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   ある回想、そして現在  ('06.8.1追加、'10.1.7更新

ある回想  追突事故  自家用車への不安  全国弁護士会  ある病院への申入書  津久井警察署  思いつくままに  内閣総理大臣  横浜合同法律事務所  人権侵害個人通報制度  毒物による症状  法務省「インターネット人権相談」

 

 ある回想

それは私が二十代はじめの頃のことだった。
 私は大槌の町から釜石製鉄所へ汽車で通っていた。
  ある朝、私は釜石駅を出、左へ曲がった。
 20mほど行ったとき、JR(当時、国鉄)の構内へ通じる門の陰からフォークリフトが私めがけて急発進して来た。
 私はとっさに運転手の顔を見た。彼は私の足元の少し先を仕方なさそうに見つめていた。
 私はかろうじて身をかわし、難を逃れた。

このとき私は、得体の知れない何者かが、私を消そうとしているのを感じた。

しかしそれはあり得ないことだった。
 何で私が?! 人一倍静かで平凡な私が? 
 だが実際に起こった。
 不気味で恐ろしい。
 私は自分の将来に不吉なものを感じた。

このことをいくら考えてもどうにもならなかった。考えないようにした。
 だが「何かある」という思いが心に深く刻み込まれた。

私はこのことを日記に書かなかった。触れたくなかった。

 

 追突事故

それから数十年たち、私はこの神奈川の地で、ある会社に就職し、ある日、仕事でトラックを運転していた。

2000年(平成12年)2月のある朝(10時40分頃)、私は高速道路を走っていた。渋滞気味で60kmくらいの速度で走っていた。私の前を大きなアルミバンのトラックが走っていた。まだ新しく、輝いていた。突然そのトラックが私の視界に急速に飛び込んできた。私は思いっきりブレーキを踏んだ。「間にあうかな、だめかな」。ガシャーン、追突した。運転席の前がへこみ、左足のすねに痛みを感じた。しかしたいしたことはなかった。ドアは開かなかった。エンジンもかからなかった。

やがて道路公団のパトロール隊や警察(警視庁高速隊)がやって来た。パトロール隊員がドアを外から無理やり開けてくれた。
 私は警察の車に移され、事情を聞かれた。
 警察官の話から私は次のことを知った。
 私の前のトラックの前方に、さらに別のトラックがいて、それらも追突事故を起こしていた。私は前の2台が最初に追突事故を起こし、そこへ私が追突したのだと思った。しかし最初に追突したのは私だった。前の2台は玉突き事故だと言う。
 私は話していて、二人の警察官から何か不自然なものを感じた。

私は名刺を持って、前の2台の運転手に謝りに行った。先頭には薄汚れたトラックが止まっていた。
 私のすぐ前のトラックの運転手は若い女性だった。首を痛めたかもしれないという。「シートベルトを締めていなかったほうがよかった」とも言った。
 私は先頭のトラックに行き、謝った。その運転手の男は私を見ずに「たいした怪我もなくてよかったな」と冷たく言った。『わざとやったな!』私は直感した。

これらの状況から、私の頭に次のようなことが浮かんだ。
 先頭のトラックが、前が詰まっていないのに急停止した。その後ろを走っていたアルミバンも急停止した。私がそれに気付くのが遅れた。
 ま新しいアルミバンの後部には朝日が当っていて明るく、ブレーキランプが点灯したのに気がつかなかった。またアルミバンの前方の状況は視覚的に私にはつかめなかった。

先頭のトラックの運転手が警察官から、「前が詰まっていなかったのになぜ急停止した?」 と追求された。
 運転手は「任務でやった」と答えたのではないか?  
 この事故について、その後、私には一切、何の通知もなかった。  

 

 自家用車への不安   

2004年、津久井に引っ越してから、車がないと不便なので、私は小さい車を購入した。初めて自分の車を持った。
 車には定期点検というのがあった。そのうち車検もある。
 私は自分の車に不安を感ずるようになった。走行中にブレーキが効かなくなるのではないか? ハンドル操作が出来なくなるのではないか? 何かの部品が折れ、外れるのではないか?

