サイドカーの購入


 

最初のサイドカー

ホンダCBX750Fボルドール
+アベSS

4000km走行 

府中総合体育館前にて

1989.5

 

ヤマハ3車の思い出

 1989年の春、私はホンダCBX750Fボルドールに乗っていました。 

 このすぐ前にはヤマハXJ750-Dに乗っていましたが、XJは160q/h以上になると、あろうことかそれが目的で購入した、当時としては珍しかったフルカウリングが風圧で激しく振動しました。このままでは取り付けステーにクラックが入ってしまう!というほどの激しさで、否応無しに私の希望する速度では走れませんでした。

 ヤマハでは高速走行のテストというものをやってないのか?と疑問に思いました。不具合に気付いてはいたが「ままよ」とばかりに販売に踏み切ったとしか思えません。(気付いていなかったとしたらもっと悪い) 恐らくスロットル全開で走るヨーロッパからは苦情が殺到したものと思います。

 実はそれ以前にも、TX750、GX750Uとヤマハを2台乗りましたが、ホンダに比べヤマハの品質にはかなり疑問を感じてはいました。「信じられない」というようなことが何度かありました。

 TXの時には新品で買った玉虫色のタンクとサイドカバーが半年で褪色して赤褐色になるということがありました。ヤマハには紫外線による塗装劣化のテストをするサンシャインウェザオメーターが当時はまだ無かったようでした。もっとも私は屋内に置いていましたから紫外線云々以前の問題かもしれません。

 TXはまた、私の乗っていた物ではありませんでしたが、エンジンの振動を消すバランサーにトラブルを多く発生したようで、「欠陥車だ」と公言する人もいました。 GXではエンジンの黒塗装が1年ほどで剥げてきて、さらにブレーキの「鳴き」に悩まされました。この鳴きというものは、実際にブレーキを掛ける度にキーキー言われると走る事を拒否されているみたいでとても気になるのです。

 TX,GXの頃のヤマハの車両開発の実情に付いてはライダース・クラブ1994年8月号以降の「磐田技術屋物語」にかなり詳しく書いてあります。TXに付いてはヤマハ技術者の述懐として「ヤマハの歴史の中で最も不幸なモデル」とあり、今の感覚からするとちょっと無責任な気もしないではないですが、まあ当時はそんなもんでした。

 TX,GXの私の経験では、ヤマハの〔良い物を作りたい〕という気概はかなり感じられましたが、いかんせん基本的な技術力がホンダにかなり劣っていたと思います。 (TXのアルミリムのホイールやGXのテーパード・ローラーベアリングを用いたステアリングヘッドなど、クルマを良くしたいという気概は感じられましたが)

 ただXJのころはヤマハが生産台数で一時的にホンダに追いついたころで(いわゆるHY戦争の頃ですね)、ヤマハとしてはかなり気合が入っていた頃だったので、〔もう大丈夫だろう〕と思ったのですが裏切られました。
XJではさらに、これも大いに興味があって購入の動機付けとなったEFIがあろう事か先ずポンプが壊れ、さらにその後マイクロプロセッサも壊れて多大の出費を余儀なくされました。

 またこのEFIはスロットルの開閉に対するツキが不自然で、十分に吟味して造られた物ではなくキャブの方がよっぽど良かったと思わせる、いかにも当時のヤマハらしい代物でした。

さらにこのXJではフロントスクリーンが数ヶ月で曇ってしまい、しかも取扱説明書を見ると「このスクリーンはJISーG○○○○に適合しています」などと書いてありました。どうやら自分で品質をテストする余裕はなかったようです。

 このとき以来、私の眼が黒いうちはヤマハはもう金輪際買うまい、と心に決めました。
(そう思いつつ後に中古のセローを買いましたが)

勿論、現在のヤマハにはこうした事はないと思います。(確認してはおりませんが)

 XJ-Dではそれでも瞬間燃費などが液晶で表示されるモニターなどが面白く、3万キロ近く走った後CBX750FBに乗り換えました。ヤマハの悪口を上で述べてしまいましたが、TXも、GXも、XJ-Dも、今となっては懐かしいオートバイで、まあ、そんな時代だったという事です。

 CBX750FBは私にとって初めての「まともな」フルカウル車で、しばらくフルカウルの高速性能の良さを堪能しましたが、当時もう41歳になっており、「かっ飛ばすだけのオートバイ人生でいいのだろうか?」などと思うようになりました。
文化の香りのようなものがほしくなりました。

 サイドカーの事が急に思い出されました。
ソロのオートバイと別れるというのではなく、CBX750FBにはメインで乗り、たまにサイドカーでのんびり走ったら楽しいだろうなと思いました。

