01年3月10日
ファンダム 第2号 ブラックプリンス(1954)に乗る P・C・ビンセント プリンス、ナイト、ビクターの 不振がビンセントに 終焉をもたらした。 |
今回から「独り言」を改め「マンスリートーク」と致しました。 日本二輪史研究会は1975年(昭和50年)に機関紙「クラシックモーターサイクル・ファンダム」を発行しましたが、私はこの時にCARグラフィックの紹介記事でその存在を知り、しばらくファンダムを購読しました。 正直に言ってその頃のオートバイ雑誌にはいい加減飽き飽きしていましたが、ファンダムを見て、「ああ、こんな世界もあるのか」と、かなり衝撃を受けました。ファンダムは私がこれまで目にした自動車、オートバイの雑誌の中では(と言ってもファンダムは雑誌ではなく同人紙なのですが)CARグラフィックと並んでレベルの高いものです。その旧いオートバイに関する知識の豊富さと正確さ、そして情熱は、正に「マニアック」とはこういうものを言うのだろう、と思わずにはいられませんでした。 「旧車ファンとして重要な事は、どれだけ高価な旧車を所有しているかではなく、どれほど旧車に深い理解を持っているかです」と言ったような記述には大いに賛同するものがありました。 70年代当時代表を務めていた三輪研史さんは、ファンダムなどの研究会の活動のほかに月刊オートバイなどにもクラシックモーターサイクルに関する記事を執筆されていたのでご存知の方もいるかもしれませんが、この方がファンダムに書いた「陸王史」などは、よくこれだけ調べられたものだと感心する以外にはなく、戦時中のエンジンの権威で後に「オートバイの歴史」を書いたあの富塚清大先生まで「記憶に基づく記述は間違いが多い」などとばっさりやられてしまうと言う面白さもありました。 しかし記事の正確さを追求するのあまり、ファンダム第3号及び第4号の「僕らの毒書室」では、他の雑誌の旧車記事の間違いを糾弾するのみならずファンダム各号の発行を紹介してくれていたCARグラフィックまで「暗黒政治の独裁朴政権」などと斬り刻んで敵に回してしまいました。(朴大統領とは誰の事? 確かに少し似ているような気はしますが・・・) また私は「オートバイもクルマもとにかく走らせる事」に重点をおいていましたから、従って旧車を実際に所有したことはなく常に現代のクルマに乗っていたので、現代のオートバイを小馬鹿にするような表現にはちょっと抵抗を感じたこともありました。 現在日本二輪史研究会では会員に各種資料を販売しています。サイドカー関係では「国産サイドカー資料集」(1000円)、さらに三輪研史さんが各雑誌に書いたものを一冊にまとめた「私のスクラップ」(2500円)には「サイドカーの歴史を探る」、また「ファンダム第10号」(1200円)には「特集:サイドカー80年史」が掲載されています。 |