交通事故に見せかけて、私を消すことが出来る機会があることを知ったなら、「機関」はその機会を見逃さないだろうと私は思った。

 

 (2006年8月31日 追加)

   全国弁護士会

2006年8月、全国の弁護士会へ、協力を求める書状を郵送した。
  横浜弁護士会を除き、51通になった。
  どこからも何の反応もなかった。私のホームページへのアクセス数も通常に比べ、特に増加もしなかった。
 事務の段階で処理され、弁護士の目には触れなかったのか。

 

    ○○弁護士会 御中  
                     2006年8月10日  
                           沢舘 衛

めてお便りさせていただきます。  
  私は十代後半からこれまでの50年近くにわたって、国のブラックリストらしきものに載せられ、苦しめられてきました。  
 「内閣情報調査室」が動いているらしいことがわかりました。  
 国に質問状を送り、その事実と理由を求めましたが答えませんでした。
 「回答請求事件」として争いましたが、判決は、私には国にそのような回答を求める権利はなく、また国はそれに回答する義務はない、として進展はありませんでした。

この件でいろいろなところを歩き回る中で、私と同じ目にあっている人がほかにもかなりいることがわかりました。
  国のこの行為に対しては、誰も手出しが出来ない仕組みになっているようです。
 しかし私は、国のこの行為は、「間違い」「悪」「犯罪」であると確信しています。
 私と、私と同じ目にあって苦しんでいる人々を救っていただきたく、またこのような「制度」を明るみに出し、廃止の方向にもっていっていただきたく、このようなお願いに出ました。
 私が国の「機関」とたたかってきた経過は、私のホームページで公開しております。
 そちらをご覧になっていただき、お力になっていただければ感謝いたします。
 この書状は、過去に何度も訪ねたことがある横浜弁護士会を除いた全国の弁護士会宛に送らせていただきました。
 よろしくお願い申し上げます。

 氏  名 : 沢舘 衛
  住  所 : 神奈川県相模原市 津久井町
  ホームページ:http://www5a.biglobe.ne.jp/~sawadate/  

 

(2009年8月27日追加)

  ある病院への申入書

最近、ある病院へ提出した申入書。

 ○○○病院 院長 殿
                2009(平成21)年8月12日
                    沢舘 衛

8月7日、私は○○○病院で市の健康診断を受けました。
 そのとき不審を感じたことがあります。
 そのまえに、私がおかれている特殊な状態を説明させていただきます。

私は若いころからずっと、国のある「機関」(内閣情報調査室?)によって迫害されてきました。中傷され、就職を妨害され、飲食物に毒物を入れられるといった。
 詳しい状況は添付の本「うじ虫のよろこび」および、私のホームページで公開しています。
 ホームページ: http://www5a.biglobe.ne.jp/~sawadate/  

当日、他の人たちはみんな検査が済み、着替えをして帰った後も私はずっと待たされました。胃がんの検診が残っていました。何かおかしいと思いました。
 一人の職員がやって来て「もう少しすると検査の準備ができますから」と言いました。
 さらにしばらくすると、初めて接する女がやってきて私を案内しました。その間中、彼女は意味のわからない笑いを浮かべていました。彼女は純粋な日本人ではないらしく外国人名のカタカナ交じりの名札をつけていました。
 胃がん検診の前に胃の動きを抑える注射をするらしい。しかしどこでするのか決まっていないようでした。内科へ行ったが断られ、外科へ。そこの処置室で注射をしました。
 院内を移動するとき、彼女は普段一般患者が立ち入ることができないような部屋や通路を通りました。

検査室へ入りました。技師の様子が明らかに変でした。
 私は何が入っているかわからないバリウムを飲みたくありませんでした。しかし飲まざるをえませんでした。

病院を出、のどに痛みを感じました。この傷みは家に帰って水を飲んだところ、速やかに消えました。そのほかの症状は感じられませんでした。

私が待たされたのは、「機関」がある準備を整えるのに時間がかかったからではないのかと思います。彼らの思い通りに動く技師をどこからか連れて来るか、あるいは院内の技師を工作するために。(しかしこのようなことは前もってできたはずなのですが)。
 「機関」がこのような愚かな犯罪行為をする場合、病院の組織を通して行うことはないと思います。病院内で働く何人かの職員に直接近づき、工作するでしょう。
 7月29日、検診の予約申し込みをしたとき、応対に出た職員からすでに何かよくないものを感じました。

病院が「機関」に、おどる場を与えないようお願いいたします。

       相模原市 津久井町
          沢 舘 衛

     

この申入書を持って2009年8月12日、○○○病院を訪ねた。受付で用件を告げるとしばらく待たされた。出てきた事務課長と相談室で話した。「上層部へ伝えておく」ということだった。
 私は健康診断の結果説明を25日に聞きに来るが、説明には院長が当たるのかと彼にたずねた。そうだという。

8月25日、健康診断の結果を聞きに病院を訪ねた。
 このまえ私に接した職員らの態度はすっかり改まっていた。

説明には院長が当たった。院長は「申入書」には触れなかった。その「申入書」は彼のところまで行っていると思うのだが、間違いなくそうかというと確信を持てなかった。
 私のほうから言及しようかと思ったがやめておいた。

