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     ま え が き

 この本は、国による恐るべき狂乱をえがいたものである。
 国が何らかの理由で目をつけた人間を彼らのリストにのせ、その者を心身の両面から迫害し、葬り去る。
 この国の行為をどこへ訴えてもどうにもならない。その者に対しては、全ての門が閉ざされる。しかしただひとつ、精神病院の門だけは広く開かれ、その者を迎え入れようとする。

 筆者もそのリストにのせられた一人である。私のことで、えたいの知れない機関が動いているのをはっきり感じたのは28歳のときであった。そのときになって、いつからその機関が私のことで動きだしたのだろうと考えた。過去をふりかえってみると、すでに中学時代には思い当たることがあった。するとその原因は、それより以前のことにあるのだろう。
 その機関が私を中傷する内容をみていて、原因は私の子供の頃、まだ小学校低学年の頃のたわいのない遊び(大人の真似事?)に端を発しているように思われた。しかし、誰もこのことを私に向かって言及することはしなかった。そして、ただ私をはねつけた。
 機関にすれば、それを私に明らかにし、そのたわいのなさを私に暴露されるのを恐れたのだろう。
 彼らのリストにのせられ、迫害されている人たちは、どれも似たような、たわいのない理由で選ばれているのではないのか。

 その原因になった行為が、はっきりした犯罪行為なら、機関がおどりだすまえに、警察が刑法に基づいて動くはずである。ところがそのたわいのない理由で機関がおどりだし、警察まで振り回す。警察がその誤りに気がついてもどうにもならない。機関の行為に対しては誰も手出しができない仕組になっているらしい。そして機関の気違いじみた行為がひとり横行する。まさに狂乱としか言いようがない。どこへ訴えてもどうにもならない以上、私が経験してきたことを発表し、機関の存在及び行為を明らかにするしかなかった。

 機関はその正体を決して私の前に現わさず、私が直に接する人々を毒し、その者たちを通して私を苦しめ、破滅へ追いやろうとする。だから、私が機関の行為を明らかにするためには、私がこれまでに接した人たちの状態の変化に言及しなければならなかった。だからこの本が出たなら、それらの人たちから、名誉毀損だの何だのといって責められ、訴えられるかもしれない。しかし、私の人生はすでに目茶苦茶にされてしまっている。私はこれ以上、何も恐れるものはない。

 この本の初めのほう、約五分の一は、私が釜石製鉄所にいた頃の十年間の日記で占められている。この頃の日記をこれほどまで引用することに不審を感ずる人もいるでしょう。
 この頃の私には、まだ機関の行為がはっきりしたかたちで意識されていなかった。ただ苦しかった。
 この会社にいる間に、まだその存在を知らなかった機関によって、想像を絶するような私の虚像が作りあげられ、まわりの人々に植えつけられ、そして成長していった。
 この虚像には本当に苦しめられた。とうとう私はこの会社から逃げだした。しかし、その後も虚像は迅速に私につきまとい、さらに異様さを増していった。

 私は「私の半生」なる本を自費出版し、その虚像をくつがえし、機関の行為を明らかにしようとした。しかし不十分であった。省略に省略を重ねたその本の訴える力はすぐに失わされた。私の虚像を植えつけられた人々は、その虚像に対する機関の行為は正しいと思い込まされる。
 虚像をくつがえすには、その虚像が作られつつあったのと同じ時期に書かれた私の日記を引用しなければならなかった。
 また、この頃の日記に現れている私の「人間」と、機関の気違いじみた攻撃とは無関係ではないと思われるので、この頃の日記の引用は避けることができなかった。

 本書に出てくる人名、名称は、できるだけ実名を用いるようにしたが、女性についてはごく一部を除き、仮名を用いた。男性についても、不必要なトラブルを避けるため、一部仮名を用いた者もある。その際、(仮名)とことわりを入れた。
 本書で実名をあげられ、名誉を傷つけられ、損害をこうむる人たちに対しては本当に申しわけなく思う。しかし、機関の行為を明らかにし、廃止の方向へもっていくためにはこうするしかなかった。このことを理解され、私を責めるのは最小限にとどめられることを望む。

  1993年(平成5年)9月17日

沢 舘    衛

 


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