すのものの「いろいろ」(その33)

扶桑社「新しい歴史教科書」を中学の教科書として適当でないと思うわけ

執筆者は十人ほど名前があげられているが、 当然全員が何度も全体を通読したはずである。 ほかにも、頼まれて目を通した人が何人かいたと思う。 それで誰も気がつかないとは思われない。

教科書検定制度の是非についてはここでは論じないが、 この「市販本」がほんとうに検定を通ったものと同一なら、 検定はかなりいい加減と言わざるをえないと思う。

付)以上の具体例はこの「いろいろ」に書いてあります。

2001-07-11 (3) 01:44:50 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>関孝和の業績はやはり「円周率の計算」らしい

扶桑社「新しい歴史教科書」>関孝和は円周率を「独自に発見」? (2001-07-04 (3) 02:49:10 +0900)》に関連して。

岩波数学辞典第三版の「和算」の項を見ると、 関孝和の業績の中に「円周率,球積の計算」がある。 やはり、 《関孝和は方程式の解法や円周率を独自に発見して, 和算とよばれる日本式の数学を確立した》(143 ページ) の「円周率を発見」はおかしいと思う。

2001-07-11 (3) 01:18:42 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-11 (4) 00:15:31 +0900

「法王分界線の通る町」で町おこしはできないだろうか?

山川出版社「詳説 世界史(新版)」(1972 年)の 165 ページには 「ヨーロッパ人による発見と探検」という地図が出ている。 「分界線」は東経 135 度のあたりで日本を通過している。 これは 《1493 年ローマ教皇によって定められたスペインとポルトガルの植民地の分界線は, 翌年両国のあいだでむすばれたあらたな条約によって改められた》 とある分界線の“裏側”である。 これの通る町が、東経 135 度のあたりにあるはずだ。 町おこしに使えないだろうか? スペインとポルトガルの人を呼んで、 その経線の両側に立たせて握手をさせる。 1994 年にやれば五百年祭でちょうどよかったかも。

2001-07-11 (3) 01:01:01 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>トルデシリャス条約の経線は北海道東を通る?

113 ページ。

1494 年,大西洋上に南北に走る一本の直線が引かれた。 線から東方で発見されるものはすべてポルトガル王に属し, 西方で発見されるものはスペイン王に属するというトルデシリャス条約が, 両国の間で結ばれた。

ページの上のほうに、地図が出ている。 小さくてあまりはっきりしない地図だが、 「トルデシリャス条約の分割線」と書かれたこの経線は、 手元の地図帳と合わせると、 南アメリカではアマゾン川の河口のちょっと東を通っているように見える。 西経 47.5 度ぐらいであろうか。

この条約によって決められた史上初のこの大胆な領土分割線は, 地球の裏側では日本の北海道の東あたりを越えて伸びている。

西経 47.5 度の経線を“まっすぐに”延長した経線は東経 132.5 度である。 180 - 47.5 = 132.5 と計算すればよい。

「トルデシリャス条約の延長線」の書かれたもう一枚の地図が載っているが、 日本は関東地方あたりから南しか出ていない。 「北海道の東あたりを越えて」は 「北海道東部を通って」とも「北海道の東の海上を通過して」ともとれるが、 北海道は出ていないから確かめようがない。 とにかく、地図の上では延長線は日本を通過していない。 ということは東経 140 度よりは東にあるようだ。 南のほうでは、 この延長線はニューギニアを “左に頭を向けたドラゴン” の形だと思ったときの首のあたりを通っている。 そこからすると東経 135 度ぐらいだ。

三つ、異なる数値が出てきてしまった。 明石が東経 135 度だから、 132.5 度なら地図の範囲内、 広島のあたりで日本と交わっていなければおかしい。 「北海道の東あたり」 がどこを指すかは上でも述べたようによくわからないのだが、 宗谷岬がおよそ東経 142 度で、これより西は指さない、 と思ってよいだろう。 すると元々の境界線は西経 38 度以下、となる。 それでは南アメリカは東のはじをかすめる程度となり、 この教科書の地図とはだいぶ違ってくる。

南北の“直線”というのは単なる経線ではないのだろうか。

-- ちょっとお休み --

山川出版社「詳説 世界史(新版)」(1972 年)の 165 ページには 「ヨーロッパ人による発見と探検」という地図が出ている。 こちらはページ全体を使った地図なので大きくて見やすい。 「分界線」は東経 135 度のあたりで日本を通過している。 「一四九四年分界線」は西経 45 度あたりを通ると見てよいようである。 説明文には 《1493 年ローマ教皇によって定められたスペインとポルトガルの植民地の分界線は, 翌年両国のあいだでむすばれたあらたな条約によって改められた》 とある。

数研出版「新訂版 チャート式シリーズ 新世界史」(1973 年) 228-229 ページの地図もほぼ同様。名前は「法王分界線」だ。 264 ページには 《いわゆる法王分界線を設定し(1493)》 《しかし,これに不満なポルトガルは, 翌年トルデシラス Tordesillas 条約によって, この境界線をさらに西方に移した》 とある。

「北海道の東あたり」の根拠は結局わからなかった。

2001-07-10 (2) 23:16:24 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「大西洋上に……一本の直線が引かれ」は変だ

113 ページ。 《大西洋上に南北に走る一本の直線が引かれた》 とあるが、「直線」ではなく「経線」ではないだろうか。 そうでないと遠くに行くにつれて地表から離れてしまい、 《この大胆な領土分割線は, 地球の裏側では日本の北海道の東あたりを越えて伸びている》 とはなりえない。

2001-07-10 (2) 22:51:05 +0900

google はそのキーワードを含むページに含まれるリンク先もあげる場合あり

「北里柴三郎」の読み方を調べようとしていて、 じゃあ奥村さんの名前の読み方は奥村さんのページのどこに書いてあるんだろうと思い、 調べてみたところ、すぐには見つからなかった。 ついでに「おくむらはるひこ」を google で検索してみた。 見つかった数個のページの最後に、 奥村さんの“最初のページ”が出ていた。 奥村さんは最近 meta タグを使って「おくむらはるひこ」をページにいれられたようだが、 google がキャッシュしているページのコピーにはそれはない。 不思議だ。 としばらく考えてしまったが、 もう一度 google のキャッシュの最初の部分をよく見たら

これらのキーワードは、このページにむけて張られているリンクに含まれています: おく むら はる ひこ
と書かれているではないか。 普通は 《これらのキーワードがハイライトされています: おく むら はる ひこ》 と書かれているところなので、うっかりこれもそうだと思い込むところであった。

ここまで調べているのか。 おそるべし、google.

