日本車の個性とは(1)

雑誌はあまり信用できない

06年8月9日


ホンダS600
   
日本車の個性はいかにあるべきかという問題は日本でオートバイや自動車に趣味で乗るものとして恐らくもっとも重要な問題であろうと考えます。日本車には個性がないということは私がオートバイやクルマに乗り始めた40年ほど前からすでに雑誌などで言われてきたことですが、日本に生息するマニアとしてこれほど残念なことはありません。この問題について今後あれこれと考えてみたいと思います。

この問題はいろいろな問題がいくつも関連しているように思います。こうした問題を一つ一つ考えてみたいと思います。

まず最初に取り上げるのは、雑誌などでよく目にする日本車に対する批評というものはかなり的外れである場合も多いのではないかということです。的外れな批評をそのまま信じて日本車の個性を考えても適切な意見とはならないでしょう。

私は60年代半ばから80年ころまでほぼ毎月カーグラフィックを購読しましたが、そのころ雑誌で多かった批評に「日本車はモデルチェンジが早すぎる」と言うものがありました。カーグラフィックでもこうした批評を目にしたような記憶があります。需要を喚起するのが目的の形ばかりのモデルチェンジはやめて、もっと本質的な車の熟成を行うべきだという意見ですね。

69年にホンダ・ドリームCB750FOURがいわゆる衝撃的なデビューを飾ったときにも、あるオートバイ雑誌でおおよそ次のような批評を目にしました。

「BMWは40年かけてフラットツインという基本的に同じレイアウトのマシンを熟成させてきた。日本車も次々に新型を出すのは控えて一つのモデルを熟成させることを考えるべきだ」

これらの批評はある意味もっともに思える考え方ですが、しかし今になって考えてみれば60年代初期には明らかにヨーロッパ車に比べて劣っていた日本車が70年代末にはヨーロッパ車と肩を並べるまでになったわけですから、これらのモデルチェンジは急速な進歩を取り込むための必要なモデルチェンジであったと理解できるでしょう。

ドリームCB750FOURに対する批評にしても、今となってみれば「熟成させるべき基本形」が日本車の場合は4気筒であったと見るべきでしょう。

こうした批評にかけていたものは、日本車が急速な発展途上にあるという認識です。
熟成という事について言えば、これはリアエンジンのポルシェがもっとも顕著な例ですが、リアエンジンをどれほど熟成させても所詮リアエンジンの限界を超えることは出来ません。
フラットツインをどれほど熟成させても4気筒と同等ののスムーズさとパワーは実現しません。

60年代、70年代の日本車は必要があってモデルチェンジを繰り返していたのだということを今となれば理解できるし、こうした認識に欠けた批評も過去においてかなりあったと思います。

現在日本車に対して言われる個性がない、あるいは味がないという批評についても、これが全くの的外れということはないと思いますが、個性とか味とはそもそもどういうもののことなのか、例えばそうしたことも、よく考えてみる必要があるのではないかと思います。

   
私の最初のクルマでした

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