4月15日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面のプロ野球順位表のわきに
《従来のゲーム差を勝率順に変更します
》と。
2001-06-09 (6) 01:32:38 +0900
4月10日づけ朝日新聞大阪本社版「ほがらか」面(?)編集後記に
《私は最近、飲食店などでの「千円からお預かりします」が気になります。
(中略)
「から」と「預かる」の関係がわかりません。
「預かるのなら利子付けて返してくれるの」と突っ込みを入れたくなります
》。
「預かる」はおつりを出すまでとりあえず預かる、という意味だろう。
5月8日づけの同面の編集後記には
《(前略)**さんから「深読みすれば、消費税導入のころからでないか」と。
千円から「消費税分をお預かりします」のうち「消費税分を」
が省略されたのでないか、が**さんの見方です
》
(「**」にあった人名は引用省略)。
実は私も同じことを考えていて、ここにそれを書こうかと思っていた。
しかし、これは仮説としてはおもしろいが、当たっていないと思う。
「消費税分をお預かりする」という発想の店はほとんどなかったからだ。
2001-06-09 (6) 01:25:59 +0900
5月27日づけ朝日新聞大阪本社版日曜版「悠・遊・人」は 《ぺものコレクターでペンギン会議研究員 上田一生さん(46)》 だが、見出しに一度、本文に二度現れる「ぺもの」の「ぺ」はひらがなだが、 写真の説明文の「ペもの」は「ペ」がカタカナになっている。
2001-06-09 (6) 01:16:49 +0900
5月6日づけ朝日新聞大阪本社版文化総合面
《「R指定」映画ってオシャレ?》に
《わいせつな雰囲気の「成人」が、
無機質な「R」になり
》とあるが、
「成人」ってそんなに“わいせつな雰囲気”があるんだろうか。
だったら「成人式」や「成人の日」は?
2001-06-09 (6) 01:09:25 +0900
1998年10月1日の朝日新聞大阪本社版「読者とつくる」面の「ことば」
は「ため口」。
《中、高校生たちが使い始めた言葉で、
同年代に対する口のきき方、言葉遣いをいう。
「ため口をきく」「ため口をたたく」は、
目上の人に向かってなれなれしく話すこと
》。
そうだったのか。
手元の辞典には出ていなかったので、意味がわからなかったのだ。
カタカナ語でなくても意味がわからないことはあるのだ。
2001-06-09 (6) 01:01:55 +0900
2000年12月8日づけ朝日新聞石川面 《ヘプバーン ドヌーブ…/「王道」上映会/金沢・あすから》 の本文と写真の説明は「へプバーン」と「へ」がひらがなになっている。
2001-06-09 (6) 00:46:55 +0900
2000年12月2日づけ朝日新聞大阪本社版の京都女子大学の全面広告。
2001年1月20日の「ニューイヤーコンサート」について
《日本ではほとんど例がない3台のピアノによる演奏は必見の価値あり
》。
「必見」と「一見の価値あり」のハイブリッドか?
2001-06-09 (6) 00:34:59 +0900
「一件の価値あり」と誤っていたので訂正した。
2004-05-12 (3) 21:06:27 +0900
4月10日づけ朝日新聞大阪本社版総合面「ひと」は 《20年ぶりに「アクセント辞典」を改訂した早大名誉教授 秋永一枝さん》。 これを見ていて思ったのだが、 日本語のアクセントの表記法を新聞は確立していないのではないか。 高く発音する部分のカナに傍点を振っている。 これが不十分なことは、 「端」「箸」「橋」のうち 「端」と「橋」が同じになってしまうことを考えればすぐわかる。 きちんとやるには、次に助詞の(たとえば)「が」をつけて調べるのである。
2001-06-09 (6) 00:24:30 +0900
3月14日づけ朝日新聞大阪本社版に 「ラルク・アン・シエル」の全面広告が出ている。 フランス語の l'arc-en-ciel にちなんだグループ名のようだ。 この広告がタテ書きなのだが、グループ名の最初の部分は
L 'A r cと、apostrophe が A の左肩についている。 フランス語で縦書きの看板などを作るときもこうするのだろうか? 私の感覚では定冠詞が母音の前で l' になったのだから apostrophe は L の右肩につくような気がする。
一方、収録曲名も縦に書かれているのだが、その中の
H E A V E N S' D R I V Eと
D r i v e r s' H i g hは apostrophe を含んでいる。 これらは英語と思われるが、apostrophe を次の文字の右肩につけている。
さらに、 小さな文字で書かれた「着信メロディサービス」の案内では、 グループ名の最初の部分が
L A' r cと書かれているように見える。
上の三つを通じて、見方によっては、 apostrophe は非常に平たい活字で、 横書きであれば左右にくる文字に上下からはさまれている、とも見える。 こう見た場合でも、 apostrophe の位置が右に寄ったり左に寄ったりして統一性がなく、 不思議であることに変わりはない。
2001-06-09 (6) 00:00:50 +0900
3月15日づけ朝日新聞大阪本社版の第一面と中のほうとに、 4月1日から文字が大きくなるという記事が出ていた。
1981 年まで | 一行 14 文字 |
1991 年まで | 一行 13 文字 |
2001 年 3 月まで | 一行 12 文字 |
2001 年 4 月から | 一行 11 文字 |
一行あたりの文字数は十年につき 1 ずつ減っている。 百年もすると一行 1 文字になったりして。
付: 四種類のサイズの文字によるサンプルが出ているが、 今年 4 月以降のサイズのものも、 年齢、西暦と元号による年の表記は 3 月以前と同じように漢数字を用いている。 この部分は、新サイズの文字で表記は旧式という、珍しい例になっている。
2001-06-08 (5) 22:11:58 +0900
5月18日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 《国土交通省「入る水と出る水同量に」新ダム案提出/本当?「川に優しい」ダム》。 見出しだけ見たとき、 実は何も建設されていないのに 「ここには入る水と出る水の量が等しいダムがあります。 これが見えない人はその地位にふさわしくない人です」 とか言うのかと思ってしまった。
2001-06-08 (5) 19:49:39 +0900
5月18日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「“違憲観音”山村に難問」。
《「村が建てた観音像は違憲」とした松山地裁の判決を受けて
》
その観音像をどうするか、だが、
《ある業者は「仏様を砕くなんて冗談じゃない」と首を振る。
別の業者は「観音様にドリルで穴を開ける姿を地元の人に見られるのは後ろめたい」
と話す
》
そうだ。
そのように言われること自体が、
この観音像の宗教性を語っているのではあるまいか。
(と簡単には言い切れないかも知れない。 宗教性のない人物の像であっても、 あまりにリアルであったりすると破壊するにはしのびない、 ということがありうるからだ。)
2001-06-08 (5) 19:42:03 +0900
5月18日づけ朝日新聞大阪本社版政治面
《首相靖国参拝/中国「慎重処理を」》。
《福田康夫官房長官は
「参拝は戦没者に敬意と感謝をささげたいとの気持ちであり、
(中略)」の談話を出した
》
とある。
「敬意と感謝をささげる」ことと
「参拝する」こととは違うと思う。
「参拝はするが敬意と感謝をささげるだけで宗教的な行為ではない」
と主張するのも無理があろう。
注) 靖国神社にまつられているのが戦没者かどうかはここではふれない。
2001-06-08 (5) 19:32:20 +0900
7日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 《最後の象形文字「トンパ」人気》。
なぜ流行しているのだろう、と考えてみた。 「コンピュータに載ったことで、絵が描けなくても使える」 「デザイナーが作ったアイコンとは違って“自然発生”的で、 実際に使われている、ということから暖かみが感じられる」 「ポケベルで使われていた数字による“暗号” や携帯電話のメールで使われる短縮語のような “知っている人だけがわかる” という“暗号性”」。
2001-06-08 (5) 19:25:24 +0900
7日づけ朝日新聞大阪本社版文化面(?)、
「思潮21」は
入江昭ハーバード大教授の《「歴史」とは何か》。
《もしも米国が門戸開放とか人権とかを掲げて、
日本の大陸進出に反対していたのならば、
何故もっと早くから、
例えば満州事変勃発当時から、
日本の中国撤退を主張しなかったのか
》。
ある国のある国への進出に対抗する戦争が起きたとして、 日本が(何らかの意味で)その戦争に参加したとして、 こう問われることもあるわけだ。
2001-06-08 (5) 19:16:59 +0900
私は鼻濁音にしないが、 いま読んでいるNHK金沢のアナウンサーは鼻濁音にしている。 このアナウンサーは「市町村合併(しちょうそんがっぺい)」の 「が」も鼻濁音にしているようだ。
2001-06-08 (5) 18:54:17 +0900
「自由にリンクを張ることを認めないページ(注) からこのページへリンクを張ることを禁じます。 (注:例えば、 「事前に許可を得ることなくこのページにリンクを張ることを禁じます」 「このページにリンクを張る際は御一報ください」 などと書かれたページがこれに当たります。)」
こう書いておいてそのページからそのページへリンクを張ることは、 これに違反しているだろうか?
