卒業生にハガキを書いたのだが、 字がへろへろで気持ち悪くなり、書き直しになってしまった。 職業上、手書きの機会はまだまだあり、 パソコンを多く使うようになったとはいえそれなりに手で文字は書いている。 それなのになぜ、と考えていたら、 手書きにもいくつかの種類があると気づいた。
一つ目は、自分用のメモ。 これはそれなりのスピードでそれなりのきれいさ (=それなりの乱雑さ)で、一応書ける。 二つ目は、どうしても手書きで書かねばならない手紙や授業の際の黒板の文字。 これらはいったん下書きをし、 書くことだけに集中して落ち着いてゆっくり書けば、 それなりに見やすく書けるつもりだ。 問題は、三つ目の、考えながら一発で仕上げる場合だ。 考えながら書く場合、 パソコンだととにかくばばばばっと書いてあとから推敲すればいい。 手書きだとこのスピードは得られず、頭に手がついてゆかないわけだ。 よって、字がへろへろになってしまう。 下書きなしでハガキを書くのはこれにあたる。
2001-06-25 (1) 03:36:25 +0900
ちょっと前にあげた 「日高川入相花王」 のページに、 「ファイル入力は****さんです」とあった。 「電子テキスト化」「パソコンへの打ち込み」など、いろいろある表現の一つ。
2001-06-25 (1) 03:09:05 +0900
「明日は来ませんね?」に対し「ええ、来ません」「いいえ、来ます」 と答えるのは、英語などを母語とする人にはちょっと発想の転換が必要だろう。 これがまだ出てきていないような気がする。 土曜日、ラジオ第二放送、15:45-16:00.
2001-06-25 (1) 03:07:35 +0900
佐藤一斎著 山田準 五弓安二郎訳注「言志四録」(岩波文庫)は未読だが、 ぱらぱらとページをめくっていたら 73 ページに次のような箇所があった。
今試に五指を屈伸して之を数へんに、 先づ大指より屈して一と為し、 食指を二と為し、 中指を三と為し、 無名指を四と為し、 小指を五と為し、 再び小指より伸ばして六と為す。 六と五とは即ち十一。 無名指を七と為す。 七と四とは即ち十一。 中指を八と為す。 八と三とは即ち十一。 食指を九と為す。 九と二とは即ち十一。 大指を十と為す。 十と一とは即ち十一。 一指毎に皆十一なり。 五指を合して五十五を成せば……
ここだけ見るとあと一歩で公式 1+2+...+2n = n(2n+1) に到りそうだが、 前後を見ると数に「陰」「陽」の区別をしたりし、 結論は「数理の秘」ということらしく、 数学にはなっていない。
原文は漢文。 また、上の引用部分には出てこないが、 和のことを「積」と呼んでいる。
2001-06-24 (0) 01:52:35 +0900
本文ナシ
又。 「糞を飲むのは薬の代わりだから。尿を食うのは凍らせて」と答える。
2001-06-24 (0) 01:36:30 +0900
本文ナシ
2017-10-17 (2) 21:07:59 +0900
(以下、日本語訳聖書の引用は岩波版からである。 サムエル書、列王記の訳者は池田裕氏、 イザヤ書の訳者は関根清三氏。)
イザヤ書第 36 章。
アッシリアの王センナケリブがユダに攻め込んでくる。
送り込まれたラブ・シャケはエルサレムを包囲し、
《彼らもお前たちと一緒に自分の糞尿を飲み食いしなければならなくなるのだから
》
とユダの高官たちを挑発する。
この「糞尿」は、欽定訳ではどうなっているのだろうか、
と調べてみたら、
《that they may eat their own dung, and drink their own piss with you
》
となっていた。
piss は、ジーニアス英和ではほとんどの意味に 「下品な語、タブーとされる語」を示す「卑」の印がついている。 COD(第八版)では最初に coarse sl. (slang の略)がついており、 更に Usually considered a taboo word. と説明がある。
欽定訳の電子化テキストから grep で piss をさがすと、
サムエル上 25.22, 25.34,
列王上 14.10, 16.11, 21.21,
列王下 9.8, 18.27,
それに上のイザヤ 36.12 が見つかる。
サムエル上の二箇所はダビデの言葉。
《ナバルに属する野郎ども
》と“意訳”されているが
《字義通りには「壁に向かって小便する者」
》と訳注がついている。
列王上 14.10 は預言者アヒヤフが伝えるヤハウェの言葉の中の
《壁に向かって放尿するもの
》で、
《一般に「男」の意にとる。あるいは「犬」のことか
》
と訳注がついている。
列王上 16.11 は地の文だが、表現は上と同じ。
列王上 21.21 はエリヤフの伝えるヤハウェの言葉で、上と同じ。
列王下 9.8 は若い預言者の伝えるヤハウェの言葉、上と同じ。
列王下 18.27 はイザヤ 36.12 と並行する箇所である。
「擬古文の中では卑語でない」というわけでもなさそうだし、 教会の聖書朗読の際にはどうするのだろうか。
2001-06-24 (0) 01:29:30 +0900
ちょっと前にちょっとだけ部屋の整理をし、本棚の本がとれるようになった。
昔読んだ内村鑑三(鈴木俊郎訳)「代表的日本人」(岩波文庫)
をぱらぱらと見ていて、
171 ページに
《現代基督信徒の日蓮誹謗者をして、自分の「書」
は塵に蔽はれをらざるや否や、(中略)顧みる所あらしめよ
》
とあるのを見て、イザヤ書が読みかけであったことを思い出し、
続きを読み始めた。
2001-06-24 (0) 00:32:46 +0900
22日づけ朝日新聞大阪本社版政治面「田中甲代議士が新党」に
《新党「尊命(たける)」を結党した
》
とあるが、これは「尊命」と書いて「たける」と読むのか、
「尊命(たける)」と書いて「そんめいかっこたけるかっことじ」とでも読むのか。
付) 「ヤマトタケルノミコト」は 「日本武尊」または「倭建命」と書き、 「尊」「命」が「ミコト」に当たる。 念のため。
2001-06-23 (6) 02:32:25 +0900
22日づけ朝日新聞大阪本社版「くらし」面「あのね」は、 二段目の字下げがおかしい。
しが入っとる、これ」。 (**市 ** *・5歳) ← ●予定が一週間延びやっと祖 ← (中略) だったんだよ」 (**県**郡 ← ** **・3歳)となっているが、 「←」をつけた行はもう一字分下げて始めないとほかとスタイルが合わない。
ただし、そうすると「←」をつけた最初の行が2行になり、 全体がスペースに収まりきれないのかも知れない。 しかし、だからといってこういうことをしてよいものか……。
2001-06-23 (6) 02:12:48 +0900
「三宅」が「みやけ」だから。
2001-06-23 (6) 02:03:15 +0900
「児孫のためを思って『美田を買わない』よう努めている」 「『児孫のために美田を買うこと』はしない」 のどちらなのか、いまだにわからない。
2001-06-23 (6) 00:55:50 +0900
「情けは人のためならず」 は文法上は 「情け(をかけること)は(その)人のためにならない」 とも解釈できるが、そうでないことに決まっているからそうではない、 と私は思っていた。 しかし、 「〜のためならず」を「〜のためにならない」 の意味に使った例が思いつかない。
google で「のためならず」を検索すると「情けは人のためならず」
と書かれたページが 2000 件ほどひっかかる。
古文で書かれたページを、ということで「のためならず 給ひ」でサーチしたところ、
「日高川入相花王」
と題したページが見つかった。
《「私をアノお嫌ひなさるゝか」
「さら/\御身を嫌ひはせねど、
わが身はなせる科あって跡より追手のかゝる者、
この家にいては身のためならず、
御縁もあらば重ねて」
と座を立ち給へば
》
とあるのは「身のためにならない」の意味だろう。
URL から、上のページの所有者と思われる方の“トップページ”は
「文楽 鶴澤八介の館」