2001-07-10 (2) 22:26:05 +0900

「私の人となり」と書いて「おめーのはブタとなりだよ」と言われたら

……やだろうな。

2001-07-10 (2) 01:25:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「細部を直せばよくなる」とは言っていない

扶桑社「新しい歴史教科書」について細かい点を論じてきたが、 「これらの細かい点を直せばよい教科書になるからそうしてほしい」 という意味で書いてきたのではない。念のため。

もう少しくわしく、明日以降に書く予定である。

2001-07-09 (1) 01:40:00 +0900

十干十二支が与えられて、甲子の年から何年目かを知るには

もちろん、60個の組み合わせすべてについて覚えてしまう、 のが一番である。

十干が「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」、 十二支が「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」であることは頭にいれてあるとする。 いま、十干十二支が一つ与えられたとする。 甲を 1, 乙を 2, 丙を 3, ..., 癸を 10 と、 子を 1, 丑を 2, 寅を 3, ..., 亥を 12 として、数値に直す。 甲子の年を 1 年目として、 その年が x 年目とすると、 十干 a は mod 10 で x に等しく、 十二支 b は mod 12 で x に等しい。 よって x = 10*p + a, x = 12*q + b となる。 第一式を 6 倍、第二式を 5 倍して辺々引けば x = 60*(p-q) + 6*a - 5*b が得られる。 よって、6*a - 5*b を mod 60 で考えたものが答えとなる。

十干も十二支も覚えられない人は一覧表を見るしかない。

十干十二支
113253749
214263850
513152739
524162840
415351729
425461830
314355719
324456820
213345579
2234465810
1123354759
1224364860

表を見ているうち、次のようなやり方を考えついた。 たとえば「戊戌」が与えられたとする。 「甲乙丙丁戊」と唱えながら指を 5 本折り曲げる。これで一の桁は 5 とわかる。 次に、曲げた指を「子丑寅卯辰巳午未申酉戌」といいながら戻してゆく。 「子丑寅卯辰」で指は全部開いてしまう。 残りの「巳午未申酉戌」で 6 つ指を折り曲げる。 要するにマイナス 6 である。 これを二で割ってマイナス 3 とする。 十干十二支は 60 までなので十の桁は 6 まで。 よってマイナス 3 とは 3 のこと。 ただし、十干の癸は 10 ではなく 0 とする。

2001-07-09 (1) 00:47:00 +0900

『たとえば「戊辰」が与えられたとする』と誤っていたのを訂正した。

2004-01-13 (2) 21:50:38 +0900

鬱病のテストを最後までやり通せなかったら / 踏み台昇降との類似

本屋さんに新しい家庭医学書の見本があったので、 鬱病のページをあけて、 問いに答えると鬱病かどうか判定されるテストをやってみた。 途中で、 「どうせこんなテストやったってやらなくたって……」 とむなしくなり、投げ出したくなること数回。 本当に投げ出してしまった場合、どう判定されるのだろう?

体力テストに踏み台昇降というのがある。 規定の回数だけ昇降したあと何度か脈拍数を計って、 それを得点とする。 もしも昇降を最後までできなかった場合はこれを得点とする、 というのを見たような記憶が。

2001-07-09 (1) 00:42:00 +0900

円谷英二生誕 100 年の願いごと>私は「ウルトラセブン第12話が見たい」

香林坊109のウルトラマンワールドで、 円谷英二生誕100年なので短冊に願いごとを書いてね、 というのをやっていた。 かわいい字で「大きくなったらウルトラマンになりたい」 などと書かれた短冊が飾ってあったが、 私なら「ウルトラセブン第12話が見たい」だな。

2001-07-08 (0) 22:10:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「人名さくいん」の「…」の点は3の倍数

321 ページからの「人名さくいん」で、 人名とページ数の間の「...」に、 人名にくっついているものと離れているものとがある。 よく見たら、点の数は3の倍数に限るようだ。 名前の長さが同じでも、数字のケタ数が違うから、 左端の点の位置は違ってくる。 こんな感じ。

 会 沢 正 志 斎 ...............165
 芥 川 龍 之 介 ...............252
 明 智 光 秀 ..................117
    (中略)
 足 利 義 満   ......96,  102, 108
 ア テ ル イ....................69

足利義満はもう3つ点があってもいいところだ。 「事項さくいん」にもそういう箇所がある。

2001-07-08 (0) 01:36:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「人名さくいん」に「天照大神」が載っている

321 ページ。

2001-07-08 (0) 01:28:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「○数字は第何次かを示す」は「丸数字は〜」

315 ページ「1993年8月から2000年4月までの政権の変遷」 の上に 《○数字は第何次かを示す》と書いてある。 「○数字」は「丸数字」の意味らしい。

2001-07-08 (0) 01:15:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「1992(平成2)年」は誤りでは?

314 ページ。

2001-07-08 (0) 01:10:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「たふ(う)れ」は字音かなづかいと混同?

