GTUスタイル考

GTUスタイルはOHTA BMW GTUのコピーなのか?


 日本製のサイドカーのデザイン(スタイリングデザインというべきでしょうか)で最も多いのがいわゆるGTUスタイルというものです。
ざっと思い付くままに挙げただけでも (現在生産されていない物も含めて)、クマガヤ、オートクラフト、オクトラン、新潟技研、ヨシオカ、NKオート、IMC、ケンテック(ロイヤル)、サクマ・エンジニアリング(シータ)、RSヒロハシ、コミヤマ、マツシタ、オガワなどがあります。

 このGTUスタイルというのは、太陸モータースが1975年に発表したOHTA BMW GTUのデザインを模した物です。

 
OHTA BMW GTU  太田政良氏の作る太陸サイドカーはスタンダード(1970年)、デラックス(1972年)で旧型BMW(R60,R60S系)の純正サイドカーとは比較にならない高速安定性、操縦性を実現して評判を呼びました。
1975年、新しい高性能車R90Sの持つ高速性能に合わせて開発されたOHTA BMW GTUは日本のサイドカーファンに衝撃を与えただけでなく、サイドカーの本場ヨーロッパでも高く評価され、当時世界最高と言われました。
車名がOHTA BMWとされた言われは、5シリーズ以後はソロとして開発されたBMWを太田政良氏がサイドカー用に作り直し、強化フレームとしていたためとされています。
60〜70年代にかけて日本のサイドカーは減少の一途をたどっておりましたが、GTUの出現は趣味の乗り物としての新たなサイドカーの需要を喚起したと言えるでしょう。OHTA BMW GTUは全部で18台作られたといわれています。
なお、大陸ではなく、太田さんの「太」をとって太陸が正しい書き方です。
下の写真は当HPをご覧になった方の愛車です。
   
OHTA BMW GTU
   
1989年に私がサイドカーに乗り始めた頃は、GTUスタイルについて、GTUのコピーは嫌だ、という気持ちが確かにありました。
実際にGTUスタイルのものを悪く言う人に会った事も何度かあります。
(最初のサイドカーがオリジナルデザインのアベSSだったので気を許したという事があったのでしょう)

 ところが何度もGTUスタイルのサイドカーを見るうちにだんだんと考えが変わってきました。
確かにGTUスタイルは太田氏が考え出したたものですが、これは考え出したというよりも、現代のサイドカーのデザインの在り方のひとつの典型に太田氏が初めて気が付いた、と解釈したほうが良いのではないかと思うようになりました。

 自動車のデザインでも、例えば1960年代にファストバック+コーダ・トロンカというデザインが一世を風靡し、あのBMWまでもがBMW1600GTを作り、日本でもコルト1000Fなどというみっともない物まで出てきました。

そうした物の中でもとりわけカッコ良かったのがフェラーリ250GTO275GTB、そして爆発的な大ヒットとなった(リー・アイアコッカの出世作)マスタング・ファストバックだった訳ですが、このファストバック+コーダ・トロンカというものはこの時代のスポーツカーのデザインのひとつの典型であり、GTUスタイルの場合もこれと同じように考えるべきなのではないか、と思うようになりました。

 
ファストバック+コーダ・トロンカ がデザインとして最初に採用されたのは1961年のアルファロメオ ジュリエッタ SZ2及びこれに3ヵ月遅れのフェラーリ250GTOとされております。
コーダ・トロンカ(切り落とされた最後部)というリアスタイルは1930年代にスイス人のブニバルト・カム博士が提唱したKテール理論をデザインに具現化したもので、Kテール理論とは車体後部の断面が徐々にすぼまったある所で切り落とせば境界層の剥離がなく空気抵抗が小さくなるというものです。
車体後部が徐々にすぼまって彗星の尾のように長く伸びたものを(これはいわゆる液滴形に似た形状ですが)ヤーライ型ボディといいます。
ヤーライ型ではテールが長くなりすぎるため、さらには境界層の剥離がなくとも粘性抵抗が増えるため50年代のスポーツカーではアルファロメオ ジュリエッタ SZ2以前のSZ及びコーダ・トロンカとなる前の250GTOもそうであったようにテールを丸っこくしていました。
これをコーダ・トンダ(丸っこい最後部)と言います。

 コーダ・トンダに対しコーダ・トロンカでは最高速度が17km/h近くも伸びたとされています。
コーダ・トロンカでは車体後部が徐々にすぼまっていく事が必要ですから必然的にファストバックである事を要します。