と推察された。
よって、これは文楽の台本(?)と思われる。
念のため他の電子テキストも、と思って
google で「日高川入相花王」を調べたが、
見つかったのは上のページに言及しているページだった。
でも初演が 1759 年とわかった。
かかる処に長居せば身のためならずと夜に紛れ》 とあるのがみつかった。
上の例は「身のため」という熟語とみなすべきかもしれない。 今日の結論: 「情けをかけることは相手のためにならない」という誤解釈は 「身のためならず」からの類推で生じたものではあるまいか。
2001-06-23 (6) 00:46:57 +0900
「ヤハウェの目に悪いことを行なった(歴代誌下 21.6)」を、 神様の目にレーザーポインタの光線を当てたりしたのかな、 と思う人はいないだろうか。
上の引用部分は岩波版による。 翻訳は池田裕氏。
2001-06-22 (5) 01:32:42 +0900
「2000.8」と書かれた内容見本が書類の山の中から出てきた。 組方見本には「タテ組」と「ヨコ組」の両方が出ている。 「ミレニアム」の項から数に関連する表現を拾うと次のようになる。
タテ組 | ヨコ組 |
---|---|
千年台 | 千年台 |
一千年間 | 1000 年間 |
千年紀 | 千年紀 |
一九九九年 | 1999 年 |
二〇〇〇年 | 2000 年 |
二十一世紀 | 21 世紀 |
「千年台」「千年紀」は変わらないが、 あとは「タテ組」と「ヨコ組」が変われば表記もこのように変わるもの、 と辞書編集部が考えた結果だろう。 「一千年間」と「1000 年間」のように “そうかなあ”と思ってしまうものもある。 私なら「1000 年間」は「千年間」と読む。
2001-06-21 (4) 01:03:05 +0900
1997年10月10日づけ朝日新聞ラジオ面コラム「キュー」は
《NHK時代とは別人の草野アナ》。
そこに「筑紫晢也
」の誤植が。
スキャナの取り込みミスでしょうな。
2001-06-21 (4) 00:38:02 +0900
山形大では、 正しく集計し直すと得点が上がるケースも下がるケースもあった。 「山形大入試集計ミス>本来不合格だった“合格者” の不足する点数は何点か? (2001-06-10 (0) 22:36:50 +0900)」参照。
富山大では、 数学マル1と数学マル2の低くないほうを加えるはずが数学マル1を加えていたので、 上がるケースはあったが下がるケースはなかった。
金沢大では、
19日づけ北國新聞朝刊によると、
本来は「物理と化学の加算
」のところを
ミスにより「物理か化学の最高得点科目の2倍
」
としていたので、
得点が下がるケースはあっても上がるケースはない。
上がるケースも下がるケースもない、 という場合だけが残っているが、それはミスがなかった、ということだ。
付)金沢大のケースを、 「合格ライン」という言葉で説明しようとするとかえってめんどうだろう。 「山形大入試集計ミス報道> NHKラジオは「合格ライン」なる語を使っていた (2001-05-23 (3) 02:14:15 +0900)」参照。
2001-06-20 (3) 02:47:42 +0900
上のリンク(二箇所)はいまはった。 もとは a href タグをおいていなかった。
2004-05-13 (4) 01:52:00 +0900
岩波書店の旧約聖書「歴代誌」を入手。 このシリーズの他の巻とは違い、注が行の下についていない。 あまりに多いからだろう。 縦に区切って左のほうに注をつけてもまだ足りず、 注だけのページがあったりする。
適当な封筒に入れ、さらにカバンに入れて持ち帰ったのだが、 出すのを忘れて一日持ち歩いたら、 腰巻の色が一部はげてしまった。 硬い封筒だったので、封筒と強くすれ続けた部分がはげたらしい。 封筒の内側に色がついていた。 ちょっとくやしい。
2001-06-20 (3) 02:41:08 +0900
4月25日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面の下の
「週刊文春」の広告に
《あの人は「同級生」
》とある。
そこにあがっている人名には、
学校名をあげて「**同級生」としているのもあるが、
生年が(ほぼ)同じというだけで同じ学級に所属していたとは思えないものもある。
「同学年」の意味で「同級生」と言っている?
2001-06-20 (3) 02:32:45 +0900
18日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の富山大入試集計ミスの記事中に、 「数I」「数A」「数II」「数B」とあった。 「これを前の『KDDI』と比べればどちらがアルファベットの I でどちらがローマ数字の I かわかる」 と一瞬喜んだが、あの時(3月24日づけ) と今とでは文字のサイズが違うのでダメだ。
「前の〜」というのは 《朝日新聞>誤植?>「KDDI」の 「I」が太かったり細かったり (2001-06-04 (1) 23:48:28 +0900)》のこと。
ただし、今回の「I」「A」「II」「B」を見比べると、 「もしもこの『I』をアルファベットの I として使ったら『A』『B』 と比べて明らかに細すぎるな」 と思った。 だから、おそらく細かったほうがローマ数字だ。 ローマ数字には「III」のように字画の込み入ったものもあるから、 こちらがより細くなっていることには合理的な理由がある。
付) 上では一切ローマ数字は使わず、 全角・半角のアルファベットの I を用いてある。
2001-06-19 (2) 01:58:06 +0900
上のリンクはいまはった。 もとは a href タグを置いていなかった。
2004-05-12 (3) 21:25:40 +0900
日曜日の晩に外食した際、 品名にあたるところに「品切れ」と書いてあるのを見てそう思った。
2001-06-19 (2) 01:41:58 +0900
「メラ」「メラミ」「メラゾーマ」は、 ドラクエ III 以降の火の呪文の体系だ。 メラが一番小さく、メラミがその次、メラゾーマが最大である。 小学生のころにこれを先に覚えて、 あとから英語の時間に hot-hotter-hottest などと習うと、 『これらは「メラ」「メラミ」「メラゾーマ」のように程度の違いなのかな』 と思ったりしないだろうか。
2001-06-19 (2) 01:39:32 +0900
「アスパラガスのベーコン巻き」はアスパラガスが中、ベーコンが外。 これが普通か。
2001-06-19 (2) 01:24:46 +0900
今回の「水戸黄門」は、 従来のお決まりのパターンにならないよう工夫しているようだが、 最近は必ず最後にチャンバラがあって印籠が出て、となってきた。 「この先、どうやってチャンバラと印籠が出るんだ?」 と心配な回もあるが、必ず出る。
ふと、ベートーベンの「フィデリオ」第一幕のフィナーレを連想してしまった。 舞台は刑務所の中だが、 音楽は合唱や重唱による従来型のフィナーレである。 よくもまあこういうシチュエーションを考えついたものだ、 と感心してしまうほど。
2001-06-19 (2) 01:18:28 +0900
17日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「山陵一周年祭の儀」。
香淳皇后の「山陵一周年祭の儀」だ。
《これに先立ち、
同日午前、皇居・吹上大宮御所で行われた
「権殿(ごんでん)一周年祭の儀」
には、天皇陛下や皇族方のほか、
小泉純一郎首相らも参列し、
霊代(れいだい)に拝礼した
》
とある。
問題になっていないところをみるとこれは政教分離には反しない、
ということか。
2001-06-18 (1) 02:37:46 +0900
17日づけ朝日新聞大阪本社版文化面「日本の原像」に 「ヘクタール」の五文字を一文字分につめこんだ文字が使われている。 4月から文字が大きくなったというものの、かなり細かい。 前からあったっけ?