307 ページ。 「たふれゆく」の「ふ」に「う」とふりがながふってあるまちがいについては、 Yeemar さんの 「ことばをめぐる ひとりごと」で知った。 (このページは massangeana 氏に教えていただいた。)

「倒れ」の「倒」の字音かなづかいが 「タウ」であることと混同したのではあるまいか。

2001-07-08 (0) 00:59:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「1926(昭和元)年=100とした指数」

263 ページ、「農作物価格の下落」のグラフは 《1926(昭和元)年=100とした指数》 と説明があるが、これは 「1926(昭和元)年を100とした指数」とすべきであろう。 「=」のこのような“乱用”は中学生によくない影響をあたえると思う。

ついでに書くと、 この折れ線グラフは 1927 年から始まっているが、 1926 年から始めて、100 の目盛りのところと結べば、 下落をより強く訴えるようになる。

2001-07-07 (6) 23:27:00 +0900

227 ページ、 「部門別生産高増加指数」の「1894年=100」も同様。

2001-07-28 (6) 22:33:25 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>太平洋の地図の縮尺

257 ページの「1860年代以降,アメリカが獲得したおもな領土・植民地」 と題した地図には、 西は東経 105 度、東は西経 60 度、 南は南緯 15 度、北は北緯 70 度ぐらいまで載っている。 長さ 2000km の線分が描かれているが、 これだけ広い範囲をカバーすれば地図がゆがむはずで、 「赤道上では……」などの断り書きなしに描いても意味がないのではと思う。

2001-07-07 (6) 23:09:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「……と思ふ」と「……といっている」

254-255 ページ、「夏目漱石と森鴎外」。 《西洋人より昔の日本人が余程えらいと思ふ》は漱石からの、 《西洋人は死を恐れないのは野蛮人の性質だといっている》 は鴎外からの引用らしい。 前者は歴史的かなづかいだが、 後者は「いっている」と現代かなづかいをもちいている。 歴史的かなづかいなら「いつてゐる」である。

2001-07-07 (6) 22:58:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「女性の車掌は人気の職業だった」の意味は?

253 ページ、「バスガール」の写真の説明にある。 「車掌は女性がつきたがる職業だった」の意味か、 「女性の車掌はみんなに愛される職業だった」の意味か。

2001-07-07 (6) 22:50:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「チェコスロバキアの民族部隊」で正しい?

246-247 ページ、「シベリア出兵」に 《第一次大戦中, ロシアを攻めたオーストリア軍の中には, オーストリア領に属するチェコスロバキアの民族部隊もいた》 とあるが、これで正しいのだろうか。 「チェコスロバキア」という国はあったが、 あれは「チェコ」と「スロバキア」からなる国であった。 すぐあとには《チェコ部隊救出》とある。

2001-07-07 (6) 22:33:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「新聞漫画の挿し絵」とは何か?

238 ページの絵に添えられた説明にそうある。

2001-07-07 (6) 21:24:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「仏罰」は「ぶつばつ」?

233 ページ「美術品としての仏像」の中。 普通は「ぶつばち」と読むはずだ。 広辞苑第五版もこちらだけをあげている。

2001-07-07 (6) 21:05:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>“『舞姫」”はカギカッコが不つりあい

231 ページの「明治時代の文学者」の中。

2001-07-07 (6) 21:01:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>北里柴三郎は「きたざとしばざぶろう」?

231 ページの「明治時代の科学者」の中にそうあるが、 広辞苑第五版は「きたさとしばさぶろう」としている。 「ざ」と「さ」の違いが二カ所。

2001-07-07 (6) 20:52:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「1万トン以上の造船」

227 ページの 《日露戦争後には1万トン以上の造船も可能になった》 は「1万トン以上の船の建造も可能になった」の意味であろうか。

2001-07-07 (6) 20:38:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>軸の一部をカットした折れ線グラフ

扶桑社「新しい歴史教科書」227 ページの部門別生産高増加指数のグラフだが、

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のような感じで軸の一部がカットされている。 実際には、この部分を横切るグラフは、もっと急勾配になるはずだ。

切れ目を無視してまっすぐ結ぶのではなく、 省略のないグラフの上でまっすぐ結び、 それからカットすべきだろう。 するとこんな感じになるはずである。

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(あくまで“感じ”である。)

2001-07-07 (6) 19:48:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「軍艦定遠」とはなんのことだろうか?

扶桑社「新しい歴史教科書」217 ページ 《1886年には,清は購入したばかりの軍艦定遠などからなる北洋艦隊を, 親善を名目に長崎に派遣してその軍事力を見せつけ, 日本に圧力をかけた》 とあるのだが、 「軍艦定遠」とはなんのことだろうか。 ふりがなは「ぐんかんていえん」とある。 軍艦の名前か、とも思ったが、 だったら《軍艦「定遠」》などとするところだろう。

2001-07-07 (6) 18:08:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>日本は「海に浮かぶ島国」?

扶桑社「新しい歴史教科書」216 ページの本文は 《日本はユーラシア大陸から少し離れて, 海に浮かぶ島国である》 と始まる。 ひょっこりひょうたん島みたいなもの?

20 ページの本文冒頭に 《太陽系に浮かぶ一つの星,地球》 とあったのが思い出される。

2001-07-07 (6) 17:58:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>太陽暦の採用は 1872 年? 1873 年?

扶桑社「新しい歴史教科書」205 ページに 《1873(明治6)年にはキリスト教も黙認された。 その前年には,太陽暦が採用されて》 とあるが、 1872 年 12 月 3 日をもって 1873 年 1 月 1 日とする、 という形で移行は行われたのだから、 この書き方でいいのか、若干疑問が残る。

なお、上の引用部分は行頭から始まっているが、 その直前の行の行末には一文字分の空白があるので、 段落がえをしたつもりなのかどうか、やや不明である。 おそらく、「1873」が一文字分でははいりきらないので行をかえただけで、 段落がえはしていないのであろう。 だったら、前の行の行末に空白ができないよう、 組版上の操作が必要と思われる。

2001-07-07 (6) 17:16:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>続・カッコの使い方が不統一(な感じ)

扶桑社「新しい歴史教科書」>カッコの使い方が不統一(な感じ) (2001-07-06 (5) 23:24:59 +0900)」に書いたことの別の例。

202 ページ 《大久保利通,木戸孝允らの使節団(留学生を含め,総勢100人ほど)》 も、多くは直前の字句の説明に用いられていたスタイルで補足を行なっている。 使節団とは「留学生を含め、総勢100人ほど」のものをいう、 と誤読されなければよいが。

2001-07-07 (6) 17:03:00 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-11 (4) 00:18:08 +0900

競争試験を「試験」、資格試験を「検定」などと呼び分けたら?

