悪魔はシャイに I Love You

第3幕 銀の雨 Scene 1


「キミの願いをかなえよう。銀のエリュシエルの名において、オレはキミだけの恋人だ、水梨悠乃サン」
 そう、オレはキミだけの恋人だ。
 でも、悠乃サン、キミはエリュシエルの恋人だけれど──エリュシエルだけの恋人じゃない。

Scene 1
封印の解けた朝


 魔の封印が解けて、オレと悠乃サンが恋人の誓いをした日。
 彼女を家に送り届けると、オレは自分の部屋に戻った。充電したままのケータイを見ると、まだ悠乃サンに呼ばれた日の真夜中だった。封印が解けたり、死にかけたり──あんなにいろいろあったというのに、この時間の流れはどうなってるんだろう。そう思ってから、美瀬の結界の内と外では時の流れがちがうのだと、悪魔のオレは気がついた。
 そうだ──オレは人間じゃない。ゆっくりと、狭い部屋のなかを見回す。積み重なった本やCD、小さなテレビが目に入る。
 オレが本当の悪魔なら、ここはなんだったんだろう。親父やおふくろは、偽物なんだろうか。いままでのオレは、偽物なんだろうか。
 そんなことをぼんやりと考えながら、オレは山本陽一の姿で、ベッドに仰向けになった。いまなら解る。人としてのこの姿は、すべてに向かって閉じている。封じられている。悪魔の姿であれほど感じていた、世界にあふれる光と闇の脈動をまったく感じない。自分のなかに満ちたエネルギーを発動することも難しい。
 だから──オレの影はうすかったんだ。

 いつのまにか、うつらうつらと眠ってしまったらしい。気がつくと、窓から朝日が射し込んでいた。よかった。悪魔になっても、太陽の光が苦手なわけではないらしい。顔を会わせづらくて、おふくろが家を出た気配がしてから、一階へ降りた。
「ちゃんと食べなさい。美人の母より」
 そう書かれたメモの横に、ベーコンエッグがあった。
 ああ、おふくろはなにも知らないんだな。
 彼女は悪魔を本当の息子と信じ込んでるのか。
 オレは吐きそうになりながら、ベーコンエッグを無理矢理腹に詰め込んで家を出た。

 胃がむかむかする。いつもの姿に化けたオレは、みごとに人々の群れのなかに埋もれている。今日ほど地味な自分に感謝したことはない。異質な自分なんてもうまっぴらな気分だった。オレはまだ人間にしがみついていたかった。
 教室には──信じられないことに美瀬がいた。人の姿に化けた金色の髪に緑の瞳の竜族の皇子。オレと目が合うとにっこりと笑う。
「おまえ……」
 なんなんだ、この舐めた余裕は。
 オレは奴の腕を無理につかんで、教室の外へ連れ出した。
「ジミーくんにしちゃ、やることが大胆なんじゃない? クラスの女の子たちとか、悠乃サンも見てたよ」
 オレを見下ろしてくすりと笑う。悔しいことに、山本陽一は奴より背が低い。
「おまえがどうしてまだここにいる? 暗黒竜ヴィセリオン」
 真名を呼ばれた美瀬は一瞬ひるんだように見えたが、すぐに悪戯っぽい貌になる。
「そんな怖い顔しないで、感謝してよ。ぼくのおかげで封印が解けて、悠乃サンとも結ばれたんじゃない?」
「おまえの目的は」
 すかさず訊くと、美瀬はうれしそうに笑った。
「銀のエリュシエルの覚醒と観察」
 ちいさく答えてから、美瀬は大きな声で「えっ? 山本クン、ぼくに気があるの?」などと叫びやがった。
 教室から廊下のようすをうかがっていたらしい女子から、妙に黄色い悲鳴があがる。
「ばっ、バカヤロー! なんつーことを言うんだ、バカ竜」
 オレが叫ぶと、なぜかまたクラスから黄色い悲鳴があがる。美瀬はニヤリと笑ってから小声で囁いた。
「銀の翼のほうが好みだけど、ジミーくんもこじんまりまとまっててそれなりに可愛いよね」
 そのままするりとかわされて、美瀬が教室に戻ってしまったので、オレもあわててあとにつづいた。なんだか、クラス中の視線が痛い。
 ち、ちがうっ。俺はストレートだ。美瀬なんか、断じてタイプじゃない。
「山本って、美瀬のこと、バカ竜とか呼んじゃう仲なんだ」
 妙ににこにこして、三田村が声をかけてきた。そこでオレはさっきの悲鳴の意味に思い当たった。そうだ、こいつの偽名は美瀬竜也だった。
バカ竜なんてあだ名は親しすぎるぞ、オレ。
 三田村の隣の美瀬は噴き出す一歩手前みたいな表情で、その隣の悠乃サンはすっかり呆れた表情になっている。
 ち、ちがうっ。バカ竜の竜は竜族の竜であって、竜也の竜なんかじゃない。悠乃サン、オレはキミだけの恋人なんだってば。
 混乱したオレは思わず叫んだ。
「みみみ、水梨さん、誤解だ。オレは女好きなんだ!」
 悠乃サンがまえにもましてぽかんとした表情になる。その横で美瀬がにやりとして呟いた。
「……女好きのジミーね」

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