第十章 一家離散
明治四十年五月四日 父一禎の宝徳寺住職再任に失敗した啄木は辞表を提出、免職となります。啄木は節子と長女 京子を盛岡の実家に、母は知人宅に託し、妹 光子 を連れて北海道へ旅立ちました。そして函館、札幌、小樽と彷徨します。
文字通り一家離散の旅でした。
父一禎の再任の希望が断たれたことは、さしたる収入もない啄木の肩に 節子と京子のほかに 父母、妹を扶養するという重荷が課せられたことを意味します。
ここにおいて、“夫婦で東京で生活する”という 啄木と節子の悲願は叶えられなくなりました。
節子にとって実家で産後の体を休め、幼い京子を養育できたことは僥倖だったかもしれません。
明治四十年七月、啄木は函館に節子と母をよびます。しかし大火にあい、小樽では正月とはいえ餅一つない赤貧の生活。
啄木は単身釧路に赴いていきました。
啄木は函館で 資産家宮崎郁雨と知り合っています。彼は節子の妹ふき子と結婚、以後啄木を援助してくれました。
第十一章 釧路
明治四十一年一月 啄木は釧路新聞社に勤務。 活躍し、好評を得ます。
しかし単身赴任のこと、夕方宿に帰るとインクも息も凍るような寒さ。いきおい啄木の足は温かい料亭に向かいます。そして小奴という名の芸者と馴染みになります。
よりそいて 深夜の雪の 中に立つ
女の右手のあたたかさかな
小奴と いひし女の やはらかき
耳たぶなども 忘れがたかり
幼子を抱え、生活に苦しむ節子。啄木は焦燥感にかられ上京します。