私は「リンクは御自由に」という考え方なので関係なし。:-)
2001-06-08 (5) 18:26:45 +0900
きょう16時の気象通報。 私は「低高高高」だと思っていたが、 新明解第五版は「低高高低」も載せている。
2001-06-08 (5) 18:21:31 +0900
NHKラジオがまたいたましい事件を報道していた。 その中でちょっとヘンな言い回しだと思ったことが二つ。
一つは「外から侵入」。 「侵入」とは外からはいることだろう。 あとのニュースではこの言い方はなかったので、 急いでいたためこうなってしまったのかと思われる。
もう一つは 「もっていた免許証から*歳の男とわかった」。 免許証でわかったのは「*歳」ということであって、 「男」であることは最初からわかっていたと思われる。 こちらは、どう言い換えればいいか、私にはわからない。 「*歳の人間」じゃあおかしいし。 外国人なら「*歳の**人の男」となるところかも。
2001-06-08 (5) 18:14:32 +0900
6日づけ朝日新聞大阪本社版社説「スターウオーズはご免だ」。
《「スターウオーズ」は映画の世界だけにしたい
》
そうだが、あれは「スターウォーズ」では?
2001-06-08 (5) 02:11:25 +0900
「一年間、毎月これこれをお届けします」 という通信販売の広告が新聞に出ている。 ところで、ハブラシは一生懸命みがくと一カ月ぐらいでダメになる。 そこで、「毎月ハブラシをお届けします」というのを思いついた。 「六月はアジサイを思わせる薄いパープル」のように毎月、色が変わる。
きっとダメだな。 実際、薄いパープルの柄のハブラシを買った際に思いついたもの。
2001-06-08 (5) 01:13:26 +0900
うちを出て、隣のアパートの前で、髪をたばねるゴムが落ちているのを見つけた。 薄いピンクとグリーンの2本で、私が先日なくしてしまったのと同じ色の組み合わせ。 多分、私のだ。拾って、ゴミ箱に捨てた。
私は土手の上を歩いていて、下を歩いている人が見える、というところがある。 そこでは道が45度ぐらい曲がっている。 そこへ左から小学校低学年の男の子が、 右から犬を散歩させている中年の女性が近づいてきた。 このままではちょうど曲がっているところで出会う。 歩道の幅がせまいので、 出会うまでお互いの姿は見えないだろう。 出会ったとたんにかなり驚くのではないだろうか。 何か声をかけるべきだろうか? と考えているうち二人は出会い、 私が想像していたようになってしまった。 驚いただけでほかには何もなかったようだが。 あとで気づいたのだが、 「ハチ合わせしますよ!」と声をかければよかったのだ。 (どちらも適切な歩き方をしていたと私は思う。 それでああなってしまうのは、歩道がせますぎるのだ。)
2001-06-08 (5) 01:08:16 +0900
「リンクあるいは URL への言及は当方の許可を得てから」 というページをときどき見かける。 許可を得てそのページにリンクを張るなりそのページの URL をあげるなりしてあるページから、 元ページの著者の許可なく引用した場合はどうなるのだろう? あるいは 「このページを見てマウスカーソルを動かしていたらブラウザの片すみに http://... という文字列が表示されました」 などと別のページに書いたら?
だから、本当に許可制にしたいなら、 許可を出す際に 「リンクを張る際、すぐそばに『このリンク先は許可制です』 『この URL を引用してはいけません』 『このページを閲覧中に見聞きしたことは他人にもらしてはいけません』 と書くように」 などとしなければならないのではあるまいか?
(私は「リンクは御自由に」という考え方です。)
2001-06-07 (4) 23:45:59 +0900
COD(第8版)の凡例を見ると日本語の辞書では「語義」と言われるものを
Definition と呼んでいることがわかる。
本文で definition をひくと
a statement of the meaning of a word or the nature of a thing.
