悪魔はシャイに I Love You

第3幕 銀の雨 Scene 11


 肩のうえあたりで、ぶつりと切られた悠乃サンの髪。
 もう一度、あのときの記憶をたどってみる。封印が解けて以来、記憶はひどく鮮明で、悠乃サンの髪が切られたシーンもハイビジョンテレビよりくっきり再生された。彼女の髪を切ったのは、同じクラスの女子だった。クラス替えをしたばかりで、名前はまだ知らない。

Scene 11
抱きしめたい


「たぶんね。映画に出るな、みたいな手紙もらっちゃったし。最近、わたし、いろいろと目立ってたから、こういうこともあるんじゃない?」
 悠乃サンはなんでもないことのように言うけれど。いつもより蒼ざめた顔や、強ばった肩からのびる制服の皺が、全然、平気そうじゃない。
 だって、オレ、ホントは毎晩キミに会ってるから。そのくらいわかるよ、悠乃サン。ホントはいますぐ抱きしめたい。
 ──けど。
 ほとんど毎晩、会ってるのに。どうして、オレは気づかなかったんだろう。それに、どうして、悠乃サンはオレになにも言ってくれなかったんだろう。
「それ、誰かに相談したか?」
 自然に声が低くなる。少しだけ銀色の悪魔の声に似ている気がした。彼女はちいさく首を横にふる。田中さんにも言ってないのかと、思わず安心した自分がイヤになる。
「なんで? 相談すればいいだろう? そうすれば、オ……いや、防げたかもしれない」
 かもしれない──じゃなくて、防いだよ、悠乃サン。人間のオレには無理でも、エリュシエルになら、それができる。悪魔のオレなら。
「なんだか、恥ずかしかったし」
「恥ずかしいって……恋人にくらい、相談できるだろう」
 キミはエリュシエルの恋人なんだから。
「山本くんに関係ないじゃない」
 悠乃サンの言葉に、血が昇っていた頭が一気に冷えた。
「そう、だな。関係ないな。オレには」
 たしかに、人間のオレには関係ないことだ──でも。
「ごめん」
 悠乃サンがぽつりと謝る。
 ああ、オレ、なにやってんだ。ショックを受けてるのは悠乃サンのほうなのに。オレたちの映画のせいで、あんなにきれいに伸ばしてた髪を切られたのに。
 そうだ──オレたちの映画のせいだ。そもそも、北条と三田村が悠乃サンをキャスティングしたのは、オレのせいだ。なのに、同じクラスにいながら、オレは悠乃サンをとりまく不穏な雰囲気に全然気がつかなかった。
 姿なんか違っても、オレがエリュシエルなのに。
 オレが悠乃サンを守りたかったのに。
「でも、さ」
 オレは彼女に背を向けたまま呟くように言った。
「映画のことで、なにか言われたんなら、オレたちにも責任あるから。北条に言ってくれてもいいけど」
 オレは振り向いて、彼女の顔を見た。
「できれば、オレに相談してくれない?」
 悠乃サンはびっくりしたように、目を見ひらいた。
「どうして、山本くんに?」
 心底、不思議そうな声がつらい。
「北条や美瀬に相談するよりいいだろう……嫌がらせしてるのは、どっちかのファンなんだろうし」
 オレがそう言うと、悠乃サンは安心したような表情になって、「そっか。うん、そうだね」とうなずいた。こんな理由、後付けなんだけど。
 なぜか、はりつめていた空気がやわらかくなって、悠乃サンは、ふとなにかに気づいたようにポケットに手を入れた。そのまま髪をひとつにまとめると、ポケットから取り出したらしいゴムで器用にくくった。
「どうかな?」
 そう言って笑う。たしかに、ひとつに結えばそれほど目立たない。
「ああ、いいんじゃないか」
 ……なんでオレ、似合うとかキレイとか可愛いとか、少しは気の利いたこと言えねーんだよ。
「ありがと、山本くん。このまま美容院に行くから、先生にはうまく言っといてくれる?」
 悠乃サンのその言葉に、どうにもできない壁を感じた。以前のように、嫌われてはいない。でも。
「あ、ああ。わかった」
 仕方なくうなずくと、悠乃サンはふわりと風に乗るように、オレのまえから階段へつづく扉へと消えた。

 数分後、校門を出たところで、オレは悠乃サンを待ち伏せしていた。
「……エル」
 悠乃サンは人間に化けた悪魔の姿を見つけると、泣き笑いのような表情になった。オレはするりと彼女を引き寄せて、誰にも見えないように結界を張る。人目をはばかることなく不安げな彼女を抱きしめたかった。
 抱きしめて、ぶつりと切られた髪に触れると、彼女は身体をふるわせた。
「元に戻す?」
 耳許にささやく。すると、悠乃サンはちいさく首を横に振って言った。
「……いい。切られたところ、見られちゃったから」
「人間の記憶なんて、どうにでもなるよ」
 誰がやったのか、オレは知っている。こんな嫌がらせをする奴らの記憶なんて、消してやる。
「ダメ!」
 ふいに悠乃サンが叫んだ。
「どうして」
 オレの問いに、彼女は掠れるような声で言った。
「だって……山本くんの記憶も消すんでしょ」
 ……え?
「あの人、助けてくれたのに」
 助けてくれたのに?
「……悠乃サンの髪のほうが大切だよ。あ、あんな奴より」
「どうしたの? いつものエルらしくない。ホントは記憶いじったりするの、嫌いでしょ」
 悠乃サンの声がふるえていた。
「ごめん……少しだけ、このままでいて」
 肩が小刻みにふるえている。彼女は静かに泣いていた。
「髪は……いいの。ただ、わたし、こんなふうに髪を切られるほど、誰かにひどいことしたのかなって思うと──」
 そのあとは、言葉にならなかった。
「ひどいことなんて、してないよ。ただ少し、目立ってただけ。妬む奴が悪いよ」
 オレはしゃくりあげる彼女を抱きしめたまま、ささやくように言って、髪にキスをした。
「悠乃サンは悪くない。今度はオレが守るから。必ず、守るから」

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