俺は、中小企業のおやじ

09年3月22日


日本経済新聞社

2009年

 
スズキはインドで50%のシェアを誇り、国内でもワゴンRがここ数年車種別トップを続けています。このスズキを引っ張ってきた方が鈴木修さんです。

鈴木修さんは銀行勤務のときに先代である鈴木俊三社長の娘さんと結婚し、俊三社長に見込まれて鈴木入社、1978年から社長になったそうです。2000年に一旦会長になりましたが、昨年再び社長に返り咲いたことは話題になりました。この本を読むと鈴木修さんは大変頭のいい優れた人だな、と思います。書いてあることが分かりやすく、しかも理に適っているなと思うことばかりです。

社長の義理の息子だから優遇されたわけではなく、むしろ当時のスズキには世襲はおかしいという空気があって難問題をあてがわれることが多かったそうです。あるときは3億円で工場を作れといわれ、鈴木さんは頑張って2億7千万で作り、「3000万余りました」と精算書を叩きつけてやったそうです。

鈴木は現在インドで50%のシェアを持ってますが、インドに進出するようになったことには合理的な理由があります。1981年にいわゆるHY戦争が勃発しました。ホンダが4輪車が忙しくてオートバイの新車をあまり出さない時期がありましたが、このときヤマハが俄然やる気を出し、ホンダを抜いてやれとなったんですね。

これでホンダ対ヤマハの全面戦争となり、結局は2年後にヤマハが敗北宣言を出して終結したんですが、業界1位と2位の全面戦争で3位のスズキは蹴散らされたそうです。このとき鈴木修さんは小さいところでもいいからシェアトップにならなければならないと思ったそうです。これがインド進出の理由ですね。現在インドでの売り上げは国内と同じくらいあるそうです。作戦勝ちということですね。

 

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