サイドカー購入

 そんな時、別冊MC誌1989年5月号で、姫路のProshop TAKATORIの広告で私の愛機CBX750FBを本車にした中古サイドカーが「今月の特選中古車」として売りに出されているのを見つけました。早速タカトリに問い合わせて見ると、それはいわゆる「付けただけのサイドカー」で、側車車検も側車ブレーキも何もないものでしたが、100q/h位では問題なく真直ぐ走るとのことでした。

 私はこのころまでに別冊MC誌をかなり買い込んでおり、時々掲載されるサイドカー記事には必ず目を通すようにしていましたが、実際にはサイドカーについて知りたい事の多くを知る事が出来ずにいました。サイドカーを持っている知り合いというのもないし、ハーレーは別として、サイドカーを近くから良く眺めるという機会もありませんでした。

 本当はもっとお金をためて、サイドカーについて良く知ってから本格的なものを購入するほうが良いのかとも考えましたが、それは一体いつの事になるか知れず、とりあえず100q/hで真直ぐ走れるなら乗ってみよう、と思って購入を決心しました。何と言っても私のオートバイと同じ本車であると言う点が気に入りました。

 なお側車は四国は松山のバイクハウス・アベのアベSSで、メンテナンスはバイクハウス・アベと提携している千葉のオクトランでやってもらえるはずだという事でした。アベSSは、当時(今でも)日本製の中では多かったGTUスタイルではなく、オリジナルデザインである事も気に入りました。
この当時私は「GTUのコピーは嫌だ」という気持ちを強く持っていました。

 さて購入するのは良いとしても、タカトリのある姫路から東京まで自力でサイドカーで帰ってくる事にはまったく自信がありませんでした。特にオートバイ誌1976年9月号で読んだ、OHTA BMW GTUを買った人が、自宅へ持ち帰る途中でぶつけてしまった、という一件を印象深く覚えていたからです。

 タカトリの志水社長に電話で相談すると、何と実費で姫路から東京まで運んでくれるとのことで、是非お願いする事にしました。「ずいぶん親切な店だな」と思いましたが、後で知った事ですが、志水社長は当時中山サーキットなどで行われていたサイドカーレースにも出ていたサイドカーフリークでした。

深夜の特訓

 こうして手に入れた初めてのサイドカーは、低速で動かすぶんにはハンドルがちょっと重いだけでほぼ思い通りに動いてくれました。しかしコーナーでは少しでもスピードが高すぎるとすぐに側車輪が浮き上がり、ヒヤッとさせられました。100s近い側車を付けているにも拘わらず、思いのほかきびきびと走れる事もわかりました。

 新しい乗り物を征服してやろう、という闘志が昂然と沸いてきて、当時はバブルの真っ盛りで近所には駐車場がなく(あったとしても高い)、20qも離れた府中に置いていましたが、毎夜ソロで駆けつけては深夜の多摩地区を走り回りました。

 このころは毎日布団に入るのは1時頃で、しかも興奮状態にありますから目を閉じてもエンジンの回る音が聞こえてきて酒を飲んでもなかなか寝付かれず、2時頃にやっと眠りに着いて6時には起きるという毎日で、自分のどこにこんな体力があったのか、と我ながら信じられないほどでした。
人間生きがいがあれば頑張りがきくと言う事でしょうか。

 1ヶ月ほどの深夜の特訓のおかげでようやく不便なく動かせるようになった頃、CBX750FBを主体としたボルドール・ツーリングクラブに入り、月に一度のツーリングに参加するようになりました。ソロのオートバイにサイドカーでついて行くというのはかなり無理があったようでしたが、このときの経験で私のドライビング・テクニックはかなり磨かれたと思います。

 このクラブは当時60歳以上とお見受けした(年齢不詳?)Iさんが会長でしたが、Iさんの年齢を感じさせない走りが印象的でした。 

   
ボルドール・ツーリングクラブ

1989年箱根にて

   
藤原湖
   

 ボルドール・ツーリングクラブのツーリングのない時でも暇さえあればサイドカーに乗っており、ソロをメインに、サイドカーではたまにのんびり、などという当初の予定はどこへやら、すっかりサイドカーの虜となってしまいました。このサイドカーでは四国、京都、新潟方面とあちらこちらに遠征しました。

 なお車検の更新などは千葉のオクトランに行くまでもなく、都内のサイドカーショップでやってもらえる事となりました。

 4年後の1993年にCBX750FB+アベSSを横浜の方に格安で売却し、京都のケンテックでST1100+オートクラフトGTRを仕立てましたが、初めてのサイドカーであったCBX750FB+アベSSでの4年間4万qは私のサイドカー人生の中で最も楽しかった時期だったような気がします。

 時おり 「付けただけのサイドカーじゃしょうがない」 というような事を言う人がいますが(それはサイドカーの事をちょっと知っているというバイク屋さんなどに多いようですが)自動車ともオートバイとも異なる新しい乗り物の面白さを満喫できた事は事実です。

 
ST1100パンヨーロピアン
+オートクラフトGTR

2台目のサイドカー

1993年

 

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