見習い。違約金は、今からこの町で一仕事する俺たちの吊るす手配者に対して支払われる報奨金の、半分」

「…え?」

 ネルは、にやにや笑いのシュアラスタが何を言っているのか判らなくて、きょとんと目を見開いた。

「待ってください! それって、どういう事なんですか!」

「どうもこうもないでしょ? 保安官見習い。町で頻発してる窃盗事件の実行犯なんぞ、捕まえたってしょうがねぇんだよ。そんな事件は、ある意味最初からなかったんだからな」

「…………」

 ネルは、何か言わなければならないと思った。しかし言葉が出ない。もう質問さえも浮かばなかった。ただ、紙巻の炎を移されて燃え上がった契約書を呆然と見つめ、胡乱に、喉の奥で唸っただけ。

 ただ、判った。

 無言でネルに背を向け、部屋を出て行ったあの悪党たちは、何かを掴んだのだ。この町に暮らし、この町を少しでも守ろうと決めて保安官を目指すネルよりも短時間で、彼らは、知ったのだ。

 本当にこの町に起こっている、何かを。

「とうさん…判らないよ。ボクにはやっぱり…」

 大好きだった父と兄も、悪党だった。

 生まれ育った町を守るためにバスターになった、とネルに…言った。

「なぜあんな風になってまで、自分勝手に命令する連中に散々罵られてまで、それでも…………!」

 ネルは顔をしかめて唇を噛み、最後の言葉を飲み込んだ。

「死んでゴミのように扱われると判ってるのに、誰より人の居る場所を知り尽くしているのか、ボクには、判らない」という呟きは、まだ、彼の口には上らなかった。

 大好きな父と兄は……、………………もう、いない。

  

   
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