2001-06-18 (1) 02:32:10 +0900
もう一カ月以上前だろうか、テレビの野球中継を見ていて、初めて三重殺を見た。 食らったのは中日ドラゴンズだったような記憶がある。 三重殺をあとからリプレイで見たことはあったかもしれないが、 まさにいま起こっているのを見たのは初めてだった。 ただ、外野に打球が飛んで走者がうっかり塁を進みすぎてしまって、 というような三重殺だったのであまりスリリングではなかった。
セカンドライナーを捕って打者走者アウト、 セカンドベースを踏んで二塁走者がアウト、 そこへ走ってきた一塁走者にタッチしてアウト、 の“一人”三重殺というのが日本のプロ野球であったそうだ。 そこまでゆかないまでも、 強いサードゴロを捕って自分でサードベースを踏み、 セカンド−ファーストと渡って、みたいなのを一度見てみたい。
2001-06-18 (1) 01:23:00 +0900
「岩波古語辞典は下二段動詞のア行とヤ行の区別が不明? (1999-12-01 (3) 02:27:30 +0900)」 を読まれたある方がメールで “文語でア行に活用する動詞は 「う(得)」と「こころう(心得)」しかない” と教えてくださった。
「こころう」は「こころ」+「う」だから、 本質的には「う」しかない、 ということになろう。 あれを書いた直後、 奥村さんの掲示板で ア行の動詞はあるのか? という話になったように記憶している。 あのときは「う」は出たものの「こころう」は出なかったような。
2001-06-18 (1) 01:14:10 +0900
上のリンクはいまはった。 もとは a href タグを置いていなかったのだ。
2004-05-12 (3) 21:21:36 +0900
広辞苑第五版は「その友人のためなら、たとえ、 くびを斬られても後悔しないほどの真実の交友。(以下略)」。 新字源は 「おたがいのためには、首をはねられて死んでもくいないほどの親しい交わり」。 新明解国語辞典第五版は 「一緒に首をはねられても後悔しないほどの、堅い男子の交わり」。
同じことのようだが、 「自分と自分との関係は刎頚の交わりか?」 と考えると、違ってくる。
新明解の定義だと、 「自分と自分と、一緒に首をはねられても後悔しないか?」 となるが、これは後悔するのが普通だろう。 やっぱり首ははねられたくない。 だから答えは「いいえ」。 広辞苑、新字源の定義を 「その友人がどうしても首をはねられなくてはならないとき、 代わりに首をはねられて死んでも後悔しないほどの〜」 と言いかえることが許されるなら、 「自分がどうしても首をはねられなくてはならないとき、 代わりに首をはねられて死んでも後悔しないほどの〜」 かと言えば、もう自分は首をはねられると決まっているのだから、 代わりに自分が首をはねられることには後悔はないはずだ。 よって答えは「はい」。 (最初の自分が首をはねられることには後悔があるかも知れないが。)
付) 厳密に言えば、自分の代わりに自分が首をはねられることはできない。 「代わりに」だから、代わってもらったほうの首をはねてはいけないからだ。 よって、 「後悔しないか?」はありえない仮定のもとでの質問になってしまう。
付) 岩波国語辞典第三版の定義は 「首を切られても悔いないほどの、生死を共にする親しい交際」 で、読みようによっては相手に首を切られるようにも読めてしまう。
付) 広辞苑と新字源の定義も、よく読むと違う。 広辞苑の定義だと、 AからみたBとの交友が「刎頚の交わり」であったとしても BからみたAとの交友がそうであるかどうかはわからない。 新字源の定義はそうではないようだ。
付) 集合論の初歩の演習問題として、 「次の関係は反射律・対称律・推移律をみたすかどうか調べなさい」 というのがあるが、 「ここから先は少しおふざけの混じった問題ですよ」 と言って「x と y は友人」などの例をつけたしたことがある。 もちろん定義が厳密でないから、各自でそこも考えてもらうのだが、 「刎頚の交わり」はかなり厳密でない、ということになりそうだ。
2001-06-18 (1) 00:34:15 +0900
きのう書いた富山大の入試ミスの件で最後に 《実際には「数学1」「数学2」の「1」「2」はマル囲み》 と書いておいたが、これはいうまでもなく、 マル囲みの数字はJISコードにないからだ。
きのうもリンクを張った 富山大学人文学部の 「合否判定の過誤とその取り扱いについて」 では 「機種依存文字のため、変更してあります」 と説明してある。
この「機種依存文字」という言葉は、どのくらい理解されているものだろうか。 「JISコードにないため」のほうが正確だと思うが、 これだと「うちのワープロ/パソコンにはあります」 と言ってくる人がいるのかも知れない。
2001-06-18 (1) 00:09:40 +0900
Yahoo のニュースを見ていたら 「<学校殺傷事件>亡くなった****ちゃんが父の顔を描く(毎日新聞)」 とあった。 ここ。 (原文には実名が載っているがここではマスクした。)
内容を見ると、
《事件前夜の7日夜、17日の「父の日」に向け
》
描いていた、ということだった。
こういう場合にも、新聞の見出しは現在形を使うのだろうか。
2001-06-17 (0) 23:58:22 +0900
ラザロの姉妹マルタはイエスに
「主よ、もう臭っています。四日目ですから」
(ヨハネ 11.39)というが、
イエスはこれには答えず、ラザロを復活させる。
では、墓の中のラザロは、実際に腐臭がしていたのだろうか。
「家は香油の香りで満たされた」というのがラザロの腐臭を消すための行為の結果だった、 ということはまさかあるまい。
(引用は岩波書店「新約聖書 福音書」からのもの。 ヨハネ伝の翻訳者は小林稔氏。)
2001-06-17 (0) 20:56:33 +0900
16日づけ朝日新聞大阪本社版経済面の下に千住博の「風・水・光」 の広告が出ている。 よく見ると、名前の字は「博」でなく、つくりは「専」なのだ。 つまり、「十専」を一文字にした文字、ということになる。 広告主の 「フォーラム榧」 のページを見てみると、 作者名などを画像ファイルで表わしているところでは確かに点がないが、 テキスト部分では普通に「博」としている。
2001-06-17 (0) 02:33:45 +0900
16日づけ朝日新聞大阪本社版トップは
「富山大 入試ミス 2年以上隠す」。
《大学の説明によると、
数学1、数学2の両方を受験した場合は得点の高い方を採用するはずだったが
》
とあるが、得点が等しい場合はどうなるのだろうか。
朝日新聞がわかりやすさのためにこのような
“常識的な”表現を選んだのだろうと思ったが、
富山大学人文学部の
「合否判定の過誤とその取り扱いについて」
もそうしている。
厳密にいうと、 得点が等しい場合は「得点の高い方」は存在しないから、 どちらの得点も採用されず、 数学を受験しなかったのと同じ扱いになるような気がする。 違うかな。