合格者数が決まっている競争試験と、 合格基準が決まっている資格試験とを混同して議論がかみあわないことがある。 前者を「試験」、後者を「検定」などと呼び分けたらどうだろうか。 たとえば、 もしも調理師の試験が資格試験であるのなら、 「調理師の試験」というのでなく「調理師の検定」と呼ぶようにするのである。

……と思ったら、「中間試験」「期末試験」などの、学校内での試験があった。 これは上のどちらとも違う性質のものなので、 「テスト」「考査」などとしたらどうだろうか。

「検定」は「〜検定」の形で今も使われているからよさそうだが、 「試験」「テスト」はあまりうまくない。 一般的すぎる。もっといい名前を考えよう。

2001-07-07 (6) 16:31:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「西暦」と「グレゴリウス暦」を混同?

扶桑社「新しい歴史教科書」177 ページに出ている 「ペリーの来航ルート」なる地図に、 《日付は西暦によるもの》 と注がついている。 “二ケタの数字は元号ではなく西暦の下二ケタをあらわす” ってことかな、と思ったが、地図を見るとそうではない。 「11.12〜15」 「1.24〜2.3」などとあるのは「月と日」あるいは「日」である。 「1852.11.24」 「1853.1.10〜11」 が西暦表示であることは紛れようがない。 少し考えてしまったが、 浦賀のところに「1853.7.8 (嘉永 6.6.3)」とあるので、 「日付は太陽暦(厳密にはグレゴリウス暦)によるもの」の意味らしい、 とわかった。

この時代、 西暦は太陽暦(厳密にはグレゴリウス暦)を、 和暦は太陰暦(厳密には太陰太陽暦のうちの一つ)を採用していた が、「西暦=太陽暦」「和暦=太陰暦」 と決まっているわけではないから、これはおかしい。 そもそも本文にペリーが浦賀にきたのを 《1853(嘉永6)年6月》 と、西暦の「年」と太陰暦の「月」を組み合わせて書いているではないか。 それに、 この教科書の冒頭では西暦を「年数のあらわし方」 の一つとしてあつかっていた。 「西暦」「元号」は年の呼び方であり、月日の呼び方とは独立、 と考えるほうが便利だし、普通であろう。 (これには、 西洋の暦でも東洋の暦でもほぼ同じころを一年の初めとしていたことが幸いしている。)

本文の《1853(嘉永6)年6月》を見て 「1853.7.8」を間違いだと思う読者がでることを考え、 この断り書きを加えたのであろう。 断り書きを 「日付はグレゴリウス暦によるもの。 浦賀到着の 1853 年 7 月 8 日は旧暦の 6 月 3 日にあたる」 とし、地図からは 「(嘉永 6.6.3)」を省く、などの私案が考えられるが、 グレゴリウス暦などの説明なしに書いても中学生にはわかりづらいかもしれない。

2001-07-07 (6) 16:10:00 +0900

「太陽太陰暦」と書いていたのを「太陰太陽暦」と改めた。 間違って記憶していたものである。

2003-01-27 (1) 00:28:45 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>地名のあとのカッコ内の地名は何を意味する?

扶桑社「新しい歴史教科書」151 ページに 《肥前(佐賀県と長崎県の一部)藩》 とあるのは、肥前はいまの佐賀県と長崎県の一部、といっているのであろう。 一方、 同書 176 ページに 《浦賀(神奈川県)》とあるのは 浦賀は神奈川県にある、といっているのであろう。 ほかに、前者の例としては 124 ページの 《三河(愛知県東部)》 がある。 後者を

江戸湾 現在の
東京湾
のようにした例(159 ページ)もある (カッコが大きく、中の文章は小さい文字で2行になっている)。 上にあげた《浦賀(神奈川県)》の直前には 《江戸湾(東京湾)》とあるが、これはただのカッコである。

地名のあとのカッコ内の地名には「いまの〜」と「〜にある」が混じっている、 ということになりそうである。

ところで、「佐賀県と長崎県の一部」 は「(佐賀県と長崎県)の一部」とも 「佐賀県と(長崎県の一部)」とも読めるが、 広辞苑第五版によると佐賀県の範囲は旧肥前国の一部であるようだ。

2001-07-07 (6) 14:44:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>どちりな・きりしたんが「日本文で印刷」とは

扶桑社「新しい歴史教科書」123 ページに 「どちりな・きりしたん」の表紙(らしきもの)の写真がでているが、 説明文に 《日本文で印刷されている》 とある。 「日本語で」ならわかるが、 「日本文」とは? 「漢文」と対になる概念でもあるまい。

岩波文庫「長崎版 どちりな きりしたん」(1950 年)の解題をみてみた。 この文庫が底本としたもののほかに、同名の本が三種あるそうだ。 その第三のものが、この写真の本であるらしい。 私がそう考えた根拠は次の三つである。

この本はローマ字で書かれているそうだ。 俗用で、 ローマ字書きの日本語を「ローマ字文」、 それに対して漢字かなまじり文を「日本文」と呼ぶことがあるが、 それでもないわけだ。 なお、岩波文庫版の底本はこの本の「国字版」ということだ。

2001-07-07 (6) 14:12:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「列強」の説明が見開き2ページに二つも

扶桑社「新しい歴史教科書」170 ページには 《こうして欧米諸国は,「列強」という世界の強国の道を歩み始めた》、 次の 171 ページには 《これら欧米列強(世界の強国)は》 とある。

この2ページは見開きである。 後者のカッコの中の注は不要ではないか。

2001-07-07 (6) 14:03:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「私有財産」の意味は一貫している?

扶桑社「新しい歴史教科書」169 ページ、 「市民革命」の 《ヨーロッパでは, それまで封建的な王侯貴族が領地を支配し, 人々の身分はしばられ, 私有財産が制限され》 と、 同書 260 ページ、 「共産主義」の 《そのために私有財産を否定し, 一党独裁の道が選ばれた》 とで、「私有財産」の意味は同じであろうか。 後者はマルクス主義の用語としての「私有財産」だと思われる。

2001-07-07 (6) 13:55:00 +0900

ローマ字入力とTコードとで誤打のパターンが違う

ローマ字入力の時、 「だけ」と打とうとして dake が deka になり 「でか」となってしまう場合がある。 Tコードのときは不思議とこれがない。 文字を単位として転置してしまうことはある。 キーストロークでいえば ABCD が CDAB のようになるわけだ。

2001-07-07 (6) 13:43:00 +0900

更新記録 --- 「いろいろ」から「以前の「いろいろ」の目次」へリンク

……を張った。 「いろいろ」の続きがどこにあるかが、 最初のページに戻って説明を読まないとわからないから。 今夜のところはとりあえずリンクだけ張って、と。

2001-07-07 (6) 02:44:35 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「武士道とは死ぬことと見つけたり」か?