とあるのがそれだろう。
しかし、手元のいくつかの英和辞典で definition を見たところ、
「語義」という訳語はあがっていなかった。
2001-06-07 (4) 23:29:54 +0900
本文ナシ
2001-06-07 (4) 22:43:30 +0900
勝率で最終順位を決める場合、シーズン途中でも勝率の順に並べる、 という考え方が最も適当だろう。
勝ち数で最終順位を決める場合も、同じように考えて、 勝ち数の順に並べることも考えられる。 しかし、「勝ち数で最終順位をつける」は 「負け数+引き分けの数で(逆に)最終順位をつける」と同じであるから、 シーズン途中は(負け数+引き分けの数)の少ない順、というのも意味がある。 さらに、「勝ち数−(負け数+引き分けの数)で最終順位をつける」のも同じだから、 シーズン途中は{勝ち数−(負け数+引き分けの数)}の順、というのも。
勝率で最終順位を決める場合、負けの率の少ない順、 というのは勝率の順と一致するから考えても意味がない。 勝ち数÷(総試合数−引き分け数)は勝率に等しいが、 シーズン途中はこれで順位をつけることにしたらどうだろうか。 被除数の「勝ち数」は減ることがないし、 除数の「総試合数−引き分け数」は増えることがない。 よって、この商は減ることがない。 同じように、負け数÷(総試合数−引き分け数)の逆順、 {総試合数−(引き分け数+負け数)}÷(勝ち数+負け数)の順、 なども考えられる。 (ただし、除数が0のときは考えないことにする。)
2001-06-07 (4) 22:42:20 +0900
上で「総試合数」と書いたのは、 そのシーズンに予定されている試合の総数である。 すでに済んだ試合の数ではない。
2001-06-08 (5) 18:10:25 +0900
次の表は7日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面から作った。
チーム | 試合数 | 勝ち | 負け | 引き分け | 勝率 | 勝率 による 順位 | ゲーム差 | 負け + 引き分け | ゲーム差もどき |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
読売 | 58 | 31 | 26 | 1 | .544 | 3 | 1.5 | 27 | 1.0 |
中日 | 53 | 29 | 23 | 1 | .558 | 2 | 1.0 | 24 | 0.5 |
ヤクルト | 50 | 28 | 20 | 2 | .583 | 1 | 22 | ||
広島 | 51 | 25 | 23 | 3 | .521 | 4 | 3.0 | 26 | 3.5 |
横浜 | 51 | 20 | 30 | 1 | .400 | 5 | 9.0 | 31 | 8.5 |
阪神 | 51 | 20 | 31 | 0 | .392 | 6 | 9.5 | 31 | 8.5 |
「勝ちの数−負けの数」を「勝ち越し数」と呼ぶことにすると、 「ゲーム差」は 「(勝率一位のチームの勝ち越し数−そのチームの勝ち越し数)÷2」で定義される。 今のところ、ゲーム差は勝率による順位をよく反映していると思う。
だから「ゲーム差」も掲載したらいいんじゃないかと思うが、 公式に順位を決める「勝ちの数」「勝率」に加えて、 あくまでも参考に過ぎない第三の「ゲーム差」 まで載せると読者が混乱すると考えているのだろうか。
なお、ことしのセ・リーグは勝ち数優先で順位が決まる。 よって、引き分けは負けと同じ扱いだ。 だから、 上の「勝ち越し数」の定義を「勝ちの数−(負けの数+引き分けの数)」 で置き換えることで「ゲーム差もどき」が定義できる。 それも書いておいた。
2001-06-07 (4) 20:41:45 +0900
「犠牲」のそもそもの意味が「いけにえ」であることが頭に浮かぶと、 落石がひどくてみんな死んでしまいそうなので “落石の神様”に中学生一人をいけにえとして捧げ、 ようやく残りの人たちは助かった、 という状況に思えてしまう。 きのうのこと。
2001-06-07 (4) 20:27:56 +0900
「『ま』誰々は『ま』中三日でマウンドにあがったわけですが」 といった感じ。 考えながら話すときの「まあ」とは違う。
2001-06-07 (4) 20:25:28 +0900
数年前、割りばしは木を伐採して作るので森林に悪い影響がある、 といわれたことがあり、自分のぬりばしを持ち歩く運動があった。 私は、間伐材を使った割りばしならそんなことはないと聞いていたので、 それはどうかと思っていた。 しかし、割りばしを使っていて環境に配慮していないと思われるのもくやしいので 「だったら割りばしを使わないで手づかみで食べてやる」と思いたち、 実行してみたことがある。 とはいっても、なべ物などでこれをやると “くかたち”になってしまうのでご飯などで試しただけだが、 ふだんいかに熱いものを口に入れているかがよくわかった。
2001-06-07 (4) 00:00:05 +0900
「これが正しい湯船のつかり方」「これは湯船でしてはいけないこと」などは、 それを実演している映像にいくつかの言語で 「よい」「悪い」などのスーパーインポーズを出すなどして、 外国人にもわかりやすくする。 時間は2〜3分以内。 男湯で流す男性モデル版、女湯で流す女性モデル版の二つが必要だろう。 最近は日本人でも銭湯に慣れてない人が増えていると思うが、 そういう人も必見。
付:実写でなくアニメでも可。
2001-06-06 (3) 23:44:38 +0900
オイゲン・ヨッフムの「大地の歌」の CD ジャケットに Symphonie für eine Alt- und eine Tenorstimme und großes Orchester と書いてある。 この Alt- という書き方が目をひく。 ローマ字書き日本語の分かち書きの際にもこういうのが出てこないか?
2001-06-06 (3) 02:32:40 +0900
「明日があるさ」というフレーズをあんまり聞かされると、 「君には明日という休日がある。だから今日は残業しろ」 と言われているような状況を想像してしまうときがある。
2001-06-06 (3) 02:13:55 +0900
5日づけ朝日新聞大阪本社版文化面「J-culture-NOW!」は
「シロガネーゼ/「小金持ち文化」健在」。
その中に
《昨秋、営団地下鉄・南北線の白金台駅がオープン
》
とある。
「白金高輪−白金台−目黒は都営三田線も並んで走っているのになぜ無視されるのか」
「最近は駅まで“オープン”するものなのか」
などはさておき、
この駅の名前が「シロカネダイ」であることが書いてないのが残念。
9日づけ「ヘラルド朝日」に英文が載るそうだ。
ローマ字書きではどうなっているだろう
(と書いたものの私は調べる気はないが)。
2001-06-06 (3) 02:09:20 +0900
5日づけ朝日新聞大阪本社版科学面で、 最近流行している消音型楽器が紹介されている。 バイオリン・チェロ・ベースの弦楽器のほかにピアノ・トランペット・ ドラムなどまで記事に出てくるがビオラが出てこない。 見出しにも 《音色そのまま 音だけ小さいバイオリン・チェロ》。
どうしてここまで差別されるのだろう? バッハもベートーベンもビオラ奏きだったのに……。
(ところで、「サイレントバイオリン」などの名称は記事中に見えない。 「サイレント〜」はヤマハの商品名だったと思う。)
2001-06-06 (3) 02:00:35 +0900
4日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「8歳 木につるし死なす」。
《「次女が家の仏壇に供えてあったどら焼きを無断で食べたので、
しつけのためにした」と供述しているという
》。
この死んだ次女の位牌はその仏壇にはいるのだろうか。
もしそうだとして、仏壇にはどら焼きを供えるだろうか、
あるいはどら焼き以外のものを供えるだろうか。
考えさせられてしまった。
2001-06-05 (2) 03:24:30 +0900
