この気持ちが、あなたの魔法が生み出したものだとしても。
本当のあなたが、あのとき見た冷ややかな悪魔だとしても。
Scene 10
銀のエリュシエル
ヒロイン役を受けたものの、撮影に入るのはゴールデンウィークかららしい。
「ごめん。そんなわけで、ゴールデンウィーク空けといてくれる?」
北条くんが小首をかしげてお願いポーズをする。
ただ、彼のうしろで、山下……じゃない山本くんが、なんとなくがっくりしているのは気のせいだろうか。
もしかして、この人、映画に出るのが嫌とか。それとも、わたしが相手役なのが気に入らないとか?
「空けるのはかまわないけど。うしろの彼、出たくないんじゃない?」
思わず、意地悪く訊いてしまう。
「ああ、山本はシャイなだけ。水梨さんがヒロインに決まって、緊張してんの」
「ばっ、馬鹿。なんつーことを、北条!」
山本くんは、また真っ赤になって叫んだ。
たしかにシャイな人だ。とても映画の主役がつとまるとは思えないんだけど。
「で、出るの、出ないの? 山本くん?」
「……え、山本くんって……オレ?」
この流れでなにが「オレ?」なんだろう? ちょっとイライラする。
「ここで山本って、あなたしかいないじゃない」
「そりゃまあそうだけど、いきなり、ゆ……じゃなくて……ええっと……ああ、その、出るよ」
ぼそぼそと、そっぽを向いて答える彼の言葉が、わたしへの返事だと気づくのに少しだけかかった。
この人って、結構イライラする。だけど──なにかがひっかかるのに思い出せない。
「おはよう、悠乃サン」
席に戻ると、美瀬くんがわたしを見上げてにっこり笑った。朝の陽射しを受けて、さらさらの金髪が揺れる。
「おはよう、美瀬くん」
イライラした気分が、すっきりとした彼の顔を見て一気にさわやかになった感じ。
「彼らの映画って、すぐ撮影に入っちゃうの?」
「ううん。ゴールデンウィークからだって」
わたしが答えると、金色の王子様はさらりと言った。
「じゃあ、デートに誘うなら、ゴールデンウィーク前だね」
華やいだ笑みを浮かべたまま、わたしをじっと見つめる。すい込まれそうな、緑の瞳。
「今度の日曜、水族館に行かない?」
彼の声に、気がつくとわたしはこくりと頷いていた。
──なんだろう、この感じ。
そのとき、ぷるぷるとケータイが震えてメールの着信を告げた。絵里からだった。
「昨日はごめん。今日の帰りは美瀬くんに譲るね。お似合いだから、がんばって。絵里」
美瀬くんとお似合い? 悪い気はしないけど、なんだかくすぐったい。
美瀬くんが誘ってくれたので、一緒に帰ることになった。
途中、昨日と同じ喫茶店に寄り道をして、ふたりでランチ。彼は王子様らしく、クロックムッシュのセットをナイフとフォークできれいにたいらげた。みかんをきれいにむく指先が心をかすめたけれど、あの人とじゃ学校帰りのランチはできない。
わたしはなんとなく、セットデザートのいちごアイスを美瀬くんに差し出した。
「いいの?」
彼はやわらかく微笑って、それをぱくりと口に入れた。
「悠乃サンも食べる?」
美瀬くんカシスのジェラートをスプーンにのせて、くすくすと笑う。わたしもそれをぱくりと口にした。
飛び退くように、真っ赤になってあとずさったあの人がふと浮かぶ。全然、かっこよくなかった。かっこよくなんかなかったのに。
「悠乃サン。どうして泣いてるの?」
美瀬くんが心配そうにわたしの顔をのぞきこむ。
「ごめん……美瀬くんが悪いんじゃないの」
美瀬くんと一緒にいると、どうして、あの人のことばかり思い出してしまうんだろう。
「おとといの彼氏のこと?」
わたしはびくりと震えた。
「なんだか、ちょっと怖かったよね」
「いつもはあんなじゃないんだけど」
あのときの彼は──怖かった。悪魔みたいに。
「彼のこと、好きなの?」
驚くほど間近に、美瀬くんの顔があった。いつのまにか、彼はわたしの隣の椅子に腰掛けてわたしの髪をなでていた。
「美瀬くん?」
あとずさろうとすると、頭のうしろに手をまわされ、逆にひきよせられる。ふわりと、美瀬くんの甘いコロンの香りがして、彼は顔に似合わない低い声でささやいた。
「どんなに好きでも、もう彼を呼んじゃだめだよ。あれは銀のエリュシエル。混沌の悪魔だから」
銀のエリュシエル──それがあの人の名前?
「あ……なたは……誰?」
彼の腕から逃れようとしたけれど、濃い緑の瞳に射すくめられて身じろぎもできない。言葉だけがとぎれとぎれに唇にのった。
「悪魔払い師だよ。大好きな悠乃サンにだけ、本当の名前を教えてあげる。ぼくの名前はね、ヴィセリオン。あれがあらわれたら、呼んで。必ず君を助けるから」
美瀬竜也──悪魔払い師のヴィセリオンはそう耳許にささやいた。