第二章 娘に対する親の期待
江戸時代における参勤交代は藩財政の窮乏をもたらしましたが、他方、武士達には広い社会の存在を知らしめました。
明治維新における戊辰戦争は 奥羽越列藩同盟に参加した各藩にも著しい差をもたらしました。
常に飢饉の後遺症に悩まされ、ゆとりが無く、多くの士族達が落ちぶれていく中、節子の父 忠操 はうまく時代の潮流に乗り、官吏という得がたい地位を得ています。
忠操は多くの子供たち、とりわけ長子の 節子に自らの夢を重ねます。
他の男親と同じく、彼は節子に才知に長け、美しく成長し、しかるべき富裕な家に嫁し、さしたる苦労をすることもなく、幸せに暮らしていって欲しいと願ったことでしょう。
娘たちに 高等女学校で学ばせ、バイオリンを習わせたのもこのような目的のためであったことでしょう。
残念なことに、才色を合わせ持つ節子はこの親の期待を見事に裏切ります。
他方、妹ふき子は 資産家であった 宮崎家に嫁ぎ、親の期待に沿います。
ちなみに明治政府が音楽教育の重要性を認め、全国の小学校に オルガン を普及させるのに苦労したのはこの頃のことです。
忠操は 鹿鳴館の夜会に夜毎集う貴婦人達の姿に 節子の姿を重ね合わせて見ていたのでしょう。
第三章 啄木の境遇
明治二十八年、渋民尋常小学校を首席で卒業した啄木は村人より “神童”と評され、さらに 盛岡高等小学校に進学します。
しかしながら、収入の乏しい石川家にとって町での遊学は経済的に無理でした。
後に啄木が上京するに及び、父一禎は経済的に破綻し、ついには寺の資産を私したとして住職を罷免させられるにいたります。
啄木の進学は富裕な親族の扶助があったからでできたことでした。
明治三十一年、啄木は優秀な成績で盛岡中学校に進学します。そして文学に対する才能を開花させてゆきます。
他方、父一禎は啄木への仕送りに心を砕きます。このような一禎のやり方に不満や反感を抱いた村人も少なからずいたことでしょう。