第11の書板第 30 行によれば方舟は立方体であり、 第 60 行には「それに六つの床面を加え」とある。 ということは、立方体の各面が「床」だったのではあるまいか。 これは重力のない宇宙空間を飛行するように方舟が設計されていたことを思わせる。
……ってのは冗談です。
2001-06-05 (2) 00:40:35 +0900
ノアは方舟にいろいろな動物を乗せたが、 洪水のあとそのいくつかを燔祭として神にささげている。 せっかく方舟にはいったのにそこで絶滅してしまった動物もいたのだろうか。
創世記を読み直してみると「二匹ずつ」と「七匹ずつ」の両方が目につく。
岩波版(創世記の分担は月本昭男氏)の 20 ページの注には
「叙述の重複や内容的に異なる記述の交錯が目立ち、
複雑な編集過程を思わせる
」と、
22 ページの注には
「「七匹/羽」は三つがいに一匹/羽ずつ余る。
洪水後の供犠を想定してのことか(八 20)
」
とある。(八 20 は燔祭をささげる箇所。)
実は最近、同じ月本昭男氏の訳による「ギルガメシュ叙事詩」(岩波書店) を読み返しているのだが、その際に気がついたのだった。
2001-06-05 (2) 00:35:40 +0900
きょうも含めて、ここのところTコード + Vz で書いている。 このほうが頭が冴えるような気がする。 ただし、自作のFEP(←死語 ^^;)は 98, DOS 専用であり、 Windows では DOS 窓でも使えない。
2001-06-05 (2) 00:07:45 +0900
3月7日づけ朝日新聞大阪本社版文化面 「敗戦後の悲惨さ描く/『仁淀川』宮尾登美子さん語る」 の引用部分
は新旧のかなづかいが混在している。 旧かなづかいなら「かへる」「書かう」である。 正しく旧かなづかいで書かれているのは「ゐる」だけだ。綾子は戦後を想起させる 「ひどく紙質の悪い、うすっぺらな」 ノートに 「星ひとつない闇夜、 かえるがないてゐる。 美耶(長女)のために書こう。 勉強しよう」 と初日を二行で終える。
ここから先は全くのあて推量だが、 記者が新かなづかいに直したのではあるまいか。 その際、「ゐ」だけは新かなづかいにない文字なので、 何かカン違いしてそのまま残したのではあるまいか。
この記事を読んですぐ、 確かめようと本屋さんでぱらぱらっと見たのだが、 引用箇所をさがしあてることはできなかった。
2001-06-05 (2) 00:05:20 +0900
1999年10月21日づけ朝日新聞大阪本社版「読者とつくる」面に 「プレーオフ」という言葉の説明が出ているが、 パ・リーグが二十年ぐらい前に一シーズンを「前期・後期」に分けていたとき、 前期と後期の優勝チームが異なるとこの 「プレーオフ」が行われたことには全くふれられていない。
2001-06-04 (1) 23:54:20 +0900
3月24日づけ朝日新聞大阪本社版「くらし」面の「CM天気図」。 「KDDI」が5回出てくるが、 1回目と3回目だけ「I」が細い。 どちらかがローマ数字なのではあるまいか。 はっきりローマ数字とわかる文字はあまり使われないので確かなことは言えないが。
2001-06-04 (1) 23:48:28 +0900
5月1日づけ朝日新聞大阪本社版国際面、
『仏エリート養成校「大胆」入試改革』に
「スキンへッズ
」
という誤植が見える。
「へ」がひらがなだ。
2001-06-04 (1) 23:45:30 +0900
5月9日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の下の
「ひょうご舞台芸術第23回公演『プルーフ/証明』proof」の広告。
《そこには誰も解いたことのないある数学の証明が残されていた
》。
「証明」は「解く」ものではない、 ということは高校生でもわかっていると思うのだが。
そこに意味があるのか。
2001-06-04 (1) 23:41:50 +0900
5月9日づけ朝日新聞大阪本社版社会面
「ニセ立命大証書使い就労か」。
立命館大広報課長の話に
《日付がおかしかったり、
実在しない学部名が記載されていたりするが、
形状は本物と一緒
》。
関東では「本物と同じ」というところだ。
2001-06-04 (1) 23:38:29 +0900
朝日新聞のスポーツ面とNHKラジオの野球中継とで、 「セ・リーグは今年から『ゲーム差』と言わなくなった」、 という趣旨のことを見聞きしたので、 「じゃあ今まで誰が言っていたの?」と聞き返したくなった。
最近は両リーグとも、勝率で順位を決めていた。 「ゲーム差」は勝ち越し数の差を2で割ったものなので 「きょうこのチームが勝ってこのチームが負ければいくつになる」 などがすぐ計算できて便利だが、 これが最終的な順位を決めるわけではなかった。 あくまでも、わかりやすい目安に過ぎなかったのである。 だから、今年だって「ゲーム差」がわかりやすい目安であるなら、 発表すればいいだけのことではないか。
ただし、今年のセ・リーグの順位決定は勝利数が優先である。 よって、ゲーム差を出す際の「勝ち越し数」の計算にあたって “引き分けは負けと同じ”として計算した「ゲーム差もどき」 を求めることにも意味がある。 全試合が終わった時点では、 このゲーム差による順位は勝利数による順位と一致する。
2001-06-04 (1) 23:33:23 +0900
3日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「おわび」。
《……近所に住む別の4歳児のものでした。
正しい写真を掲載し、おわびして訂正します
》。
もしも自分が間違われた子の親だったら、 「死神があの間違った新聞を見て 『なんだ、もう別の死神が連れていったのか』 とカン違いして帰っていったりするかもしれないから、 かえってよかったかもしれないよ、あはははは」 と力なく笑ったりしそうな気がする。
2001-06-04 (1) 23:21:52 +0900
3日づけ朝日新聞大阪本社スポーツ面のセ・リーグ順位表。 上の2チームだけゴチックになっている。 勝利数では読売が一位だが勝率ではヤクルトが一位だからだろうか。
……と思ったら4日づけではやめになってしまったようだ。
2001-06-04 (1) 23:19:28 +0900
3日づけ朝日新聞大阪本社版総合面、
ネパール皇太子が国王ら8人を射殺した事件に関連した
「日本との交流も」。
《……当時皇太子だった天皇、皇后両陛下が東宮御所に招いたりして、
古くから親密な交際ぶりだった
》
はわかる。
「当時皇太子だった」は「天皇」にかかり、
「天皇、皇后」が「両陛下」に続く、
と考えればちょっと無理はあるが一応理解できる。
しかし上の引用部分のすぐあとの
《同国王の戴冠式には両陛下(当時皇太子)が出席した
》
はおかしい。
これでは「両陛下」が「当時皇太子」ではないか。
2001-06-04 (1) 23:14:00 +0900
5月2日づけ朝日新聞大阪本社版国際面「特派員メモ」に《のたまった
》
とあるのをみて「おや」と思ってしまった。
「のたまわった」だと思いこんでいたからだ。
辞書をひくと実在するのは「のたまう」という四段動詞だが、
「のたまわる」という四段動詞だと思っていたようだ。
この動詞が使われる場合、「のたまわく」としてのことが多いので、
これからカン違いして終止形を作っていたようだ。
「のたうちまわる」からの類推もあったかもしれない。
2001-06-03 (0) 02:02:10 +0900
5月12日づけ朝日新聞大阪本社版トップの見出しは
「国の隔離政策、違憲/ハンセン病訴訟」だった。
確かに国の隔離政策が違憲であるとの判決が出たのだが、
本文を読むと
《
「遅くとも1960年には隔離の必要性は失われ、
過度に人権を制限したらい予防法の隔離条項の違憲性は明らかだった」
として
》
とあり、違憲とされたのは隔離政策を始めたことではなく、
必要性がなくなったあとも隔離政策を続けたことだ。
ここをきちんと押さえておかないと、 「どのようなときに責任が生ずるか」 というきわめて重大な問題がわからなくなるように思う。
(それ以前の隔離が合憲であったとして、 それが人道的に行われていたかどうかは別問題である。)
2001-06-03 (0) 01:48:05 +0900
5月12日づけ朝日新聞社会面「無差別に女性狙う」に