扶桑社「新しい歴史教科書」151 ページに 《山本常朝は,「武士道とは死ぬことと見つけたり」 という言葉で有名になる『葉隠』という談話集を残した》 とあるが、ちょっと前にたまたま見た岩波文庫では 「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」 であった。 漢字とカナの書き分けはともかく、 「いふ」がはいるのかはいらないのか。 google で検索してみたが、わからなかった。

別の箇所に「武士道とは」とあるのかも知れないし、 ここを「武士道とは」と引用した書物などが有名になった、 のかもしれない。

2001-07-07 (6) 02:21:22 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「新人が……地上に登場する」と「洞くつ」

扶桑社「新しい歴史教科書」>「新人が……地上に登場する」ってどこから? (2001-07-05 (4) 22:47:00 +0900 づけ)》の続き。

扶桑社「新しい歴史教科書」21 ページに 《約3,4万年前になると, われわれと同じ種類の人類であるとみなされる新人が, やはりアフリカを出発点にして地上に登場する》 とあるのを読むと 「どこから?」と突っ込みを入れたくなるのは、 その直後に 《彼らは洞くつなどに住み,集団で狩りをした》 とあるからかもしれない。

ずっと洞くつに住んでいて、 それまでは地上に出なかったが、 そのころから「地上に登場」した、と誤読されないだろうか。

ついつい「地上」と「洞くつ」にこだわってしまうのは、 ドラクエなどでは「地上」と「洞くつ」でルールが違うからかもしれない。 ウィザードリィは「地上」に出ればモンスターはあらわれない。

2001-07-07 (6) 01:10:05 +0900

上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。

2006-05-11 (4) 00:19:55 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>昭和天皇の「あっ,そう」は一語?

扶桑社「新しい歴史教科書」306-307 ページ、 「昭和天皇 --- 国民とともに歩まれた生涯」の終わり近くに 《このときの天皇のお言葉は「あっ,そう」 という簡単な一語だけということが多かったが》 とある。

広辞苑第五版によれば、 「あっ,そう」は「あっ」と「そう」の二語からなる。 いずれも感動詞である。

2001-07-07 (6) 01:04:20 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>やはり西暦紀元前の年についても教えなければ

紀元1年の前年が紀元前1年であることが書かれていない、 ということは前に書いたが、 日本史に出てくる事件はすべて紀元後だからまあいいか、 と思っていた。 しかし、孔子や始皇帝の生没年が欄外にではあるが書かれているのだから、 きちんと教えねばなるまい。

2001-07-07 (6) 00:51:48 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>生没年ともに不明の場合「?」と記しているが

生年のみ不明の場合は「高山右近 ?〜1615」のように記しているが、 没年も不明の場合は「東洲斎写楽 ?」のようにしている。 「東洲斎写楽 ?〜?」のような書き方をよく見るような気がするが。 現在も生きている人で生年が不明の場合のみ「?〜 」と書く?

2001-07-07 (6) 00:44:18 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>南総里見八犬伝が歴史小説?

扶桑社「新しい歴史教科書」160 ページに 《滝沢馬琴は,大長編「南総里見八犬伝」など, 現実離れした娯楽性の強い歴史小説を書き》 とあるのを読んで思わず「ウッソー」と叫んでしまった。 馬琴自身が、 作品中にこれは歴史ではないという趣旨のことを何度も書いているではないか。 「歴史小説」の定義を私が間違えているのか?

2001-07-07 (6) 00:39:48 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「民間のおもな年中行事」

扶桑社「新しい歴史教科書」145 ページ「民間のおもな年中行事」。

「元旦(1月1日)」はこれでいいのだろうか。 元旦は元日(1月1日)の朝をさす。 朝のうちに、そこにあるように 「門松をたて,とそやぞうにを食べ, 初詣をして,新年を祝う」 が全部できるだろうか。 それと、「とそ」は飲むものであって食べるものではないのではないだろうか。

「七草(1月7日)」には 「正月七日に七草がゆを食べる」とある。 すぐ上に「1月7日」と書いてあるんだから 「七草がゆを食べる」だけでいいではないか。

「七夕(7月7日)」。 「牽牛・織女を祭る行事で」は正しいだろうか。 広辞苑第五版は「星を祭る」としている。

「盆(7月15日)」。 「迎え火・送り火で先祖を送り迎えし, 霊を祭り,盆踊りを踊ったりする」 とあるが、 「彼岸」の項には 「先祖の霊を供養する」とある。 盆に送り迎えするのも「先祖の霊」ではあるまいか。 「迎え火・送り火で先祖を送り迎えし」 は「迎え」と「送り」の順序が逆になっているが、 「送り迎え」は熟しているからしかたあるまい。

2001-07-07 (6) 00:08:29 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>カッコの使い方が不統一(な感じ)

扶桑社「新しい歴史教科書」121 ページ。

明も日本との戦いで衰え, 豊臣家の支配もゆらいだ (このころ,朝鮮の陶工[とうこう]によって陶器[とうき] の技術が伝えられ,茶の湯の発展にもつながった)。

このカッコは大きめで、中の文字は小さく、2行になっている。 これは、ここまででは直前の字句の説明に用いられていたスタイルである。 《漢城(現在のソウル)》のように。

2001-07-06 (5) 23:24:59 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「正長の徳政碑文」の写真が心霊写真みたい

扶桑社「新しい歴史教科書」100 ページに「正長の徳政碑文」の写真が出ている。 岩に彫られた地蔵のようなものが写っているが、 そのわきの一部分が大きく拡大され、 そこに字が書いてある。 これは心霊写真の本によくある表示法だ。

字の部分の拡大だけでなく、 地蔵も載せていることの意味はよくわからなかった。

2001-07-06 (5) 22:22:10 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>一世一元の制の説明は正しいか?