 

(2009年9月18日追加)  

このあと何日かして考えた。この地域の各病院には「機関」からすでに御触れが出され、私がどこの病院を訪ねても同じようなことをされる可能性があるのではないか?「機関」のおどりはこの段階にまで達しているのか。
 改めて思い知らされる。「気違いに権力は本当に怖い

 

(2009年10月8日追加)

 津久井警察署

私は津久井へ引っ越してきてから4年以上になるが、私の人権問題でこの地の警察を訪ねたことはなかった。
 ただ、今回の病院の件を考えると警察の力を借りたいと思った。

10月3日、警察署を訪ねた。資料として私のホームページから一部を印刷して持っていった。「トップページ」、「私に向けられた言葉集」、「私を迫害し続けているものたちへ」、「ある回想、そして現在」。

部屋の奥から一人の警察官がやって来て玄関の椅子でしばらく話した。彼は「機関」のことも私のこともよく知っていた。(どうして?)
 「機関」による人権侵害については「警察は国を取り締まることはできない」と言い、病院の件については「 証拠(バリウム)がない」と言った。
 彼からは、警察が私のために何かしてやろうという姿勢は感じられなかった。

 

(2009年10月8日 追加)  

 思いつくままに

私は「訴その八」に次のように書いた。  

「私をとりまく者たちにえさを与えて狂わせ、その者たちに私を評価させる。そこから浮かび上がるのは、当然、私の狂った人間像である。」

現在、これと同じことが私の自宅の周りでもやられているようだ。

愚かでばかげきった、それでいて恐ろしい行為がどうして誰にも咎められることなく世の中を大手を振ってかっ歩できるのだろう?本当に不思議である。何かが大きく狂っている。

 

(2009年10月29日追加)

 内閣総理大臣

10月13日、鳩山首相に以下の文書を郵送した。 

 

  内閣総理大臣
    鳩山 由紀夫 様

                     2009年10月13日
                     沢舘 衛

政権交代でお忙しいところへこのようなお願いをすることをお許しください。

10月4日、「首相官邸」ホームページのフォームより下記の文面を送信いたしました。もしかしてそれがホームページ担当者のところで止まっているのではないかと懸念し、あつかましくも再度、郵送のかたちでお送りさせていただきます。

私のホームページの一部のコピーも同封させていただきました。

トップページ
まえがき
私に向けられた言葉集
最高裁判決(回答請求事件)
上告理由書(回答請求事件の上告理由)
国連人権委員会への訴文
声明文「私を迫害し続けている者たちへ」
ある回想、そして現在

私は十代後期から何者かの差し金で起こると思われる処遇で不快な思いをしてきました。二十代になりそれは激しさを増しました。10年勤めた会社もそれ以上我慢したら精神に異常をきたすのを感じて辞めました。

その後、千葉、神奈川と渡り歩いてきましたが異様な現象は迅速に付きまといました。嘲笑され、気味悪がられ、就職もできませんでした。かりにできてもすぐに我慢できない状態になったり、解雇されたりしました。飲食物に毒物を入れられることもありました。間違いなく何者かが陰でおどっているのを確信しました。

人権擁護機関、報道機関、弁護士、警察などを訪ね、訴えましたがどうにもなりませんでした。それらは大きな力で抑え込まれるようでした。法務省人権擁護局の担当者(加藤)は「あんたの問題を取り上げたためにうちがつぶされるようなことがあっては困る」と言いました。弁護士(田中富男)は「どこへ行っても、これを取り上げてもらえないということは、今の制度では、この問題は無理だということなんですね。過去のことは忘れてしまいなさいよ。いつまでもそのことにしがみついていると、あんた自身、不幸になりますよ」と言いました。あるカウンセラーは「あんたの問題は国へ行かなければどうにもならない」と言いました。

陰でおどっているのは国の機関であることがわかりました。後になって「内閣情報調査室」という名称が私の耳に入ってきました。

私は国(及び神奈川県)に質問状を送り、国が私にそのようなことをしている事実の有無と、しているのならその理由、目的を回答するよう求めました。しかし返事はありませんでした。回答請求事件として裁判で争いました。最高裁までいきましたが、私には国にそのような質問をする権利はないし、国はそのような質問に回答する義務はないという判決でした。

その後も迫害は続いています。つい最近では、病院で健康診断を受けたとき、飲んだバリウムに何か悪いものを入れられたことが確信できました。数日後、院長宛に申入書を提出しました。津久井警察署も訪ね、私の人権問題と、病院での件を話しました。それに対し、警察は国を取り締まることはできないとか、証拠がないと言われました。