注:実際には「数学1」「数学2」の「1」「2」はマル囲み。
2001-06-16 (6) 16:15:20 +0900
そんなわけはないな。
2001-06-16 (6) 16:11:54 +0900
夫婦別姓に反対する政治家が大都市近郊のベッドタウンでの演説で 「選択的夫婦別姓が認められると、 このあたりではほとんどが別姓になる。 親が同姓の子どもは『古くさい』と学校でいじめられる」 と言っていた、と以前新聞で読んだことがある。
(この新聞はいま手元になく、記憶で書いているので、 もしかしたら上に書いたことは大ウソかも知れない。 仮にそうであっても、以下の話には影響がない。)
もし本当にそうなったとしたら、 同姓の者どうしが結婚するには覚悟が必要となるのではないか。 つまり、 鈴木太郎さんと鈴木花子さんが結婚すると、 夫婦同姓・別姓のどちらを選ぶせよ、 二人は同じ「鈴木」姓となる。 生まれた子どもは学校で 「お前のうちはお父さんとお母さんが同姓だ!」 といじめられるわけだ。
(確か、 調査によると夫婦別姓を希望する人はわずかだからそんなことはありえない、 とその記事には書き添えてあった。)
2001-06-16 (6) 16:08:05 +0900
「大阪市立大学」は「阪市大」だけど。
2001-06-16 (6) 02:44:46 +0900
15日づけ朝日新聞大阪本社版社会面に出ていた。 こういった予算も“聖域なき構造改革”で見直されるのだろうか。
2001-06-16 (6) 02:29:10 +0900
15日づけ朝日新聞大阪本社版文化面「未来に向けて --往復書簡--」は
「N・チョムスキー氏から大江健三郎氏へ」。
アフリカで、
エイズやマラリアなどの病気による死者が大量に見込まれることについて、
《この惨状を防止するために必要な経費は、
年間五十億ドルから百億ドルと見積もられます。
富裕国にとっては、気にならない程度の少額です。
鳴り物入りの誇大宣伝とともに、
ブッシュ政権は先ごろ二億ドルの寄付金を申し出ました。
予算上の数字の間違い以下の、人をばかにした侮辱的な額といえます。
他国はさらに少ない寄付金しか出しておりません
》。
ブッシュ政権が申し出た額がチョムスキーのいう額の25〜50分の1であることはわかる。 しかし、どのくらいの額なのか、すぐには見当がつかない。 一ドル100円として、 チョムスキーがあげる額は年間5000億円から1兆円。 ブッシュ政権の申し出た額は200億円。 まだよくわからない。 1億人で負担するとして一人あたり年間5000円から10000円と200円としてみるか。 国家予算の主なものの額が頭にはいっていればわかりやすいのかも。
付)上の箇所で「五十」「百」に漢数字が使われているのは訳者がそう書いたからか?
2001-06-16 (6) 02:25:32 +0900
15日づけ朝日新聞大阪本社版文化面「未来に向けて --往復書簡--」は
「N・チョムスキー氏から大江健三郎氏へ」。
その中に《自慢する。」
》という句点とカギカッコの使い方が見られる。
朝日新聞はこういう場合、一般には《自慢する」。》とするようだ。
訳者の書いたまま組んだものか。
2001-06-16 (6) 02:08:20 +0900
たった一人の人間が数分の間に行なったことにより、 日本中の学校でいろいろな“改革”が行われている。 通学方法が変わったり、保護者が学校にはいるときのルールが変わったり。 従来とは逆に低学年の教室を上の階にして侵入者が容易に近づけないようにする、 というのも見た。 低学年の児童には階段の昇り降りが大変だとか、 もし階段で足を踏みはずしたらとか、 窓から落ちたらとか、 そういったことが忘れられていなければいいのだが。
2001-06-16 (6) 02:04:15 +0900
14日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の記事にそうあった。 代わりによその学校で行なうのだろうか?
2001-06-15 (5) 02:37:16 +0900
14日づけ朝日新聞大阪本社版文化面「未来に向けて --往復書簡--」は
「大江健三郎氏からN・チョムスキー氏へ」。
その中に
《なぜなら、あなたが「ログ・スティト」という言葉を用いて
--- rogue、つまり腕力にものをいわせる無法者 ---
アメリカそしてNATOの国々の、
冷戦後の世界支配を批判してこられた。
まさにその「ログ・スティト」の、
太平洋での新戦略に、
日本はミニ・ログ・スティトとして寄りそうつもりだからです
》
とあるのだが、この「スティト」がなんだかわからない。
英語だろうか? まさか state,「ステイト」ではあるまいと思うのだが……。
2001-06-15 (5) 02:32:58 +0900
14日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面で日本ハムのきのうの記録を見ていたら
左 田中幸 走左中 中村豊と「中」の字がたくさん目についた。 もしも「一二三(ひふみ)」を登録名にした選手がいたとして
遊二一二三とあったらこの一二三選手が遊撃と二塁を守ったのか、 それとも遊撃二塁一塁二塁三塁と守った選手の名前が次の行に書かれているのか区別できるかな、 と思ったが、 「空白で始まっている行は前の行の続き」 だから区別できるのだった。
付)朝日新聞は、 試合開始時のポジション名はゴチックを [ ] で囲んだ特別な文字で示しているが、 上では [ ] は省略した。
2001-06-15 (5) 02:23:48 +0900
14日づけ朝日新聞大阪本社版スポーツ面の「どうするW杯」は
「対フーリガン、警備模索」。
《W杯本番はこうもり傘は持ち込み禁止。
持ってきた場合は預かる方針だが、
返却作業のわいざつさを指摘する声もある
》。
「煩雑(はんざつ)さ」なら理解しやすいのだが。
2001-06-15 (5) 02:13:20 +0900
14日づけ朝日新聞大阪本社版経済面のボルボの広告。
傷ついたダミー人形のわきに
「もしもボルボじゃなかったら、
命がいくつあっても足りなかった
」
と書いてあり、右のほうには自動車の写真が。
最初見たとき、
「このボルボなら、ぶつけられてもはねられても大丈夫」
と言っているのかと思った。
小さい字を読んでみるとボルボが守ると言っているのは乗員だけだ。
それで
《「人にやさしい」数々の安全性能の開発
》
と言えるのか。
「車は左 人は右」という交通安全標語からもわかるように、
車の関係する文脈で単に「人」と言えば歩行者を指すのではないか。
2001-06-15 (5) 02:04:43 +0900
「オバタリアン」は映画「バタリアン」に由来する、 と教わったので訂正を書いた。 そういえばそうだったような記憶が。 でも、「リバタリアン」を知ってしまうと、 そっちのほうが似ているような気がしてしまう。 音節数もアクセントも同じであることがそう思わせるのか。
