声がしたのと反対側で、なにかが切れる音。
あっというまの出来事で、はじめはなにがあったのかわからなかった。なにげなく髪に手をやって、やっと気がつく。肩の上あたりでぶつりと切られた髪。廊下に長い髪がはらりと落ちている。
わたしの、髪。
息を呑んで、思わず彼の名を口にしそうになったとき。
「悠乃サン?」
彼の声──そう思って顔をあげると、声の主と目が合った。
Scene 10
あのひとに似ている
声の主、山本くんが、ゆっくりとこちらへ駆けてくる。
ああ、こんなの格好悪い。見られたくない。とっさに思った。
「大丈夫だから」
どこか遠くで自分がそう呟くのが聴こえる。
「大丈夫じゃないだろう? いきなり髪を切られるなんて!」
怒ったように言われて、どこか遠くの出来事に思えていたことが、ふいに現実味を帯びてきた。山本くんは制服の上着を脱いで、わたしの頭にかぶせる。
「山……本くん?」
顔をあげると、山本くんの不機嫌そうな視線とぶつかった。
「行こう」
彼はなぜかそんなことを言う。
「どこに?」
訊きかえすと、口をへの字に曲げてぼそりと呟いた。
「決めてないけど……そんな頭、誰にも見られたくないだろう?」
え……っ?
あたりまえのように手をとられて、階段を昇る。
次の授業のはじまりを告げるチャイムが鳴った。
着いた先は校舎の屋上へ出る階段の踊り場だった。鍵がかかっているものとばかり思っていた屋上へのドアは、山本くんが手をかけるとあっけなく開いた。
屋上に出ると、いきなり視界がひらける。青い空を背にして振り向いた山本くんと目が合った。
いきなり、「……あ」とかなんとか呟いて、彼はわたしとつないでいた手を離して、そっぽを向く。
いまのいままで、ふつうに手をつないでいたくせに、ヘンなの。
彼はふと思いついたようにケータイを取り出して、そそくさとメールを打った。
「ええっと……水梨さんが具合が悪くなったから、家まで送っていくってことにしといた」
ぼそりと言う。とすると、たぶん相手は北条くんか。
「……ありがとう」
言ってから、かぶっていた彼の制服をするっとはずした。山本くんの視線がわたしの頭のあたりを泳ぐのがわかる。
「はさみなんて、持ってないよね」
気まずさに、制服を返しながらそんなあたりまえのことを口にしてしまう。
「ああ、持ってない」
律儀に答えて、彼はわたしから目を逸らして上着に袖を通す。そのすきに、ポケットから小さな鏡を取り出して自分の髪がどうなっているのかチェックする。右半分くらいが元の長さで、左半分が肩の上あたりでぶつりと切られている。
やっぱり、短いほうにそろえるしかないみたい。
「どうしてそんなことになってるんだ?」
わたしに背を向けたまま、山本くんが訊く。
「たぶん、北条くんか美瀬くんのファンのコじゃないかな?」
「北条か、美瀬の?」
彼は驚いた声を出して、わたしのほうを振りかえる。
「たぶんね。映画に出るな、みたいな手紙もらっちゃったし。最近、わたし、いろいろと目立ってたから、こういうこともあるんじゃない?」
なるべくさらりとそう言うと、山本くんは眉間にしわを寄せて、なにやらもぞもぞと口のなかで呟く。そして、びっくりするほど低い声で言った。
「それ、誰かに相談したか?」
わたしは首を横に振った。
「なんで?」
彼は怒ったように鼻に皺を寄せた。
「相談すればいいだろう? そうすれば、オ……いや、防げたかもしれない」
なぜか、山本くんは怒っている。
「なんだか、恥ずかしかったし」
ああ、なんでわたしは山本くんに言い訳なんかしてるんだろう。
「恥ずかしいって……恋人にくらい、相談できるだろう」
恋人──って。
「山本くんに関係ないじゃない」
反射的に言うと、彼ははっとしたようにわたしの顔を見た。
「そう、だな。関係ないな。オレには」
彼はうつむいた。
「ごめん」
わたしはぽつりと謝る。
屋上を渡る風は思いのほか強くて、わたしのふぞろいになった髪を舞い散らす。山本くんは手すりにもたれて、小さくため息を吐くと、苛々と前髪をかきあげた。
その仕草があのひとと重なる。やっぱり似ている。
顔も声も、なにもかも違うのに。なぜか胸がさわいで。
「でも、さ」
背中を向けたまま、山本くんがぼそっと呟く。
「映画のことで、なにか言われたんなら、オレたちにも責任あるから。北条に言ってくれてもいいけど」
そこで彼は振り向いて、意を決したように顔をあげ、わたしをまっすぐに見つめた。
「できれば、オレに相談してくれない?」
彼のうしろで風が鳴りやんだ。