扶桑社「新しい歴史教科書」18 ページ「本書の使い方」の最初に 「年数のあらわし方」が出ており、 「年号」の中にこうある。

年号は,改元といって, しばしばかえられたが, 明治以降は天皇一代につき一つの年号が用いられている (一世一元の制)。

「明治以降は……」は誤解を呼びやすい言い方である。 平成への改元が現天皇の即位の翌日だったのはおいておくとしても、 明治天皇の即位は 1867 年 1 月 9 日、 明治への改元は 1868 年 9 月 8 日である。 「明治以降」が 「明治時代以降」「明治天皇以降」の意味であれば誤りとなる。 「元号としての明治以降」の意味に解釈すれば正しいと言えなくもないが、 こう言い出しておいて「天皇一代につき一つの年号」 と続けるのはやや無理があると思う。

2001-07-06 (5) 22:13:06 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>年号(元号)の説明

扶桑社「新しい歴史教科書」18 ページ「本書の使い方」の最初に 「年数のあらわし方」が出ており、 「西暦」「年号」「干支」が説明されている。 その中の「年号」の説明はこうなっている。

慶応・明治というような年号(元号ともいう)を定め, その年号のはじめを元年として,年数をあらわす方法。 中国で始まり, 7世紀の中ごろより,日本では用いられた。

年号は,改元といって, しばしばかえられたが, 明治以降は天皇一代につき一つの年号が用いられている (一世一元の制)。

これでわかるだろうか?

現に、元号は使われているのだから、 そこから説明し、 「明治より前の元号は天皇の代替わりとは無関係に変えられた」 と説明するほうがわかりやすくないだろうか?

2001-07-06 (5) 21:45:08 +0900

(注) 一度公開したあとで、[…]の部分を補った。 こうしないと、 『軽はずみに「年号は名前」と思うと間違いで、 よく読んで「期間」と思えば意味が通じる』 と誤解されるからだ。 そうではなく、 『「名前」と思っても「期間」と思ってもうまくない』 といいたかったのである。 次の項目には補った部分と重複する部分があるのだが、 そのままにしておいた。

2001-07-07 (6) 12:39:15 +0900

インターネットで見つけた不気味なキャラ絵

インターネットでこんな絵を見た。 なんとも言えず不気味である。

    |
    |⌒彡
    |冫、)
    |` /   こんばんは〜
    | /
    |/
    |
「このサイズでは顔は書けないだろう」 と思いがちなサイズの中に顔があるので不気味に感じたのではあるまいか。

髪の毛は「彡」、右目と鼻は「冫」である。 「彡」はキャラ絵でよく使われるが、 「冫」はあまり見たことがない。 google で「彡 冫」を検索するとこの絵が書かれたページが見つかる。 しゃべらせている言葉はいろいろあるようだ。 上の「こんばんは〜」は私が見つけた絵に書いてあった言葉ではない。

    |
    |⌒ 彡
    |冫、)
    |` /   僕も入れてょ〜
    | /
    〆
    |
このように、髪の毛が半角スペース分だけ右に寄っているものもみつかった。 手を描いてみたのは私である。

2001-07-06 (5) 21:19:25 +0900

朝日新聞マンガ「ののちゃん」のキクチ食堂とサンダーバード5号

7月5日づけ朝日新聞大阪本社版のマンガ「ののちゃん」 にキクチ食堂がでてくる。 ここのドアには「キクチ食堂」と書かれているのだが、 文字は室内側から見て正しく読めるように書かれているのである。 これは読者に「ここはキクチ食堂ですよ」 と伝えるための一種のフィクションだろう。

確かムックで読んで知ったのだが、 サンダーバード5号には内側から正しく読めるように 「国際救助隊」と(英語で)書かれている。 サンダーバード5号を外からのぞき込んで 「あっ、ここは国際救助隊だ」と気づいて 「救助」を求めてくることってあるんだろうか?

2001-07-06 (5) 21:01:26 +0900

藤本義一氏は「機械化=デジタル化」ととらえている?

7月5日づけ朝日新聞大阪本社版「上方ITシンポジウム」に 作家の藤本義一氏の特別講演の要旨が出ている。

いま話を聞いている500人に藤本義一の印象を20字で書いてもらったら、 同じことを書く人はまずいない。 それが人間の頭です。 アナログのもつ一番のエネルギーです。

「言葉」がアナログかデジタルかはおいておくとして、 それを「文字」で書いてもらう、というのはデジタル化の一歩である。 たとえば、「すごい」と書いても 「すっごい」と書いても「うーん、どこか違う……」 としか思えないように発音された「スゴイ」もあるだろう。 それなのに、 とにかく「文字」と呼ばれるいくつかの記号を並べたものに直してしまえ、 というのだから、これはデジタル化である。

さらに、それを「20字」のように数えるのは、明らかにデジタル化である。 たとえば、「好き」を強調して 「好っき----------!」のように手書きで書いたとする。 ここでは「-」を整数個ならべて書くしかないのでそうしたが、 シチュエーションによっては 「長音符が何個あるのか」と考えるのはナンセンス、 ということもあるだろう。

どうやら、「機械に頼るな」と言いたいらしい。

2001-07-06 (5) 20:53:29 +0900

首相靖国神社参拝>「敬意・感謝・哀悼」と「参拝」

7月5日づけ朝日新聞大阪本社版政治面「ボン会合後も米と協議」に、 首相が 《靖国神社の参拝については 「まつられているのはA級戦犯だけではない。 戦没者に対して敬意と感謝と哀悼の意を表したいと思って参拝する」 と説明した》 とある。

2001-07-06 (5) 20:38:29 +0900

野球>「ゆっくりとボールが落ちてくる」ときは「速く」落ちてくる?