2001-06-15 (5) 01:57:01 +0900
5月11日づけ朝日新聞第2石川面の俳壇、柳壇、歌壇の評は 「第1句」「第1首」のように算用数字を用いている。 4月から算用数字を主として用いるようになったことと関連しているかも。 5月18日づけでは漢数字に戻っている。
2001-06-14 (4) 00:04:53 +0900
……ことが多い。 この「いろいろ」用に印をつけて取り分けておいた新聞のこと。
2001-06-13 (3) 23:54:26 +0900
1999年10月24日づけ朝日新聞大阪本社版ウイークエンド経済
「ビジネス戦記」は日本マクドナルド社長藤田田氏の「勝てば官軍」。
《「マクドナルド」は米国で「マクダーナルズ」と発音します。
日本語の語感を生かして私が言い換えたんです
》
とあるのだが、
あのマクドナルドが日本にできる前から、
人名の McDonald は日本語の中では「マクドナルド」としていたはずだ。
だから当時はこう“言い換える”のが普通だったと思う。
2001-06-13 (3) 23:42:35 +0900
13日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「青鉛筆」に「8時だョ!全員集合」 とあるのを見て思った。
2001-06-13 (3) 23:08:36 +0900
13日づけ朝日新聞大阪本社版社会面
《医師免許証を「偽造」/偽名刺見せ女性に近付く》
に
《同容疑者は今年3月、
神戸市で女性会社員(34)に道を尋ね、
関西の大学病院「精神科神経科医師」の肩書の名刺を出した。
「いつでも薬をあげられるので言って下さい」
などと言い、
「愛人にならないか」と切り出した。女性はその場を離れたという
》
とあるが、
この女性はその直後に警察に届けたのであろうか、
それとも名刺を今まで保管していて、
今回の報道を見て警察に届けたのであろうか。
この記事にあることだけが起こったのだとしたら、
「単なるあぶない人」ということで、
警察には届けないが名刺は捨てて手を洗う、
ってのが普通の人の反応のような気がする。
2001-06-13 (3) 23:02:32 +0900
13日づけ朝日新聞大阪本社版社会面記事に
《同容疑者は乗ってきた乗用車を、
東門をふさぐ形で止め
》とある。
車で乗りつけたことは前日のラジオのニュースで聞いて知っていたが、
そのとき、学校に一般の人向けの駐車場はないだろうし、
道にとめたのではないか、と思ったのだった。
もちろん、門ごとに門番をおいている学校はほとんどない。 それはわかっているが、もしも門番がいたら 「ここに停めたらいけませんよ」 と話しかけるなどして事件は防げたのでは、 と思ってしまうのだ。 もっと人を。
2001-06-13 (3) 22:54:18 +0900
13日づけ朝日新聞大阪本社版文化総合面。
「eメール時評」はエッセイスト綱島理友氏の
「一生懸命は美徳でない?」。
《野茂と初対決の試合。3対12の9回。イチローが一生懸命、盗塁したが、
守備陣は無視。
「ディフェンス・インディファレンス(守備側の無関心)」
という、日本の野球ファン初耳のメジャー流ルールで
「記録は盗塁なし」
》
というのだが、
私はこれらしきものが適用された試合をラジオかテレビで見聞きした記憶がある。
もちろん日本のプロ野球。
2001-06-13 (3) 22:48:43 +0900
13日づけ朝日新聞大阪本社版文化面。 桂文枝がパリで落語をやるそうだが、その際、字幕をつけるそうだ。 外国語で落語をやるのもおもしろい試みだと思うが、これもいいと思う。
2001-06-13 (3) 22:40:28 +0900
13日づけ朝日新聞大阪本社版文化面 「未来に向けて --往復書簡--」 「言語学者N・チョムスキー氏に聞く」に 「リバタリアン(自由意志論者)」とあるのを見て。 いままでこの単語はしらなかった。
2001-06-13 (3) 22:36:08 +0900
「オバタリアン」は映画「バタリアン」に由来する、 と複数の方から教えていただいた。
2001-06-15 (5) 01:47:52 +0900
13日づけ朝日新聞大阪本社版国際面に、
米連邦ビル爆破犯の“公開”死刑に関する記事。
《「加害者の死を見せることで被害者の怒りや悲しみが和らぐ。
凶悪犯罪の抑止にもつながる」。
ブッシュ大統領とアシュクロフト司法長官は似通った死刑観を持っている
》。
共感するかどうかは別として、わかりやすい死刑観だと思った。
日本では「被害者の感情に配慮」などの抽象的な言い方が多いように思う。
2001-06-13 (3) 22:32:18 +0900
13日づけ朝日新聞大阪本社版政治面にそのようなタイトルの記事が。
《「日本は天皇家を誇りとし、統合の象徴としている。
皇紀を明確にしないといけない」と述べた
》とある。
広辞苑第五版によれば皇紀は日本書紀に基づいて 1872 年に決めたものだそうだ。
しかし、計算の根拠がはっきりしてせず、
計算結果も二転三転した、と読んだことがある。
古代史関連の研究に予算をつけ、
そのへんのことを「明確に」することを目指すなら有意義かもしれない。
しかし 「書紀の本文に作為のあとがあることは明らかで、 そのような記述をもとに正確な年代を決めることなどナンセンス」 という結論に達するのは明らかな気がする。
2001-06-13 (3) 22:20:55 +0900
13日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の下の広告に 「売上金の一部は**に寄贈いたします」 とある。 おそらく 「売り上げに比例した額を寄贈しますのでみなさん買ってください」 という意味だろう。 でも、こう書いておいてすでに決まった額を寄贈するだけ、 ということもありえるわけだ。
2001-06-13 (3) 19:14:02 +0900
5月23日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 《コーラン破られ「冒とく行為だ」/ 富山 イスラム教徒 250 人集結、早期逮捕要請》を見て思ったのだが、 コーランは岩波文庫に翻訳がおさめられている。 井筒俊彦氏によるわかりやすい口語訳で、全三冊。 注が割り注なのでいちいち後ろのページをめくらなくてよい。 私は中学生のときに読んだのだが、 あれでずいぶんイスラム教に対する感じ方が変わったと思う。
2001-06-13 (3) 19:01:16 +0900
徴兵制で兵役についた経験はその人の文民たる資格を剥奪しない、というわけだ。
2001-06-13 (3) 18:48:37 +0900
5月23日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「現金3000万円ひったくる」。