ファストバック+コーダ・トロンカは60年代に多くのスポーツカーに採用されましたがこれはあくまでも空気抵抗を減少させるデザインでした。
こののちに車体のリフトを防止するためにフロント及びリアにスポイラーが付くようになり、さらに進んで現在のウェッジシェイプに至っております。

 私がファストバック+コーダ・トロンカの実物を最初に見たのは1965年にムスタング・ファストバックを見た時ですが、あまりのカッコ良さにしびれました。「自動車をこんな風にまでしていいのか」 とさえ思いました。

 
GTUの場合もファストバック+コーダ・トロンカの場合と同じように、現代の高速サイドカーのデザインの在るべきひとつの典型としていずれ生れてくる筈だったものをOHTA BMW GTUがひとりで実現したという解釈です。
そう思えるほどGTUスタイルはどこにも無駄がなく完成されたデザインです。
もしピニンファリーナがサイドカーのデザインをしたらこんなデザインになるような気さえします。

 ファストバック+コーダ・トロンカは多くのデザイナー (及びレース関係者) が何年も掛かって到達したものですが、GTUスタイルの場合は太田氏が一人で生み出したわけですからその功績は大きいと思います。

日本がこれまで産み出した数多くの自動車、オートバイ、サイドカーの中で世界のトップとなり得たデザインは?と問われたら私は迷わずこのGTUを挙げるしかありません。
その次はと言われたら、いすず117クーペか日野コンテッサ1300クーペと言いたいところですが、あれはそれぞれギア (に当時籍をおいていたジウジアーロ) とミケロッティのデザインですから純国産となればホンダCB72でしょうか。

 以上のように理屈をつけるのも、結局は1993年に現在所有のサイドカーを仕立てるときにGTUスタイルのオートクラフトGTRを選んだ自分を納得させるためでもあったと言うのもまた真実なのですが。

 GTUは18台が製造されただけですでに製造を終えております。
この優れたデザインを後世に残すためにも前向きで建設的な発想が必要なのではないでしょうか。

 
オートクラフトGTR 大野文幸氏が長野県小県郡東部町で1999年まで製作。側車の高速でのリフトを防止するフロントとリアのスポイラー、大野氏自身が 「60年代のフェラーリをイメージしてデザインした」 と語ったリアのコーダ・トロンカ、側車を乗せるフレームが側車の凹部に隠れて空気抵抗を小さくする構造などが特徴。

長野のオートクラフトのほか、100%側車車検付きで有名だった京都のケンテックでも販売された。
GTUスタイルのなかでは最も美しく最もオリジナリティーが在るデザインと私は思っております。
よりGTUに近いGTSもありました。
私のGTRはGTSのスクリーンを付けたものです。

   
オートクラフトGTR
   
オートクラフトGTS

当HPをご覧になった長野県のMYさんが乗ってらしたものです

   

GTUの次に来るもの

 GTUスタイルを弁護する事を上で述べましたが、しかしいやしくもモノを作る人がオリジナリティーを重視しないと言う事はあってはならない事でしょう。

しかし例えば英国のキットカーの世界でもオリジナリティーを重視したデザインは実際にはあまりぱっとせず、スーパーセブンやコブラのレプリカ・キットカーが手っ取り早く作れてしかもそこそこに売れると言う現実があります。
オリジナリティーを重視してしかもかっこいいモノを作ると言う事は難しいものなのです。

 しかし、GTUの次に来るものは何かという件に付いてはかなり確信を持って言える事があります。
それは自動車の場合と同様に高速でのリフト(浮き上がり)に対処したウェッジ・シェイプになるだろうと言う事です。GGジュエットなどはこのデザインです。

 ウェッジ・シェイプのもので目の醒めるような美しいデザインのものが出る事を期待したいところですが、ただ私は日本のサイドカーメーカーは全体的にデザインに関して疎いところがあるように昔から感じています。

サイドカーのデザインをしようと思ったら自動車の (特に欧州のスポーツカーの) デザインの歴史を見る事が是非必要だと思いますが、そうした物を知っているビルダーはとても少ないように私は感じます。(それは出来あがった物を見てですが)

 日本のサイドカー界では昔から 「デザインよりもメカを重視しろ」 という事が言われて来ましたが、しかし、かっこいいと思えない物に乗る人はどこにもいません。
技術はいいと思うけどデザインがちょっとね、というメーカーが結構あるように思います。

 素晴らしいデザインのものが出現する事を期待して止みません。

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