《**容疑者は事件の約1時間前にもいたずら目的で別の女性を……
》
とある。
「いたずら」という言い方は、
以前、被害者がある年齢未満の場合に使われていたが、
事件の重大性をおおいかくしてしまうなどの理由で使わないようになった、
と記憶している。
2001-06-03 (0) 01:27:30 +0900
5月5日づけ朝日新聞社会面に 「……ちゃん(1)」 とあったのを見て「何がカッコ1なのかな」と一瞬思ってしまった。 一ケタの年齢の書き方が4月から変わったようだ。 前は「(一」「つ)」がそれぞれ一文字分のサイズだったように思う。 合わせると「(一つ)」となる。 原文は縦書き。
2001-06-03 (0) 01:21:30 +0900
5月5日づけ朝日新聞第一面「天声人語」
は金正男氏かと思われる人物が国外退去になった事件。
初めのほうに
《「だとしたら」の仮定法で書かなければならないのが歯がゆいが
》
とあるが、
「だとしたら」は「仮定法」ではない。
ドイツ語やフランス語の動詞の「法」について理解していないのではないか。
英語には「仮定法」はないといってよく、
ほとんど過去形や過去完了形で代用してしまう。
例外は If I were a bird, ... などの場合だけだ。
外国語教育がそのような英語に偏りすぎているためでないか。
「勝利の方程式」と同じように、言葉の乱用が過ぎる。
……と思っていちおう広辞苑第五版を見たら、 「英文法で、接続法のこと」のほかに 「仮説をたてて、論理的に解く方法」も載っていた。 ただし、天声人語の用法はこれでもない。 《「だとしたら」と仮定で書かなければならないのが歯がゆいが》 あたりが適当か。
2001-06-03 (0) 01:13:29 +0900
本文ナシ
2001-06-03 (0) 01:04:35 +0900
5月17日づけ朝日新聞大阪本社版「オピニオン」面、 「声」への投書「帰りなかった患者輸送列車」。
……国鉄の駅員として就職した。時たま、 「らい患者輸送について」という内容の部内通達が掲示された。
(中略)
上りの列車はあったが、逆の場合はなかった。 ということは、生きてかえることのない片道切符と考えるほかなかったようだ。
おそらく、事実はこの投書者の結論の通りであろう。 しかし、 「上りの列車はあったが、逆の場合はなかった」 だけからそれは出てこない。 感染力が強いので隔離の必要があるが完治する病気の場合、 帰りは普通の乗客として帰るからだ。 「ということは」はないほうがよかったのではあるまいか。
2001-06-03 (0) 00:55:33 +0900
2日づけ朝日新聞大阪本社版ラジオ面のコラム「キュー」は 「ホラーで見せる復活恋愛物語」。 《ある友人などは、 このドラマを見ていると夫が嫌がるので、 ビデオに撮り深夜一人になる時を待つという》 とあるが、この友人は何をビデオに録画しているのであろうか。 「ビデオに録り」なら放送されるドラマかもしれないが、 「ビデオに撮り」だとビデオカメラで撮影していることになろうから、 嫌がる夫をビデオに撮り、 深夜一人になる時を待ってそれを見ているようにもとれる。
「魅力的な女性がだれ一人登場しないこのお話がウケるのは、 つまるところホラーだからだ」が結論のようだが、 嫌がる夫をビデオに撮って深夜一人でそれを見ている妻というのもかなりホラーだ。
私自身は、「撮る」「録る」のような訓読みの書き分けにはあまり興味がない。 「ビデオにとり」で十分だと思うし、 意味をもっとはっきりさせたければ「ビデオに録画し」などとすればいいと思う。
2001-06-03 (0) 00:25:05 +0900
5月30日づけ朝日新聞大阪本社版政治面 「首相靖国参拝/江主席が懸念」。 《「首相の参拝が軍国主義者の魂を追悼する行為ということを見逃している」 と述べた》。
私は靖国神社には戦死者が“神”としてまつられているのだと思っていた。
2001-06-03 (0) 00:15:35 +0900
ポアンカレ円板(Poincaré disk)はわれわれ Eukleides 空間に住む者から見れば半径 1 の円板に過ぎない。 しかしその中では距離が“ゆがんで”いるので、 そこに住む者にとってはその直径の長さは無限である。
振り返ってみると、小学校のころは時間の経つのが遅かった。 学校から帰って宿題をして友だちと遊んで、 まだ日が暮れなかったりしたものだ。 幼稚園のころはそれがさらに遅く、 午後の保育のない日は9時に始まって11時に終わるのだったが、 それでもそれがずいぶん長い時間に感じられた。 そして、幼児のころまでさかのぼると、 記憶はだんだんおぼろになってゆく。 理くつでは自分の生まれたのは何年何月何日とわかっているから、 それ以前には自分は存在しない。 しかし、ある時点で記憶がブツっと切れているのではなく、 記憶は“永遠に”過去へと伸びてゆくように思える。
同じように、死の床でも流れる時間がだんだん遅くなってゆき、 死んでゆく本人にとっては“永遠に”死を目前にしたときが続くのではあるまいか。 「自分は死ぬ」とわかってから意識がなくなるまでの時間は、 わきから見ている者にとっては有限である。 しかし、本人にはその時間が無限に続く。
自殺する場合、「もう戻れない」という時点が存在する。 飛びおり自殺であれば高い所から飛ぶ瞬間、 首つり自殺であれば踏み台を蹴る瞬間。 それから意識がなくなるまでの、 わきから見ていればほんの一瞬の時間が自殺者にとっては “永遠”であるとしたら、 その間に無限の後悔が生じるのではあるまいか。
ピストル自殺であればその時間はきわめて短い。 気づかないうちに後ろから首を斬られて死んだら、 眠っているうちの安らかな死だったら、 上のような例に当てはまらないようにも思える……。
2001-05-30 (3) 23:37:03 +0900
28日づけ朝日新聞大阪本社版社会面によると西武線殴打事件の 《**容疑者はラリアットと呼ばれるプロレスの技で**さんの首付近を殴打した》 とのことだが、 その少し前、 ハンセン病訴訟の報道で「ハンセン」の名をよく見聞きした。 「ハンセン」→「スタン・ハンセン」→「ウェスタン・ラリアット」→「ラリアット」 という連想が容疑者の頭の中にあったかなかったか。
(あったからといって責任をまぬがれるものではないと私は考えます、 念のため。)
2001-05-30 (3) 23:17:25 +0900
A がイ、B がロ、……、G がトだから H はチとなる。 そして B-dur は「変ロ長調」ではなく「ロ長調」、 b-moll は「変ロ短調」ではなく「ロ短調」。
しかしこれだとバッハの「ロ短調ミサ」が「チ短調ミサ」になってしまう。 チタンに似せてはいるがチタンではない「チタン調」みたいだ。
そう呼ばないということは、 「イロハ」は英語の音名の訳ということだろうか。
2001-05-30 (3) 23:03:06 +0900
29日づけ朝日新聞大阪本社版文化総合面 「基礎探語 ATC」に「盛岡ー八戸間」という誤植が見える。 長音符ではなくダッシュを使うべきところだ。
2001-05-30 (3) 03:12:34 +0900
28日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」の、 「ムカツイて」という表記に目が止まった。 「ムカツいて」ではないのか、と思ったからだ。 前半に二度出ているように、「ムカツク」と全てカタカナで書くから、 それに合わせたのだろう。
私だったら「サボって」などにひかれて「ムカツいて」と書いてしまいそうだが、 これだと終止形は「ムカツく」と書くことになるだろう。
2001-05-30 (3) 03:08:10 +0900
朝日新聞の歌壇は歌と住所(国内は市町村名、外国は国名) と名前とで二行と決まっているようだ。 三行に渡るのは見たことがない。 カタカナが多い歌などは、二行目の半分ぐらいまでを占めることがある。 一方、 外国人と結婚して外国姓を名乗っていると思われる長い名前をときどき見かける。 「もしもこの歌をこの人がよんだとしたら二行に収まり切れないな」 という歌と名前の例を見たことがある。 もしも二行を越える場合は掲載されないのだろうか?