0 0 万 円 入 り の現 手金 さ3 げ0は読みにくい。 最初「現金30」だけが目にはいったので 「30万円かな」と思ってしまった。
2001-06-13 (3) 18:44:21 +0900
5月23日づけ朝日新聞大阪本社版政治面 《「中谷氏は文民」/閣議で決定/民主からの質問に答える》。
政府は22日の閣議で、陸上自衛官出身の中谷元・防衛庁長官が 「過去に自衛官であったとしても自衛隊を離れ職務を行っていない以上、 『文民』に当たる」とする答弁書を決定した。 「自衛官出身者は文民ではない」とした質問主意書に答えたもので、 中谷氏は同日の記者会見で 「(主意書は)非礼で人権を無視している」と不快感をあらわにした。
質問主意書を出したのは平岡秀夫衆院議員(民主)。 「『軍人』であると考えられる自衛官が(中略) 憲法66条2項に違反するのを回避するために退官し、 その後に国務大臣に任命されれば憲法が形がい化する」 として中谷氏の長官任命を憲法違反だ、としている。 中谷長官は「私を軍国主義者ではないかと言っていて甚だ遺憾だ。 戦後の民主教育を受けて、きちっとした人格を形成している」 と反論した。
この記事だけでは、 どこから中谷長官が「私を軍国主義者ではないかと言っていて」 と判断したのかわからない。 実際に言われたと読みとれることは 『「『軍人』であると考えられる自衛官」出身だから「文民」でないのではないか』 だけだろう。 この長官は「自衛官は『軍人』であると考えれば必然的に軍国主義者である」 と考えておられるのだろうか。 「自衛官」が「軍人」であるかどうかは別として、 「軍国主義者」は全く別の概念だろう。 少なくとも職業の名前ではない。
2001-06-13 (3) 18:31:45 +0900
ヘシオドス「神統記」(廣川洋一訳、岩波文庫)を見ていて気づいた。
2001-06-13 (3) 18:16:23 +0900
本棚にあったので手にとったらついまた読んでしまった。 小学生のときに図書館で借りて読んだ本だ。 出版元はポプラ社、1970 年 3 月 20 日発行、280 円。 いまも出てるんだろうか。 いまだと問題になりそうな部分・表現がところどころにあるが、 いわゆる冒険活劇もので、それなりにおもしろい。 この本は原作がはっきりしない、と聞いたことがある。 「ルブラン原作」が本当であるとしてもルパン物ではないのかも知れない。
この全集は 「奇巌城」「怪盗紳士」「8・1・3の謎」「古塔の地下牢」「八つの犯罪」 「黄金三角」「怪奇な家」「青い目の少女」「怪盗対名探偵」「七つの秘密」 「三十棺桶島」「虎の牙」「ピラミッドの秘密」「消えた宝冠」「魔女とルパン」 からなる。
付)小学生のときに図書館で借りた本は返しました。念のため。
2001-06-13 (3) 18:09:19 +0900
5月24日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「検証」は「改正少年法 2カ月」。
3月31日、
改正少年法が施行される8時間前に2人の少年に暴行を受けて亡くなったかたの母親が
《「1日違いが悔しい。亡くなったのは改正後なのに」
》
と語っている。
ここの「悔しい」は、 子どもを殺されてしまったという前提の元で、 「加害者に改正少年法が適用されないのは悔しい」という意味のようだ。
「加害者の少年たちがあと8時間で改正少年法が施行されると知っていたかどうか」 「知っていたかどうかをこの母親が知っているのかどうか」 はここには書かれていないのだが、 もしも知っていたとしたら、 「あと8時間、その少年たちに合わなかったら殺されずに済んだかも」 と「悔しい」かも知れない。 また、 加害者の少年たちが 「あと8時間で少年法が改正されるから今のうちに殺そう」 と思って犯行を急いだのだとしたら、 少年法が改正されたことが「悔しい」かもしれない。
2001-06-13 (3) 02:49:38 +0900
5月24日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「日本@世界」は 《琉球諸島南部への「南シフト」》。 そのなかに「ポール・ヘスター在日司令官」の名前を誤って「へスター」 としているところが三箇所ほど。
2001-06-13 (3) 02:38:22 +0900
12日づけ朝日新聞大阪本社版総合面
「米連邦ビル爆破事件/死刑執行 遺族らに公開」。
写真は
「(前略)死刑制度への反対を訴える人々
」
だが、写っているプラカードに
「THOU SHALL NOT KILL (even him!)」と書かれている。
普通は「THOU SHALT」となるのではあるまいか……。
2001-06-13 (3) 02:33:44 +0900
12日づけ朝日新聞大阪本社版総合面
「米連邦ビル爆破事件/死刑執行 遺族らに公開」。
《事件の遺族や生存者10人と代表取材の記者10人が立ち会うなか、
薬物が腕に注射された。
事件の現場であるオクラホマシティーでも、
遺族ら300人ほどが有線テレビの中継を見守った
》。
昔は死刑は公開が普通だったのではあるまいか。 そのほうが抑止効果も高まるだろうし。
ナザレのイエスの処刑も公開だった。
2001-06-13 (3) 02:28:23 +0900
12日づけ朝日新聞大阪本社版総合面。
《「政治の不作為が問われるようになってはいけない」。
犠牲者への黙とうで始まった11日の自民党の対策本部の初会合。
出席者の一人はハンセン病訴訟判決を引いて訴えた
》。
最初読んだときは、この発言は保安処分の導入に反対しているのかと思った。
隔離すべきでないのに隔離し続けたことが問われたのがハンセン病訴訟判決だから。
そうではなく、
保安処分を導入すべきところをせずに「不作為」
に問われるといけないから導入せよ、と言ったものらしい。
2001-06-13 (3) 02:20:07 +0900
12日づけ朝日新聞大阪本社版第一面には容疑者が
《「エリート校の子どもをたくさん殺せば、確実に死刑になると思った」
と供述していることがわかった
》
とある。
この言葉が真実なら。
2001-06-13 (3) 02:14:25 +0900
国立大学は「附属」と書くところが多いようである。 大阪教育大付属小のホームページも「附属」となっていた。 しかし、朝日新聞は「付属」で統一しているようだ。
新字源で「附」を調べると
「もと、小さいおかの意を表わした。
転じて、付・坿(ふ)に通用する
」とある。
岩波新漢語辞典によれば意味によって使い分けがあったが
「のちに混用された
」。
2001-06-13 (3) 00:39:38 +0900
10日づけ朝日新聞大阪本社版社会面にそういう見出しが出ている。 当面は現場となった教室は使わない。 将来は建て替えや改修も、ということになったらしい。 いまの小学生を考えれば当然だろう。 しかし、太平洋戦争末期には、 人が殺されたからといってよそへ移る余裕はなかったのだろうな、 と考えてしまう。
