*** サンタクロースについて ***
BGM 「 Here comes Santa Claus」
〜 サンタクロースがやってくる 〜
Gene Autry, Ookley Haldeman
世界中の子供たちが、一番楽しみなこと、と言えばサンタクロースの贈り物。
でも、サンタさんがやって来る日は、12月24日の真夜中とは限らない。
サンタクロース(聖ニコラウス)の日は、教会暦では12月6日。
この「聖ニコラウス」の日は、前の晩に長靴にあめやチョコや
りんごやナッツを入れて貰う習慣は、今でも一般に行われている。
聖ニコラウスについては諸説あるが、4世紀に実在した人物で、
小アジアの古代国家リュキアのミュラ(現トルコのデムレ)という
地中海を望む都市の、大司教という地位にあった。
伝えられる数々のエピソートには、他の人物の逸話も混じり込んでいるらしい。
伝説が伝説をよんで、膨れ上がって物語が出来あがったようなので、
真相ははっきりしない。
一説には、三人の年頃の娘をもつある貧しい父親が、
娘たちを嫁入りさせる婚資に困り、いよいよ娘たちを、
街頭に立たせて稼がせるしかないとなったとき、この司教が
3日間続けて金塊をひとつづつ、部屋の中へ投げ込んだという。
他説には、三人の貧しい乙女のいる部屋の煙突から
金塊を投げ入れたのだとも。その時部屋では、
煙突の火のそばで、靴下をつるして乾かしていた。
それで金塊は、ちょうどその中へ落ちたという。
長靴や靴下にプレゼント入れるのは、このようなエピソードによるらしい。
また別の逸話が、ジェノヴァの大司教ウォラギネ(13世紀後半)の書いた、
「黄金伝説」にも多数残されている。
海上で大荒らしにあった船乗りを助けて海を鎮めたり、
飢饉の年には、小麦で貧しい人びとを救ったり、
いろいろな立場の人びとに施しをしたり、奇跡を行ったと伝えられているために、
かれらの守護聖人とされるようになった。
こうした背景から次第に、サンタクロースが贈り物をもってくる、
という民族習慣が生じていくわけである。
聖ニコラウスの活動した小アジア一帯は、地中海交易の場であったので、
彼らの死後も、付近一帯を航海する船の守護聖人として
崇拝の対象となった。付近に建立された多くの聖ニコラウス聖堂が
それを裏づけている。
聖ニコラウスの遺骨は、1087年にミュラからイタリアのバリへ移された。
それ以降、西ヨーロッパにも聖ニコラウスの伝説が浸透して、
私たちはサンタクロースといえば、トナカイの引く橇に乗って
道を走ってくる北欧人だと思いこんでいるが、
伝説の発信地は以外にも小アジアなのである。
聖ニコラウスの民俗は地方によって異なり、大きく分けて2種類ある。
プロテスタント圏では、聖ニコラウスが姿を見せないで、
贈り物をこっそり置いてゆく。
一方、カトリック圏では、聖ニコラウスが姿を見せながら
贈り物を置いてゆく違いがある。
プロテスタント圏で、聖ニコラウスが姿を見せないのは、
プロテスタントがだいたい聖人の存在も司教制度も否定しているからだ。
聖マリアや聖人など、人間を拝むのは一神教の精神に反すると、
ルターはそれまでの聖ニコラウスの贈り物の習慣を、
なんとか12月24日の夜、つまりイエスの降誕の時期に移動させようと
努力した。
この世のあらゆる良いものは、救い主から来る、
と子供たちに教えようとしたのだ。
それでプロテスタント圏では、贈り物はクリスマス・イヴに、
「クリスマス男」という新たに想像された人物か、
キリスト自身が持ってくることになったのである。
それでも「聖ニコラウスの日」の民間の習慣はたやすく消えるものではなく、
今でも子供が贈り物をもらう日として残っているが、
聖人の姿だけは消えてしまったのである。
参考文献 朝日新聞社
「誰も知らないクリスマス」 舟田詠子・著