高いクルマが偉いのか

02年4月25日


写真と本文とは

何の関係もありません

 
 高価なクルマと言う物はそれなりの満足感をもたらすことは事実です。
私も30歳を過ぎたばかりでBMW R100Sを購入した時には天にも昇る心地でした。
この当時(1979年頃)外車のリッターバイクなどという物はオートバイファンにとっては正に高嶺の花でしたから、行く先々でもてはやされました。
中古車でしたが、「100ウン十万円を趣味に掛けているんだ」と言うような自己満足もありました。

 しかしながら高価であると言うことはもちろんそれなりの満足を与えると言うだけであって、趣味の本体ありません。ところが、特にオートバイの世界には高価であること自体が趣味の目的としか思えないような方も現実にはいらっしゃいます。

 もう7、8年前になりますが、ST1100サイドカーで東名のあるSAで休んでいたら、ハーレーのサイドカーに乗っていると言う人に話しかけられました。
ハーレーとGL1500が多い名古屋のクラブの方と言う事でした。

 その人が言うには「私はBMWとホンダには一目置いています」とのことでした。
もうその一言でこの人は私とはそりが会わない人だとすぐに感じました。一目置くなどという言い方は自分を高みに置いた言い方なんです。

もちろん私は「私は別にハーレーに一目置いていません」とは言いませんでした。
しかし私のサイドカーの製作者であるオートクラフトの大野社長はスズキが大好きであることは言いました。

 その内、私がなぜGL1500ではなくST1100にしたのかをしつこく聞き出しました。
正直に言えば私はGLのようにただ大きいだけの乗り物にはさほど興味はありません。
オートバイは多少なりともスポーツ性のある物が好きです。STのヨーロッパ調で質素な感じもGLより好感が持てます。

 しかし、これをこのまま言えば、ならばハーレーもさほど好きではない事がすぐにばれてしまうので、「私はSTの方が好きなんです」とだけ答えました。
しかしこの人は私が「GL1500を買うお金がなかったからです」と言わなければ到底納得しそうもありませんでした。

この人は高い車のほうがいいに決まってると思い込んでいるんですね。しかも恐らくサイレンやらランプやらを一杯付けて高価にすればするほど良くなると思い込んでいるんです。質素なものの方がいいなどという好みがあることなど全く理解できないんですね。

 この人はさらに私が聞きもしないのに、「私のハーレーサイドカーは700万しました」などと言い、さらに「このサイドカーはいくらでした?」などと追い討ちをかけて来ました。

 その内この人の奥さんと言う女性が現れました。
この女性の眼は明らかに「ふん、何よこんな安物のサイドカー」と語っていました。
普通サイドカーであれスーパーセブンであれ、同好の士の奥さんというものは常に私に優しく微笑みかけるものなんですけどね。
(より正確に言えば、「ここにも一人困ったオジサンがいたのね」と言う諦めの微笑なんでしょうが)

 この人はさらに「今度はドイツの700万する奴を買うんです」と得意げでした。
しかしこの人はそれがクラウザー・ドマニと言う名称であることも、クラウザー社の社長がサイドカー・レースにのめり込んでいることも知りませんでした。
また私のサイドカーについているアールズフォークが何であるかも知りませんでした。

 こう言う人というのはただ値段が高いと言うことしか興味の対象になっていないんでしょう。趣味の道とはそう言うものではないと思うんですが。
自動車、オートバイ趣味の本分とは、やはり走る、いじる、あるいは歴史やらメカニズムやらをいろいろ考え、自動車やオートバイの未来に思いをはせる、といったものでしょう。
ここで紹介したような方はおそらく根っからのオートバイファンではないんだろうと思います。

 

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