2001-06-12 (2) 19:27:20 +0900
本文ナシ
2001-06-12 (2) 19:20:20 +0900
私がかよっていた小学校は、 登校時間が終わると正門を閉めてしまったような記憶がある。 あるいはわきの小さな門だけにしてしまったのかも知れない。
当時の私はあまり丈夫でなく、 ときどき早退したこともあるが、 そのとき正門から出たのか裏門から出たのか、 もう思い出せない。
(中学に進んでからは丈夫になり、 中学も高校も精勤賞をいただいた。 どっちも皆勤でないのがちょっと残念。)
2001-06-12 (2) 19:19:10 +0900
金沢で唯一の民放AM局のナイター中継で、 アナウンサーが「イチローはきょうの試合でヒットを打った」 などと言うのを何度か聞いた。 日本が21時のときアメリカはその日の5時から8時である。 朝、試合が行われてもう終わっているのか、 0時をこえてナイターが行なわれるのが日常茶飯事なのか、 単にアナウンサーの間違いか。
2001-06-11 (1) 23:26:54 +0900
尿の検査は「検尿」、便の検査は「検便」なのに。
2001-06-11 (1) 23:03:03 +0900
10日づけ朝日新聞大阪本社版日曜版 「2001 年 旅する記者 50 人」は「不老願望 エステ最前線へ」。 このタイトルを見ていてふと思ったのだが、 確実に「不老」を手にするには、死んでしまえばよい。 死ねば「享年*歳」と言われてそれ以上としをとらないし、 遺体に防腐処置をしてもらえば、 生きてエステに通うよりずっと長く死亡時の外見が保てるだろう。
だから、 「不老」とは単にとしをとらないということではないのだ。 きっと。
2001-06-11 (1) 22:58:21 +0900
最近、犯罪に巻き込まれた --- 別の言い方をすれば殺されかかった --- 人に対する心のケアが重要視されている。
一方、太平洋戦争末期の東京大空襲のことを考えると、 そのときはそれどころじゃなかったんだろうと思う。
だから心のケアはぜいたくだ、などと言うのではない。 もしも空襲に遭遇したら、たとえ生きのびたとしても、 戦争体験のない世代はきっとパニック状態になってしまうだろう、 と思うのだ。
2001-06-11 (1) 22:29:20 +0900
……と考えてしまった。 報道の中では教育実習生について全く語られていないようだ。
2001-06-11 (1) 22:18:04 +0900
「汚泥(おでい)」は「オデー」と発音されることもある。 いや、そのほうが普通かも知れない。 では「出入り口(でいりぐち)」はどうだろうか。 語の構成を考えれば「で」「いり」「ぐち」と分かれるので 「デーリグチ」にはならない?
2001-06-11 (1) 22:16:32 +0900
……と、あるかたから教えていただいた。 なるほど、そうだ。これが一番自然かもしれない。
2001-06-11 (1) 01:29:48 +0900
……あげている、とあるかたから教えていただいた。 手元の第三版で確認した。
2001-06-11 (1) 01:28:33 +0900
香林坊大和へ。 地下で「父の日ヱビス」という 350 ml 缶6本のパッケージを見て、 思わず買ってしまった。 いつものエビス様だが、 手をついてあいさつするポーズが描かれている。 普通、ラベルのエビス様はタイをかかえていてびくは空だが、 何本かに一本、びくにもタイのはいっているラベルがあって、 それは幸福をもたらすとされているのだそうだ。 このパッケージのエビス様は手をつくためにタイはびくに入れている!
エスカレーターで8階へ。 百万石まつりに合わせて、 金沢と高岡の歴史の展覧会をやっていた。 無料なのではいる。 いきなり、「利家とまつ……」とか書かれていた。 来年のNHK大河ドラマのタイトルではないか。 いまからこんなに便乗して、来年が思いやられる……。
同じく8階の銀座天一の前を通ったら、 店のロゴ入りうちわをもらって出てくる客を見かけた。 百万石まつりだから配っていたのか。 今年ももらいそくねた。
2001-06-11 (1) 00:17:54 +0900
8日づけ朝日新聞大阪本社文化面「柳瀬尚紀の猫舌三昧」は「綴り蜂」。
Spellig [sic] Bee, つづり字コンテストのことだ。
《インターネットで過去74回の問題を見た。いやはや参った。
最終ラウンドで正確に綴れる語は(中略)など、10個に届かない
》
とあるのだが、「問題を見た」ということは解答は見なかったのだろうか。
つづりを示さずに問題を示すことができるのだろうか。
日本語の漢字の書き取りにおきかえて考えてみると、 「問題=解答」ということもありうる。 教師は例えば解答「漢字の書き取り」を見て黒板に問題 「かんじのかきとり」を書いたり、そう読みあげたりするのである。 問題はあくまでかな書きであるが、 漢字で書かれた解答がすなわち問題でもあると言ってもよいだろう。
英語の場合、普通のつづり字で書かれたもの以外に単語を表記する方法はあまりない。 発音記号でも書けるが、それだけで書くのはあまり普通ではあるまい。
付)普通は spelling bee とつづると思うのですが、著者の表記を尊重しました。
2001-06-11 (1) 00:08:50 +0900
8日づけ朝日新聞大阪本社スポーツ面
《「スーパー完全試合」/米で12歳少年》。
何がスーパーなのかと思ったら、
《6イニング制のリトルリーグで、
米国の12歳の少年が1人の走者も許さなかっただけでなく、
打者18人全員から三振を奪って勝ち投手になる
「スーパー完全試合」を達成した
》
んだそうだ。
アメリカでは三振にこだわらない、と聞いたが、やはりそうではないのだろうか。
この少年のチームが守備についている間に (正規に)ボールにふれたのがこの少年と捕手だけであり、 そのことがすごいのだとしたら、これを越えるのは 「ボールにふれたのは自分だけ」という記録ではないだろうか。 投げる球は全てバッターのバットに当たってピッチャーフライになる魔球、 なーんちゃって……。
付)振り逃げがあると一塁手もボールにふれている可能性が……。
2001-06-11 (1) 00:01:18 +0900
9日づけ朝日新聞大阪本社版文化面
《「宗教も差別を生んだ」/ハンセン病訴訟で反省の声》に
《旧約聖書や法華経には、
ハンセン病患者を差別的に扱った表記がある
》
とあるのはどういうものを指すのだろうか。
旧約聖書の「ハンセン病患者を差別的に扱った部分」ならすぐわかるが、
「表記」というのは何のことかわからない。
私はヘブル語はほとんど理解できないが、 ヘブル文字は表音文字なので、「表記」の問題はあまり生じないと思う。 ただ、ヘブル文字を数字として使って数を表記する際、 神名を思わせる組み合わせは避ける、ということは入門書で学んだ。 それに似たことがあるのだろうか?