ちなみに、一行は22文字。 これは四月に文字が大きくなる前から変わっていない(と思う)。
2001-05-30 (3) 03:00:14 +0900
私は仕事に取りかかるのが遅く、 しめきりの前日にならないと本気が出ないタイプなので、 いつも「あれもしなくちゃ」と思ってしまう。 先日、 『消極的に「〜しなくちゃ」と考えるのではなく「〜しよう」と積極的に……』 と思ったのだがそのあとに 『考えなくちゃ』とつけてしまった。 この性格をなおさなくちゃ。:-)
2001-05-29 (2) 01:12:43 +0900
RPGなどの主人公は、最初から最後までの間にはかなり歩く。 万歩計をもっていたら、どれだけ歩いたかわかっておもしろいかも。 そういうゲームももうあるかも知れない。
2001-05-29 (2) 01:08:14 +0900
……出てこないだろうか。 数日経ったら 「離婚して義母と結婚することになりましたのでお祝いください」。 これをくり返す。
2001-05-29 (2) 01:04:34 +0900
女性にだけ課せられている6カ月の再婚禁止期間をなくそう、 という意見がある。 もしなくなると、 同一のカップルの間で毎日のように結婚と離婚をくり返して、 職場などからお祝いをくり返しもらおう、という人が出てこないだろうか。 もちろん、 「同一のカップルに対してはお祝いは一度のみ」 と決めればよいだけのことだ。
2001-05-29 (2) 00:59:12 +0900
本文ナシ
2001-05-29 (2) 00:55:12 +0900
5月20日に香林坊大和の地下で見た本高砂屋のエコルセののぼりには
” 4 種 の 味 “とあった。 「99」で開いて「66」で閉じている。 縦書きで、カギカッコと似た形になるようにしたかっただけのような気がする。
(買い物したあとじっと立止まってメモを取ってきたヘンな私。^^;)
2001-05-29 (2) 00:54:17 +0900
ローマ字で長音を表記せずに「広小路」と書くと Hirokoji となり、 「ひろこじ」とも読める。 「小」に「こ」という読み方もあるので、 「ひろこじ」が正しく「ひろこうじ」はなまっている、 と思う世代も出てくるのではあるまいか。
2001-05-29 (2) 00:50:05 +0900
5月20日の日曜日、 香林坊大和8階の銀座天一の前のスペースでやっていた児童の図画の展覧会で。 「干バナナ」と同音になるわけだが、わかっていてわざとつけたのか。
2001-05-29 (2) 00:47:18 +0900
永遠の生命とか、宇宙の完成とか。
2001-05-29 (2) 00:43:10 +0900
先日、金沢大学のキャンパスを訪れたとき、 教養教育機構公開講演会のポスターが貼ってあるのを見た。 話し手はシドニーオリンピックトランポリン日本代表の古章子氏、 タイトルは 「努力すれば夢はかなう」--- シドニーオリンピックに出場して --- だった。 この命題が真であるならば、 その対偶「夢がかなっていないならば努力していなかった」も真である。
講演は 5 月 14 日で、もう終わっていた。
2001-05-29 (2) 00:42:36 +0900
このあいだの日曜日、 22時のNHKラジオのニュースで、 例のプルサーマルの住民投票の結果について 「過半数を上回る」という言い方を二度していた。 「過半数」が「全体の半数をこえる数」(広辞苑第五版)の意味なら、 「過」と「上回る」は重複している。 (厳密に言えば、11人が投票して6票を得た場合、 「過半数」だが「過半数を上回」ってはいないので 「過半数」と「過半数を上回る」は意味が違う。)
「全体の半数をこえる数のうち最小のもの」という 「過半数」の定義も最近はあるのだろうか。
2001-05-29 (2) 00:33:44 +0900
歌詞に「蒸気船」が出てくるので例の
泰平の眠りをさます上喜撰たった四はいで夜もねむれずを思い出すわけだ。 私が飲んでいるのは普通の煎茶だが。
2001-05-29 (2) 00:29:30 +0900
子どもが口のまわりを卵の黄身などで汚したさまを 「くわんくわん」というのは方言か、 という話を新聞で見て、 かなり前に職場の図書館に日本国語大辞典 (いま出始めている第二版ではない)を見にいったが、 でていなかった。
2001-05-26 (6) 03:17:00 +0900
ことし9月1日にに東京文化会館で行われる 東京シティ・フィル オーケストラル・オペラ II「ヴァルキューレ」 のチラシは、日本人のローマ字書きの名前が 「姓−名」の順になっている。 姓はすべて大文字で書いて、名と区別しているようだ。 ドイツ人らしき人はもちろん姓があと。
あれ、フリッカが Flicka になってる。 つぎはぎの神様かな?
2001-05-26 (6) 03:05:48 +0900
日本語で書かれたたいていの配役表、あらすじなどはそうしている。 「弟」と「姉」でない根拠はあるのだろうか?