いま、 NHKラジオでプロ野球の中継を聞いているのだが、 アナウンサーが 「ゆっくりとボールが落ちてくる」と言っていた。

これは、ボールが高く上がったことを言っているのだろう。 高く上がれば、落ちてくるまでの時間は長くなる。 ただ、この場合、 ボールが地上に落ちてくる際のスピードは「速く」なる。

2001-07-06 (5) 20:31:25 +0900

MML 打ち込み --- 新デバッグ法 / ゴルトベルク変奏曲 第 25 変奏に挑戦

特定のパートを除いて音色に 127 番を指定すると、手拍子のような音になる。 ほとんどリズムだけで、かすかに音程が聞こえてくる、という感じ。 こうやって一パートずつデバッグする方法を思いついた。

奥村さんのショパンに刺激されて、 ゴルトベルク変奏曲の第 25 変奏曲を打ち込み始めた。 この曲は装飾音符が重要であり、 「楽譜どおりのリズムで打ち込む」ではだめだ。 それでいて同じパターンが繰り返される。 よって、十分に考えてから始めなければならない。

2001-07-06 (5) 02:04:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>まとめの「ローマ帝国」「キリスト教おこる」

扶桑社「新しい歴史教科書」80 ページの 「第1章のまとめ」の地図には「ローマ帝国」「キリスト教おこる」 と書いてある。 出てきた?

2001-07-06 (5) 01:15:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>源氏物語 --- 桐壷帝の名をわざわざあげる?

扶桑社「新しい歴史教科書」75 ページに源氏物語が出てくる。 《桐壷(きりつぼ)の帝(みかど)の皇子(おうじ)である光源氏》 とあるのだけれど、 この帝が「桐壷帝」と呼ばれるのは 「桐壷」の巻で帝であったから、 あるいは「桐壷更衣」と関係があったからであり、 あの巻が「桐壷」と呼ばれるのは「桐壷更衣」を描くからで、 彼女が「桐壷」と呼ばれるのは本文に 「御局(つぼね)は桐壷なり」とあるのに由来するのだから、 わざわざ中学生用教科書に書くほどのことかな、という気がする。

ところでこの「帝」 が天皇を意味することは中学生にはわかるのだろうか?

もうひとつ。 この本は、開きカギカッコで段落が始まるときは字下げをしないようだ。 私はすべきだと思うのだが。

2001-07-06 (5) 01:00:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>古事記の筋の紹介が小見出しをまたぐのか……

扶桑社「新しい歴史教科書」60 ページ 「日本の神話」の前後を見ると次のようになっている。 (ここでは HTML のリスト用のタグを利用したので、 小見出しなどの体裁は一般には原書と一致しない。)

  1. 日本語の確立
  2. 日本の神話
  3. 飛鳥・天平の文化

もしも私が、 古事記の内容の紹介と地の部分とを読者に混同してほしくないと思って執筆するならば、 「イザナキの命とイザナミの命」 「天照大神とスサノオの命」 「ニニギの命から神武天皇へ」 などの小見出しが現れないように、 すなわち、内容の紹介は小見出しをまたがないようにするであろう。

注:「訓読み」とあるのは「訓読(くんどく)」の誤りである。 「日本語の確立」も「日本語表記法の確立」のほうが適当であろう。

2001-07-06 (5) 00:29:00 +0900

上では <ol> の中に <ul> を使ったが、 </ul> が一つ抜けていたため、 一部のブラウザでは表示がおかしくなった。 奥村晴彦氏の指摘により訂正した。 同氏に感謝する。

2001-07-06 (5) 20:23:08 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「新人が……地上に登場する」ってどこから?

扶桑社「新しい歴史教科書」21 ページに 《約3,4万年前になると, われわれと同じ種類の人類であるとみなされる新人が, やはりアフリカを出発点にして地上に登場する》 とあるのを読むと 「どこから?」と突っ込みを入れたくなる。 「地下から? それとも天空から?」

冗談はともかく、 ここに「地上に」という句が挿入されているのはなぜだろう?

2001-07-05 (4) 22:47:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「年数のあらわし方」

扶桑社「新しい歴史教科書」18 ページ「本書の使い方」の最初に 「年数のあらわし方」が出ており、 「西暦」「年号」「干支」が説明されている。 「年数」というのは“ある事件からある事件まで何年” というのをあらわすのであって、 ここで説明しているものとは違うように思う。

どこか変だ。 西暦は「年数を示す」ものではないし、 「西暦を主とし」 は西暦の項目の中ではなくこれら三つの上または下にくるべきだろう。

2001-07-05 (4) 22:45:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「十干・十二支という22の文字を」という説明

扶桑社「新しい歴史教科書」18 ページの「干支」の説明に 《十干・十二支という22の文字を「壬申」などと60とおりに組み合わせ, 61年目に同じものを使う方法》 とあるが、 せっかく十干と十二支に分かれているものを合わせて「22の文字」 としてしまったらわかりにくいのではないか。 私案: 「10年周期の十干と12年周期の十二支を組み合わせた「壬申」などのこと。 60 年を周期とする」。

2001-07-05 (4) 22:34:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「十一時四五分」という表記

扶桑社「新しい歴史教科書」13 ページ「歴史新聞を作成した例」に

十
一
時
四
五
分
という表記が見える。
十
一
時
四
十
五
分
または
一
一
時
四
五
分
のほうが統一的ではないだろうか。

付: この三月末日までの朝日新聞は前者の表記をとっているようだ。 たとえば1998年8月31日づけ大阪本社版社会面の 「奈良の会社員 / 潜水中不明に / 福井・高浜」 に《三十日午前十一時四十分ごろ》とある(原文は縦書き)。

2001-07-05 (4) 21:44:30 +0900

物品税廃止と消費税導入は同時だったがそれらは別のものだ

「物品税の廃止に伴いお求めやすくなりました」とすべきところを 「消費税の導入に伴いお求めやすくなりました」と書いている店があった。

注: タイトルでは「同時」と書いたが、これは記憶と広辞苑第五版の「物品税」 の説明「消費税導入に伴い廃止」によって書いたもの。 それ以上は調べていない。

2001-07-05 (4) 21:44:00 +0900

(定時法専用の)腕時計の日付を旧暦に合わせることは可能

しかるべき資料で旧暦を知り、 日付を合わせるだけだ。 旧暦の一カ月は 29 日か 30 日だから、 月の終わりには必ず日付を合わせ直さなければならないが。

2001-07-05 (4) 21:28:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>太陽暦と定時法を混同していないか?