(旧約聖書の翻訳でいままで「らい病」 などと訳されてきた病気が本当にハンセン病かどうか、 という問題もあるが、ここではおいておく。 岩波から出ている新約聖書、出つつある旧約聖書の注釈を見よ。)
付)
その直前の
《キリスト教に流れる選民思想や優性思想
》
はこれでいいのだろうか? 「優生思想」という語はあったと記憶しているが。
2001-06-10 (0) 23:46:56 +0900
9日づけ朝日新聞大阪本社版社会面に出ている。
《6月の第3週か第4週の月曜日を祝日にし
》
ということらしい。
「第3か第4月曜日を」ではないので、
「成人の日」などと似てはいるか異った決め方になる。
ブライダル業界にも賛同を求めるのか。なるほど。
ついでに、いまある祝日は全廃して 「毎月第*月曜日は休日」とかするとすっきりするかも。
2001-06-10 (0) 23:40:12 +0900
「花咲かせじいさん」とか「花咲きじいさん」ならわかるが、 なぜここに「咲か」という未然形が使われているのだろうか。 広辞苑第五版の「花咲爺(はなさかじじい)」には「花咲かせ爺の約」とある。 本来は「花坂」という地名だった、なんてことは考えられないだろうか。
2001-06-10 (0) 23:33:46 +0900
当然するものだ、と思っていたが、 「『〜〜方』はこれで住居表示の一部だから勝手に「様」を加えない」 という意見も読んだことがある。
「〜〜様方」とするなら、 「山田マンション」のような人名と思われるマンション名は 「山田様マンション」としなければならないかも。 「〜〜方」だが人名+「方」でない地名とか、 「〜〜様方」かと思ったら「様」で終わる人名だったとか、 ほかにもいろいろありそうだ。
2001-06-10 (0) 23:28:13 +0900
5月25日づけ朝日新聞大阪本社版文化面「時のかたち」は甘糟りり子氏の
「波乗り」。
《サーフィンで有名なゴールドコーストではホテルに頼むとレッスンが取れる
》
とあるが、
「レッスンが取れる」の意味がすぐにはわからなかった。
「レッスン生が取れる」、
つまり教える相手をみつけられる、という意味かとも思った。
あとを読むとそうではなく「レッスンが受けられる」の意味である。
ジーニアス英和辞典には take lessons という言い方が出ている。
これからできた表現だろうか。
「授業が取れる」という言い方はあるが、 授業は自分が取ろうが取るまいが存在するのが普通で、 問題は自分が取るか取らないかだけであり、ちょっと違う。
2001-06-10 (0) 23:25:35 +0900
5月25日づけ朝日新聞大阪本社版政治面「日中外相会談(要旨)」。
靖国神社参拝について、田中外相は
《小泉首相は戦争美化などではなく、
亡くなった人のめい福を心より祈るという気持ちを表明している
》
と発言したそうだが、
「神社」で「めい福を祈る」でいいのだろうか。
「冥福」は仏教用語だと思うのだが。
2001-06-10 (0) 23:10:58 +0900
5月25日づけ朝日新聞大阪本社版一面「首相靖国参拝/中国、自粛を要請」。
唐外相は、 小泉純一郎首相が8月15日に靖国神社を参拝する意向を表明していることについて 「日本は被害者の国民感情を考慮し、歴史を直視し、約束を守って欲しい」 と述べ、慎重な対応を求めた。
唐外相は、 「仮に総理の身分で公式に参拝されるとなれば、 中日関係に大きな影響をもたらすだろう」と語った。
中国側が心配しているのはあくまで「被害者の国民感情」「中日関係」 であって、 (日本国内の)政教分離が不十分であるとか、 さらに、 (日本における)信教の自由が不十分であることになり (日本の)オリンピック誘致が不利になるだろうとか、 そういうことではないわけだ。
2001-06-10 (0) 23:05:53 +0900
5月25日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の山形大入試集計ミスの記事。
学生も親も、穏やかではない。 本来は不合格のはずの学生も毎年約90人前後いるからだ。
ある2年生は語る。 「先輩は、企業の採用面接で『君は大丈夫なの』と言われた。 おれたちの信用を返してほしい。 本当の採点方法でも合格していたという証明書がほしい」
本来なら不合格だった合格者は、 最大で何点、合格ラインから不足しているのだろうか。
記事の前のほうを読むと
とある。 それなのに、全4問の点をただ加算していたらしい。 (このことはこの記事には書かれていないが、確か以前の記事でそう読んだ。)大学入試センター試験の「国語」は全4問。 山形大工学部は、古文、漢文を除き、 現代文の2問だけを評価の対象にする。 その際、素点を倍にする。 (後略)
間違って処理された点から古文・ 漢文の得点を引いて現代文の得点を加えれば正しく処理された点となるから、 処理しなおすと最も点が上がるのは 「現代文が満点で古文・漢文が零点」 の受験者で、その上昇分は国語の配点の半分。 一方、 最も点が下がるのは 「現代文が零点で古文・漢文が満点」の 受験者で、その下降分もまた国語の配点の半分だ。 国語の配点を k とおこう。
不合格だったが正しく処理されていれば合格だったはずの受験生がいたことは、 そう報道されているからこれを認めよう。 その一人の(間違って処理された)総得点を a とすると、 正しく処理された総得点は上の段落の考察から a+k/2 以下であり、 合格ライン l はそれ以下なのだから l <= a+k/2 を得る。 一方、 合格者の一人の(間違って処理された)総得点を b とすると、 正しく処理された総得点 b' は上の段落の考察から b' >= b-k/2 を満たす。 前者は合格し、後者は不合格となったのだから、a < b である。 よって b'+k/2 >= b > a >= l-k/2 となり、b' > l-k がわかる。 よって「もしもある合格者が本当は不合格であったとしても、 合格ラインからセンター試験の国語の配点分よりも大きく下回ることはない」 と言える。
実際にこれだけ下回る場合があることは上の考察から(少し時間をかけて考えれば) 明らかである。
めちゃめちゃな集計ミスがおきたり試験問題がもれたりした場合とは違い、 最も大きく下回ったとしてもこれだけである。 また、現在の大学入試は競争試験なので 「ここの卒業生は毎年これだけの学力はある」 との保証があるわけではない。 卒業生を採用してくださる側の方々をはじめ、 みなさんにはそのあたりをよく理解していただきたい、 と思うのだ。
付) だからといって 「今回のミスはたいした事件ではなかった」などと言うつもりはありません。
付) 私は上のように考えましたが、もっとうまいやり方はないでしょうか? 数学屋はすぐ数式に頼るのが悪いクセ。:-)
2001-06-10 (0) 22:36:50 +0900
4月15日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 《原爆の傷跡/「人影の石」影じゃない》。
子どものころ、毎日、 夕方に科学映画を民放テレビで放送しているのを見ていて、 確かそこで見たのだと思うのだが、 この影は腰掛けていた人が原爆で一瞬にしてとけて影になってしまったもの、 というように理解した。 (その印象があまりに強烈だったので、 大人になった今でも、銀行の石段にはどうしても腰掛けられない。)
朝日新聞の記事に戻ると、
今までは「人の影が焼き付いた
」と伝えられてきたが
「有機物質が付いたもの
」だった、ということらしい。
「衣類や人間の皮膚などの生体成分の可能性があるが、
断定はできなかった
」そうだ。
私が子どものとき理解していたのは(有機物質という言葉は知らなかったが)
後者のほうだった。
どうなっているのだろう? 二転三転したのだろうか?
2001-06-09 (6) 01:48:58 +0900
4月15日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 「高橋由一 未発表の肖像画」は生没年を
1 8 2 8 | 94のように表記している。 (「|」は実際には「〜」を縦書きにしたフォントである。)
なんだか読みにくい。
2001-06-09 (6) 01:39:10 +0900