2001-05-26 (6) 02:57:25 +0900
自分の n 代前までの先祖(自分も含む)の人数が 2(n+1)-1 よりも小さいような n は存在するものだろうか。
n を 100 とすると 2(n+1)-1 は 1030 程度の数になる。 100 代さかのぼっても 10000 年はさかのぼらない。 今の地球上の人口は 100 億には達していないはずだが、 100 億は 1010 だ。 もしも 10000 年前からずっと人口が 100 億で、 かつ毎年人々が次の世代の者と入れ替わっていたとしても 10000 年前から今までの人間の数は 1014 にすぎない。 よって、このような n は 100 以下の範囲に存在するであろう。
そのような n の最小数は普通の人の場合、いくつぐらいになるだろうか。 1 はありえない。 兄弟婚(実際には「姉弟」婚または「兄妹」婚だろうが)で生まれた子は 2, いとこ婚で生まれた子は 3 だ。
2001-05-26 (6) 02:16:10 +0900
……とちょっと疑問に思った。
2001-05-26 (6) 02:03:28 +0900
自分には父親と母親、二人の親がいる。 その父親と母親にはそれぞれ父親と母親 --- 自分から見れば祖父母 --- がいるから合わせて四人。 祖父母四人にそれぞれ父親と母親がいて八人。 ……と計算していくと十代さかのぼれば約千人、 二十代さかのぼれば約百万人。 その人たちのうち一人でも欠けていたら今の自分はいないのだから、 彼らに感謝しなければならない。---
と考える人もいるが、 いま男が女に言い寄っていると仮定する。 「もしもあなたと私が結婚すれば子どもが生まれるだろう。 あなたが結婚を拒否すればその子ども、 およびその子孫の生まれてくる可能性を抹殺することになる。 だからあなたは私と結婚するべきだ」。 女がこの結婚を希望しない場合、どう答えればよいだろうか?
2001-05-26 (6) 01:59:32 +0900
自分には父親と母親、二人の親がいる。 その父親と母親にはそれぞれ父親と母親 --- 自分から見れば祖父母 --- がいるから合わせて四人。 祖父母四人にそれぞれ父親と母親がいて八人。 ……と計算していくと十代さかのぼれば約千人、 二十代さかのぼれば約百万人。 その人たちのうち一人でも欠けていたら今の自分はいないのだから、 彼らに感謝しなければならない。---
と考える人もいるが、 そうすると 「あなたはこの子を産みたくないかもしれないが、 そうしたらこの子だけでなくこの子の子孫も生まれることができない。 産んでおけばいまに感謝されますよ」 ということにならないか? そういわれたらどう答えるか?
2001-05-26 (6) 01:50:15 +0900
自分には父親と母親、二人の親がいる。 その父親と母親にはそれぞれ父親と母親 --- 自分から見れば祖父母 --- がいるから合わせて四人。 祖父母四人にそれぞれ父親と母親がいて八人。 ……と計算していくと十代さかのぼれば約千人、 二十代さかのぼれば約百万人。 その人たちのうち一人でも欠けていたら今の自分はいないのだから、 彼らに感謝しなければならない。---
と聞くと、 「それらの中に生まれてきたことを母親から歓迎されなかった者はいなかったのか?」 と思ってしまう。 さかのぼればさかのぼるほど、“先祖”に含まれる人の数は増えるので、 歓迎されなかった者がいる可能性も増える。
その先祖に感謝して、その先祖、あるいは母親はどう思うだろうか?
2001-05-26 (6) 01:44:20 +0900
自分には父親と母親、二人の親がいる。 その父親と母親にはそれぞれ父親と母親 --- 自分から見れば祖父母 --- がいるから合わせて四人。 祖父母四人にそれぞれ父親と母親がいて八人。 ……と計算していくと十代さかのぼれば約千人、 二十代さかのぼれば約百万人。 その人たちのうち一人でも欠けていたら今の自分はいないのだから、 彼らに感謝しなければならない。---
と考える人もいるようだ。 確かに、 遺伝子とかの面で今の自分と同じ人間は存在しなかったかもしれない。 しかし、人間は肉だけでない。 霊に関してはどうだろうか。 新しい命が生まれる時点で創造主によって霊が吹き込まれ、 霊こそが自分だと考えれば、 今の親から生まれなかったとしてもどこかで生まれていたのかも知れない。
先祖に感謝するということは意外と spiritual でないのかも。
2001-05-26 (6) 01:32:15 +0900
京大カードについて質問をくださったかたに実物を一枚お見せしたところ 「それなら使ってます」と言われ、二人でずっこけてしまった。 「京大」「京大型」と書いていない製品も売られているので、 こういうこともあるわけだ。
この名前を削ってしまったのはちょっとさびしいなと思っていたら、 そのかたもそう感じられたそうだ。
……というわけで復活。 最初のページの
気づいたこと・思いついたことを、一項目ごとの読み切りで書いています。は
京大型カード風に、気づいたこと・思いついたことを書いています。に戻し --- ただし「京大カード」が「京大型カード」になった ---、 「いろいろ」の最初の
はこのページには、 気づいたこと・思いついたことを一項目ごとの読み切りで書いています。 新しく書いたものを先頭に追加していますので、 下へゆくほど昔に書いたものとなります。 また、 ファイルが大きくなりすぎないよう、 適当な分量がまとまると別ファイルに移しています。 それらのファイルは 『以前の「いろいろ」の目次』 からリンクをたどればご覧になれます。
とした。 そして 『すのものの「いろいろ」へのはしがき』 を新設。 これはこの「いろいろ」からの“切り抜き”で済ませてしまった。このページには、 京大型カード風に、 気づいたこと・思いついたことを一項目ごとの読み切りで書いています。
新しく書いたものを先頭に追加していますので、 下へゆくほど昔に書いたものとなります。 また、 ファイルが大きくなりすぎないよう、 適当な分量がまとまると別ファイルに移しています。 それらのファイルは 『以前の「いろいろ」の目次』 からリンクをたどればご覧になれます。
『すのものの「いろいろ」へのはしがき』 にはこのページに関するもう少しくわしい説明があります。
2001-05-26 (6) 01:09:23 +0900
ウルトラマン第二話に登場したバルタン星人は怪獣ではないが、 ではなんと呼んだらいいか、わからなかった。 「星人(せいじん)」という言い方も見たことがあるが、 こういう語はあるのだろうか。 ここからでてきた語、という気もしてならない。 「バルタン星人」という言い方は「火星人」などからの類推であろう。
注1) ウルトラQに出てきた宇宙人は 「ケムール人」であって「ケムール星人」ではない。
注2) 「ケムール人」は「ケムールじん」であって「ケムールびと」ではない。
岩波文庫「青い花」の解説か注に「星人」という語がでてきたような気がする (がダンボール箱に埋まっていて発掘不可能……)。
2001-05-26 (6) 00:08:30 +0900
新明解第五版は、 ゴジラなどの意味での「怪獣」を単なる「怪しい獣」とは別に説明している。 映画製作者あるいは配給者がゴジラを「怪獣」と呼んだとき、 それは“新語”だったのではないだろうか。 もちろん、当時も「怪獣」という語はあっただろう。 しかし、それほど広くは使われておらず、 ましてやああいうものを指すとは思われていなかったのではあるまいか。 いまじゃ幼稚園児も「かいじゅう」を知っているが。
