日本車の個性とは(4)

日本車は本当に魅力がないのか?

06年11月6日


フェアレディー1600
 
徳大寺有恒さんは日本車について自著の中で「少しくらいボロでもいいから乗って楽しいクルマを作れ」と言う意味のことを書いてます。この考え方は特に自動車マニアの人にとっては賛成しやすい考え方ではないか思いますが、私は簡単には賛成できません。

確かに私も一自動車マニアとして自分が車を買うときにはそういった選び方をするかもしれませんが、こと日本車は如何にあるべきかを考える場合にはそうした考え方はしません。

日本車はとても細かなところまで神経を使って作られています。ドアと車体の合い精度とか塗装の小さな傷とかに神経を使っています。こういう細かな部分はホドホドでいいから、乗って楽しい車にしてほしいという考えは理解しやすい考え方ですが、しかしでは日本車のウリとなってるものはなんなのかと考えると、そう簡単には賛成できません。

ドイツ人建築家であるミース・ファンデルローエは「神は細部に宿る」という言葉を残しましたが、こうした考え方は日本の物作りにもあります。どんな些細なところにも手を抜かないで作るのがいい作り方だという考え方ですね。

私はこういう日本車の作り方は尊重すべきだと思います。もちろん細部さえ良ければ全体としても良くなると言う物ではありません。しかし細部を捨てさえすれば全体がよくなると言うものでもありません。細部がいいことはそのまま維持しながら全体も良くする努力こそ必要だと思います。

街を走ってて片側のブレーキランプがつきっぱなしになってる車などを時々見ますが、これはほとんど外国車です。ベンツやBMWにも多いですね。我々日本車に慣れているものは日本車の細部の良さにも慣れていてそれが当然だと思ってますが、細部までよくする考え方が高い信頼性を実現しており、外国人にとっては日本車の大きな魅力になっているものと思います。

福野礼一郎さんは自動車ロン(双葉社2002年)で次のように書いています。

皮革とウッドとブリティッシュグリーンなんか見るのもうんざり。例えばジャガーのエンジニアやデザイナーに会うと顔にはっきりそう書いてある。

ローバーだってそうだ。みんな英国調になんか辟易している。ハイテク大好きトーキョー大好き、プリウスとかGT−Rめちゃめちゃ好き。マジである。

彼らの見上げた点は、それでも「自分たちの売り物は何か」を良くわきまえていることだ。彼らは断固いやいや英国調を売る。

ジャガーやローバーのエンジニアが英国調に辟易しているのと同様に、日本車に囲まれて生活している我々日本人は、実のところ日本車の本当の魅力を十分に分かっていないんじゃないんでしょうか。そんな気もします。

 
S600の天敵でした
   

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