第八章 啄木との新婚生活
まどろめば 珠のようなる 句はあまた
胸に蕾みぬ み手を枕に
明治三十八年六月四日 節子は啄木との新婚生活を始めます。家は盛岡市内の二間の借家。四畳半の一室を夫婦が使い、八畳間に父一禎と母、妹が住みました。
これはこの頃としては比較的恵まれた生活でした。
しかし、二階建ての広い屋敷で何不自由なく暮らしてきた節子はどんな気持ちであったでしょう。
おまけにさしたる収入もなく、生活は困窮を極めたことでしょう。
啄木は常に“家”という重荷を背負っていたといわれています。
そしてこれは明治時代の社会の底辺で生活せざるを得ない人々の一般的姿でした。
しかしこの重荷は節子の心を次第に蝕んでいきます。
啄木の父一禎は生活の窮乏を目にしてみずから野辺地へ去ります。
第九章 渋民村の生活と長女京子の出産
明治三十九年三月四日、父一禎の赦免を予期した啄木は父の宝徳寺再任を図るため、母と妻節子とともに渋民村に帰ります。そして、節子の父 忠操の介助により 渋民尋常小学校代用教員を拝命します。
代用教員となった啄木はそれなりに熱心に仕事を始めます。しかし夏休みに上京してからすっかり熱意を失い、また、一禎の宝徳寺再任問題も村を二分する争いとなってしまいました。
生活は依然として苦しく、悲観した一禎は再び野辺地へ身を引きます。
この頃、既に妊娠していた節子はどのような心境であったことでしょう。
この年、暮れも押し迫った十二月二十九日、節子は 実家堀合家で 長女 京 を出産しました。