国のこの「機関」をどうにかできるのは内閣しかないと思います。何の罪もない善良な国民が、理由など一切告げられないまま不当に迫害され健康を奪われ抹殺されるという「制度」はあってはならないと思います。
 内閣総理大臣と内閣がこの問題に取り組まれることを切望いたします。

詳しい状況は私のホームページで公開しております。

 URL: http://www5a.biglobe.ne.jp/~sawadate  
    または「うじ虫のよろこび」で検索。

 住所: 神奈川県相模原市 津久井町
  氏名:沢舘 衛(さわだてまもる)

 

これに対し、総理大臣から2009年11月末、はがきが届いた。意見などを寄せられた人に送る印刷されたはがき。手書きで「お手紙賜り有難うございます。」と記されていた。

 

(2009年10月29日追加)  

 横浜合同法律事務所

10月16日、横浜合同法律事務所(自由法曹団横浜支部)を訪ねた。

ネットで「自由法曹団」を検索しているとそれは共産党の傘下にあるみたい。困ったな。しかし私は共産党の悪口を書いたことはない。ありのままを書いただけである。ちゃんとした人間ならわかってくれるだろうと思った。

電話で法律相談の予約をした。料金は45分で5250円だという。後で考えた。金をかけて相談したところで成功する確率は数パーセントである。すぐにキャンセルした。一晩考えた。今、せっぱ詰まったところまで来ている。その数パーセントに賭けてみようか。
 朝9時、電話して再度予約した。相談は当日の午後1時から1時45分までだった。
 1時前に着いた。1時10分過ぎ、弁護士は現れた。北神英典という弁護士だった。私はどうしても読んでほしいところを私のホームページから印刷して持って行った。しかし彼はそれをほとんど読まなかった。私が話すことに対し、彼は「具体的な事実がない」「これではどうしようもない」と言った。持ち時間がまだ10分以上もあったのに彼は「次の相談もあるので」と相談を打ち切った。
 彼は受付の婦人に何かささやき、姿を消した。その婦人は私に相談料を満額請求した。ぼったくりの被害にあったような思いがした。
 しかしその婦人は私に同情しているようだった。ドア口まで私を見送ってくれた。

 

 (2009年11月26日 追加)

 人権侵害個人通報制度

最近私は、日本は国際人権規約の中の「人権侵害個人通報制度」の受け入れを拒否し続けているということを知った。
 「人権侵害個人通報制度」とは、人権侵害を受けている者が国内であらゆる手段を講じても救われなかった場合、国連の自由権規約委員会に直接訴えを起こし、救済してもらうことができるという制度。

主要か国の中でこの個人通報制度を受け入れていないのは日本だけだという。だから私が個人で直接、国連の人権委員会に訴えてもどうにもならなかった。

日本が個人通報制度を拒否しているのは、それを受け入れたなら「機関」が作業しづらくなるからではないのか?

今年、民主党に政権交代が行われた。民主党は「人権侵害個人通報制度」を受け入れる方針だという。

 

(2009年11月30日追加)  

  毒物による症状 

私は三十代初めころ(1975年)から、「機関」が私に密かに投与すると思われる毒物によって苦しめられてきた。
 足の末端の痛み、しびれ、冷え、脚全体のむずがゆさ、だるさ、といった症状。感覚的に血液の循環がよくない症状。
 いくつもの整形外科を訪ねたが原因はわからなかった。内科を訪ねるべきだったのかも。

私は「機関」が使うこの毒物は、体のどこを損傷させるものなのか、ずっと気になっていた。
 血液の流れに関係したものであることはまちがいないだろう。症状からいえば「閉塞性動脈硬化症」が当てはまるのだが。

この症状はここ数年弱まっていたが、つい最近また強くなった。毒を盛られる機会はなかったはずなのだが。考えられるのは裏庭で作っている野菜類であった。何かやられたのか?  