2001-05-26 (6) 00:01:10 +0900
怪獣映画の「〜の逆襲」とかのポスターを風呂屋で見て、 「襲」の意味はおぼろげにわかっていたのだろう。
2001-05-25 (5) 23:51:25 +0900
「いらえ」という動詞は古語に属すると思うが、 私がこの語を覚えたのは広辞苑「第二版の序」 の 《問うても答(いら)えなき墓前》 でである。 漢字を見ると「答え」だがふりがなを読めば「いらえ」なので “この「いらえ」という語は「答え」の意味なのだな” と推測できる。 (そしてその推測はこの場合あっていたわけだ。)
もしもわれわれが漢字を使っていなかったとして、 「いらえ」のわきに「(こたえ)」と意味が書いてあるのとは少し事情が違うと思う。 「(こたえ)」とあると「こたえ」というオトが聞こえてきてしまう。 「答」という漢字があるだけだとそうはならないような気がする。
読めない漢字にふりがなを振るのではなく、 意味のわかりにくい語に漢字を“振る”のである。 こういうのを「振り漢字」と呼ぶと聞いたことがある。 どのくらい一般に通じるかは知らないが。
2001-05-25 (5) 23:49:50 +0900
あるかたから 『最初のページの目次のところで、 この「いろいろ」の説明に
とありますが、 「京大カード」とはいったいどういうものですか?』 との質問をいただいた。 サーチエンジンで検索してみたところ、 「京大カード」「京大型カード」という言い方はそれほどポピュラーではないようだ。 そこで、京大カード風に、気づいたこと・思いついたことを書いています。
と改めた。気づいたこと・思いついたことを、一項目ごとの読み切りで書いています。
また、 「いろいろ」の冒頭に今まで書かれていたのは
だったが、これだといったい何を“いろいろ” 書いているのかわかりにくいかも、と思っていたので、このページは、随時新しい内容を先頭に追加しています。 よって、下にゆくほど昔に書いたものとなります。 また、古くなったものは別ファイルに移しています。 それらは 『以前の「いろいろ」の目次』 からリンクをたどればご覧になれます。
と改めた。このページには、 気づいたこと・思いついたことを一項目ごとの読み切りで書いています。 新しく書いたものを先頭に追加していますので、 下へゆくほど昔に書いたものとなります。 また、 ファイルが大きくなりすぎないよう、 適当な分量がまとまると別ファイルに移しています。 それらのファイルは 『以前の「いろいろ」の目次』 からリンクをたどればご覧になれます。
2001-05-24 (4) 03:14:28 +0900
「京大型カード」とは、 梅棹忠夫「知的生産の技術」(岩波新書、1969 年) で紹介されている、 罫線が引かれただけのB6判のカードである。 ノートブックの代わりに使い、 何でも書きつけて知的生産の基礎にする。
なお、「京大カード」という言い方もあるようで、 以前は私もそう書いていたが、 上にあげた本を見直したら 「京大型カード」とあった。 サーチエンジンで検索すると「京大カード」のほうが少し多いようである。
2001-05-24 (4) 03:02:30 +0900
入試のミスで5月ごろになって合格通知がきた場合、 予備校にはいっていたらどうなるのだろうか。 「当予備校在籍者で**大に合格したもの」にカウントされるのだろうか。
それはおかしい。 だから、「当予備校入学後に試験を受けて**大に合格したもの」 をもって予備校は実績とすべきなのだ。
2001-05-23 (3) 02:18:00 +0900
最近報道されている山形大学の入試集計ミスについて、 ちょっと前のNHKラジオは「合格ライン」という語を使って報道していた。 「合格ラインに達していた受験生を誤って不合格としていた」 のように。
この言い方は、大学入試のシステムについて誤解を招かないだろうか。 大学入試は、定員が決まったうえでの選抜試験である。 センター試験や各大学で実施する個別試験から受験生の “総合得点”を計算し、その順で定員まで --- 細かく言えば辞退者の分を見込んで少し多めに --- 採る。 だから、「合格ライン」というものが最初に決められていて、 それを越えていれば合格、越えられなければ不合格、というものではないのだ。
とはいうものの、 「合格ライン」は無意味な概念ではない。 合格者の“総合得点”の最低点を「合格ライン」と呼ぶことは不当ではないと思う。
それから、 「合格ラインを越えていながら不合格とされていた受験生を今回あらためて合格とした」 のように言っていたと思うが、 意味がわからなかった。
なお、このような報道の際には、 “「合格ライン」に達していなかったのに誤って合格とされ入学してしまった者” については触れないのが通常である。
付)ニュースは録音せず聞き流したので、 記憶の誤りがあったらご容赦いただきたい。
付)本稿では、 「以上」と「を越える」などをあまり区別しないで使った。
2001-05-23 (3) 02:14:15 +0900
おなべの神様みたいに。
2001-05-23 (3) 01:47:01 +0900
:-)
2001-05-23 (3) 01:46:33 +0900
ラジカセで民放のナイターをかけながらポータブルラジオでNHKのニュースを聞く、 なんてことをときどきやっているが、 それなりに両方の内容が頭にはいることから考えついたもの。
2001-05-17 (4) 20:13:00 +0900
一点からなる集合から任意の位相空間への写像は「連続」だが、 だったら一人だけ殺されたのも “一人が連続的に殺された”と考えれば「連続殺人」ではないか?
……というのは冗談だが、 数学用語としての「連続」の意味を「連続殺人」などの「連続」 から想像している学生がいたとしたら、 正しいイメージをきちんと教えてやらねばなるまい。
2001-05-17 (4) 00:53:20 +0900
本文ナシ
2001-05-17 (4) 00:45:38 +0900
日本語の漢字かなまじり文を書くときはあまり数字を使いすぎないようにしているが、 「16 進」でなく「十六進」と書くのは前者では「16」が何進表記かわからない、 という意味もある。
このことは、小学校高学年のときの先生が教えてくれた。 そのときは十六進は習わなかったはずなので、 『「2 進法」でなく「二進法」』のような例で教わったのだと記憶している。
2001-05-16 (3) 02:02:20 +0900
日本語の漢字かなまじり文では「3角形」「三角形」と二通りの表記が可能だが、 英語で triangle のように数字を使わずに書く語は日本語でも数字を使わずに書く、 というのを私は一つの目安にしている。
ただし、完全にこれに従うときょうの日付は「五月 16 日」 と書くことになってしまう! 英語では May 16 だから。
2001-05-16 (3) 01:54:38 +0900
金沢市広坂にある、 金沢大学附属小中の跡地と市役所の間には自動車の走る道が通っているが、 附属の門を出たところには横断歩道がある。 それほど横断者が多いとも思えないところだ。 生徒がどんな飛び出し方をしても自動車側が停まらなくてはならない、 というためのものではなかったのだろうか。
2001-05-16 (3) 01:39:52 +0900