第十二章 東京朝日新聞社入社
明治四十一年四月五日 啄木は釧路を去り、函館に家族を残し上京し創作活動をしますが失敗。苦境を金田一京介に救われます。
盛岡中学校時代の友人達は 金田一京助は大学の助手、野村胡堂は新聞記者とそれぞれに活躍していました。
明治四十二年三月一日啄木は幸運にも東京朝日新聞に校正係として採用され、ようやく定期的な収入を得るようになりました。
しかし家族に対する苦労は家族に対する反感となり、妻子に送るべき前借のお金も遊興に使い果たしてしまいました。
第十三章 節子の困苦、上京そして家出
節子は啄木の上京後、函館で啄木の母・カツと娘京子と暮らしていましたが、啄木よりの送金もなく、小学校の代用教員をしてやっと生活をしていました。
しかしながら、慰めもうるおいもなく、この頃より病気がちとなり、意固地な面を強く示しだしたカツとの生活は雪国の厳しい気候とともに節子の精神も容貌もやつれさせてしまい、若い頃の面影をもうばってしまいました。
ついに意を決した節子は 明治四十二年六月十六日、京子、カツとともに上京してしまいました。
若き日、夢にまで見た 東京での啄木との生活でしたが、現実は異なり、相も変らぬ貧乏暮らし。さらにカツとの衝突、頼みとした啄木の冷淡な態度に節子はすっかり絶望してしまいました。
おまけに、この頃より節子の体をむしばむ結核による体の不調から将来を悲観した節子は 明治四十二年十月二日、置き手紙を残し、長女京子を連れて盛岡の実家に逃げ帰ってしまいました。