次は私がこの症状を初めて感じたころ記述したものです。

ひざに鋭い痛みを感じ、それがすねの骨(そのように感じられる)や筋肉の断続的な痛みに変り、足が疲れやすくなる。十数分歩いただけで一時間も歩いたような疲れを感ずる。ひざは曲げ伸ばしするとき、ギクッとか、コキッと音をたて、なめらかさを欠く。また、朝起きて歩き始めの二、三歩に足首に痛みを感ずる。ひざの痛みは一時期だけだった。

足の鈍い痛み、しびれは、歩いているときより、じっとしているときのほうがよけいに感ずる。座っているときとか、寝ているときに。
 しかし、症状がひどくなると、歩いているときのほうが苦痛になる。地面に触れる足の裏が痛み、正常に歩けなくなったことが一度ある。足の裏だけでなく、手足の一部が他の物に触れると、その触れた部分に病的な痛みを感ずる。また、皮膚にむずがゆさを感ずる。このとき皮膚に赤い斑点が出ることがある。また、足がとても冷える。

 

(2009年12月12日追加)

 法務省「インターネット人権相談」

1025日、津久井の「やまびこ祭り」の会場(中野中学校体育館)を出るとき、一人の婦人が私を追って来てパンフレットを渡した。人権相談に関したものだった。法務省人権擁護局が発行したもの。
 私はそのとき大きなマスクをしていた。でもその婦人は私を見分けた上で追って来たようであった。変だなと思った。

 法務省人権擁護局へは過去に何度も訪ねてどうにもならなかった。
 政権交代がなされ、法務大臣も代わり、法務省に変化が訪れたのか。

パンフレットの中にあった「インターネット人権相談」から相談してみることにした。
 以下その全文。(送信日 2009123日)

国によるいじめ。国が何らかの理由でリストに載せた人間をあらゆる手段を用いて抹殺する。その理由は本人には一切知らされない。中傷し、笑いものにし、就職を妨害し、社会から孤立させ、その者を発狂、自殺へと追いやる。それがうまくいかないと毒物を密かに投与し、徐々に健康を奪っていき葬り去る。
 私もこのリストに載せられ
50年間近くにわたって苦しめられてきました。考えられうる人権擁護機関を訪ねました。法務省人権擁護局にも何度も訴えました。しかし「あんたの問題を取り上げたためにうちがつぶされるようなことがあってはては困る」と言われました。(加藤氏) 
  どこへ訴えてもどうにもならないので、自分のホームページを開設し、一般国民には知られていないこの「制度」を公開してきました。
  人権侵害の具体的な内容をここで記述することは困難です。私のホームページにアクセスしていただき、見ていただきたいと思います。
  よろしくお願いいたします。

 URL http://www5a.biglobe.ne.jp/~sawadate/

   

これに対し、5日後の128日、メールで返事があった。横浜地方法務局人権擁護課からであった。

 

沢舘様のメールを拝見いたしました。
  当機関は、不当に人権が侵害された場合、その被害を受けたとされる方からの申告に基づき、相手方等から任意に事実確認を行い、人権侵犯事実が確認できれば相手方に対し啓発等を行う行政機関であります。しかし、強制権を伴う捜査や立ち入り権限を有せず、相手方に対する処分権もありませんので、あらかじめご了承ください。
  ご相談の内容ですが、いただいたメールだけでは具体的な人権侵犯事実が確認できませんでした。当機関の関与を希望される場合は、面接等で詳しくお話を伺う必要がありますので、下記の電話番号までご連絡ください(受付時間:午前8時30分〜午後5時15分)。

横浜市中区北仲通5−57
 横浜地方法務局人権擁護課

  TEL 045-641-7926

 

「具体的な人権侵犯事実が確認できませんでした」という文章を読んだとき、私は『これはだめだな』と感じた。私は何十年もまえから、救済を求めて訪ねた先々で「具体的な事実がない」と言って拒否されてきた。

1210日、私は電話した。私のホームページを見てもらえたかを尋ねた。相手は、全部ではないが該当するところは読んだと答えた。
 「私はホームページに全てを書いた。直接会っても、それ以上具体的なことは何も言うことはできない。ということはこの件はこれでおしまいですね」と言った。相手は「ええ、そうですね」というようなことを答えて終わった。

(2010年1月7日追加)
  しかし何か引っかかるものがあった。
 私が総理大臣に書状を送った。総理大臣が法務大臣に指示を出し、法務省は地方法務局へ指示を出し、向こうから私に救いの手を差し伸べてきたのではないか。そんな、ありえないような空想をしてみた。

だめで元々、相談してみようと思った。12月24日、法務局へ電話をし相談を申し込んだ。相談日は28日午後1時から。
 28日、横浜地方法務局人権擁護課を訪ねた。人権擁護委員(一般市民)だという婦人が相談に当たった。むかしは人権擁護課の職員が当たっていたようだったが。
 彼女は詳しい内容は知らなかった。私は説明した。彼女も「具体的な事実がない」と言った。私は
私のホームページから「ある回想、そして現在」を印刷して持って行った。それを読んでもらい、話しているうちに彼女は真剣になってきた。「そういうことがやられている事実を掴んだならわたしは立ち上がる!」というようなことまで言った。私は「命が危なくなりますよ」と言った。

 


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