キットカーとサイドカー

03年5月18日


MINICHAMPS
 
 サイドカーの本質とはオートバイを利用して、手っ取り早く自動車の代用になるものを作ると言うことです。つまり元々サイドカーはオートバイメーカーや自動車メーカーが作るべきものではありません。サイドカーは元々が代用品ですから、安全性の点でも運搬能力の点でも走行性能の点でも自動車に劣る事は当然です。

 もしオートバイメーカーがサイドカーを作る事になったとしたら、恐らく先ずはフレームの剛性を高くすることから着手するでしょう。メーカーなら十分なフレーム剛性を確保することを先ず考えるでしょう。さらにここも良くしよう、ここも、あそこも、とやっていくうちに、結局は 「いっそのことイチから作り直そう」 と言うことになるのではないでしょうか。そして結局車輪は4つあった方がいいという事になり、出来上がったものはクルマだったということになるでしょう。

 つまりサイドカーというものはあくまでもその場しのぎの未完成の乗り物です。しかしこの未完成の乗り物が、なんともいえない面白さを持っています。そして未完成の乗り物と言うものはメーカーが作るべきものではなく、あくまでもアマチュアリズムの手によるべきものであるといえるでしょう。

 アマチュアリズムだからサイドカーはいいのです。アマチュアリズムだから駄作も多い変わりにメーカーでは考えられないような傑作車も生れる可能性があります。

 例えば最近4輪のサイドカーというものが現れました。側輪が二個あるヤツです。こういうものはサイドカーの定義からしたらいかにもいかがわしいように見えます。こういういかがわしさを持ったものというのはメーカーからは絶対に出て来ないといえるでしょう。いかがわしさその物がメーカーの嫌うところだからです。

 もちろんこの4輪のサイドカーが具体的にどういうものであるかは私は知りませんが、
メーカーなら絶対に出さないものをアマチュアリズムが作り出すところに意義があります。
この4輪のサイドカーもサイドカーに革命をもたらすものである可能性もあるのです。

こうした光景は英国のキットカーの世界に良く似ています。

 キットカーメーカーというものもほとんどがごく少人数の家内工業の世界です。こうした中からスーパーセブンのような傑作車が生れました。「4輪のオートバイ」 という発想はメーカーからは出てこないものでしょう。

 日本が生んだOHTA.BMW.GTUに見られるデザインも、少なくともあの時代の日本のメーカーからは絶対に生れ得ない物です。太田政良さん一人の研ぎ澄まされた感性の中からはじめて生れたものです。

 もちろん駄作も多いですね。日本のサイドカーの場合でも首をひねるようなデザインの物もかなりあるし、キットカーの場合も大抵は 「怪しげなキットカー」 という表現がピッタリである場合が多いようです。スーパーセブンやコブラなどのレプリカも多いし。しかしそれでも私はサイドカーやキットカーのアマチュアリズムを支持したいです。

 
カワサキ マッハ750

バンダイ

   

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