第六章 甘い夢

         やはらかに 柳あをめる 北上の

                  岸べ目に見ゆ 泣けとごとくに

明治三十五年十月三十日 啄木は 文学をもって身を立てるべく故郷を出発、上京。東京小石川に居を定め、生活の資を得ようと努めます。
上京を決断した時、節子と啄木との間にどのような会話がなされたのでしょうか。
ありきたりに推し量れば 「いっしょに東京へ出て二人で暮らそう。僕はそのうちに立派な文士になるから。まず僕一人で上京して、しかるべき職をさがすから。一緒に暮らせるようになったら、きっと迎えにいくから」 と啄木は節子の耳元で甘く囁き、新生活への希望に燃えさせたことでしょう。

            ああ我けなげの妻、美しの妻
            たとへ如何なる事のありとて
            吾らは終生の友たる外に道なきなり

節子は明治三十七年三月 滝沢村篠木尋常小学校の代用教員となり、啄木の成功を待ちます。
啄木の脳裏には東京の文学界で華やかな地位を築き、愛の生活を送る 与謝野鉄幹、晶子夫妻の姿が目標として描かれていたことでしょう。

あの時の節子の熱心さには全くどうにも仕方がありませんでした。伯母からは節子がかう言って泣いて頼みに来た。もしこの結婚を許してやらなければ、若い者同志のことだから思ひつめてどんな事を仕出かすかわからない。後で大事を惹き起こして臍を噛むやうなことをするよりは、一層思ひぎって一緒にさせてやってはどうかと説かれ、仕方なく承諾したような次第でした。   堀合忠操

節子の父忠操はこの結婚に反対しましたがついに承諾します。
一方、啄木は上京してみたものの生活の方途を見出すことができません。
節子との結婚が予定された頃のこと、突然 父一禎の宝徳寺住職罷免の報に接し、愕然とします。
啄木への仕送りのため 曹洞宗宗費上納が滞ったことが理由でしたが、同時にこれは啄木一家の生活の基盤が無くなったことを意味します。
啄木はさしせまった節子との結婚式に出ることができなくなりました。


          第七章 一人花嫁の座にありて

結婚式の日、いくら待っても啄木は行方がわからず、出てきませんでした。
一人花嫁の座にあって、節子はどのような心境だったのでしょうか。
啄木の言葉を信じて 「如何なることがあろうとも添い遂げよう」 と決心したのでしょうか。それとも 父の反対を押し切ってまで成し遂げた以上耐えなければならないと思っていたのでしょうか。
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