扶桑社「新しい歴史教科書」13 ページ「歴史新聞を作成した例」にこうある。

(前略)その結果できたのが「和時計」とよばれる不定時法専用の時計である。

しかし、明治維新で太陽暦が採用されたため、 和時計は役に立たなくなった。(後略)

和時計が役に立たなくなったのは太陽暦が採用されたためではなく、 不定時法にかわって定時法が採用されたためである。

太陽暦の採用と定時法の採用が同時だったかどうか、 手元の資料でははわからない。 仮に同時であったとしても、 それらは全く別のことがらである。

付: ここは生徒が作った歴史新聞の例の体裁をとっているページである。 それにしても明白な誤りは困ると思う。

付: この新聞の発行日は 2002 年 4 月 20 日となっている。 この日は土曜日である。

付: 定時法が採用されたのは、 工場の生産管理、労働時間の契約などの点で便利だったからと聞く。

2001-07-05 (4) 21:18:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>遠近法 vs 透視画法

扶桑社「新しい歴史教科書」巻頭カラー部分の 14 ページ。 富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の解説に 《大きな波の間に小さな漁船が見え, 遠くに富士山が見える。 遠近法を見事に使っている》 とあるところから百科事典を調べてみた。 遠近法というとつい透視画法を思い浮かべてしまうが、 遠近法はそれだけではないそうだ。 この絵のように 「近くのものは実物は小さくても大きく書く。 遠くのものは実物は大きくても小さく書く」 というのも遠近法の一種らしい。

2001-07-05 (4) 21:03:00 +0900

とてつもないカリスマ政治家がいたら、今の日本国憲法の元ではどうなるか?

カリスマ的な政治家がいたとする。 ある人が衆院選・参院選に立候補する際、 「内閣総理大臣の指名では別の人物に票をいれる」 と言ったら必ず落選してしまうほどのカリスマだったとする。 どうなるだろうか。

2001-07-05 (4) 20:34:00 +0900

「ダダA」「〜B」「〜C」とドラクエの「スライムA」などは関係ないか?

ウルトラマンに登場した三面怪人ダダは三つの顔を持ち、 それぞれ「ダダA」「ダダB」「ダダC」と呼ばれるが、 これと、 ドラゴンクエストで同一モンスターが複数匹あらわれると 「スライムA」「スライムB」「スライムC」 などと呼ばれることとは関係ないか?

2001-07-05 (4) 19:57:00 +0900

MML 打ち込み>書けそうで、役に立ちそうなチェックプログラム

前に、 プリプロセッサのようなものを作ったらどうかと書いたが、 チェックプログラムでいいかなと思い始めた。 たとえば、次のような項目をチェックしてくれるプログラムがあると、 間違いの発見が容易になろう。

2001-07-05 (4) 01:45:17 +0900

MML 打ち込み>ゴルトベルク変奏曲 第 29, 30 変奏をいちおう打ち込む

きのう途中だった、第 29 変奏曲の続き。 前半の後半、原曲では二つの鍵盤で左右の手の掛け合いになる(らしい)ところは、 楽譜の下段は真ん中から、上段は一番左から聞こえてくるようにした。 これだと左にかたよりすぎるのだが、まあとりあえずということで。 三つの音符からなる短いフレーズの連続なので、 左右にランダムに振り分けるのも面白いかと思った。 (この時点では7つのパートをほぼ均等の間隔で左右にひろげていた。)

前半最後の二小節まできて、あまりに低い音になったことに気づく。 どうもオクターブ間違えたらしい。 倍以上の時間をかけてゆっくり演奏するようにして、 三連符の部分を耳でチェックした (といっても私には上がっているか下がっているかしかチェックできないが)。

後半でもこのテクニックを使ったら、 割と早くできた。

第 29 変奏曲の最後の部分をきくと、 第 30 変奏曲をきかないわけにはゆかない。

というわけで、第 30 変奏曲も打ち込み始めた。 これは四つのパートからなっている。 ソプラノ、アルト、テノール、バス。 この順に左から右へ音を並べた。音色はすべてピアノである。 装飾音は省略したら、結構早く進んだ。 この曲は音の跳躍が少ないので、 オクターブ上下の間違いが少ない。

ところが、第 4 小節の最後の拍で考えてしまった。 ここまでは四声が鳴っているが、ここでテノールが休む。 しかし、第 5 小節ではテノールは休まず、 ソプラノが休むように書いてあるのである!  ピアノやチェンバロで弾くときはソプラノだのテノールだのの区別はない。 とにかく音を出せばいいのである。 しかし、ここでは何らかの解釈をしなければならない。

次の関門は、第 8 小節の、わずかな間だけ五声になる部分である。 こういう場合の MML の書き方は奥村さんのページにあった。 どのパートを部分的に重音にするか、決めなくてはならない。

あとはそれほど問題もなく、 場所によっては「ディーよんディーよんイーよんイーよん(d4d4e4e4)」 などと歌いながら打ち込んだりして、いちおう打ち込み終えた。 ひとまず完成した第 29, 30 変奏曲のファイルのタイムスタンプの差は約 1 時間だったので、 第 30 変奏曲(全 16 小節)は 1 小節あたり約 4 分かかったことになる。

感想: 「こんなメロディーが鳴っていたのか」と思うことしきり。 でもそれは打ち込み間違いだったりして。

2001-07-05 (4) 01:41:08 +0900

エウクレイデス「原論」>「円の面積は直径の平方に比例」はあった

きのう書いたことに関連して、 エウクレイデス(ユークリッド)の「原論」では円周率の存在はどうなっていたか、 (訳本を)調べてみた。 円周の長さを扱っている箇所はみつからなかったが、 円の面積が直径の平方に比例することを述べた定理があった。

円周の長さは、 実用上はひもを巻くなどしてはかればよいので明らかに存在するが、 定義しようとするとそう簡単ではない。 正 2n角形を内接および外接させ、 「内接正 2n角形の周の長さ ≦ 円周の長さ ≦ 外接正 2n角形の周の長さ」 で定義するかなと思ったが、 一つめの不等号は 「二定点を結ぶ曲線のうち長さ最小のものは線分」 を認めれば OK だが二つめのは……。 (それを認めるならなぜ 「三角形の二辺の長さの和は他の一辺の長さよりも大きい」 を証明しなきゃいけなんだ? という声が出そうだ。)

それに対し、 面積については「ある図形が別の図形に含まれるなら、 前者の面積は後者の面積以下である」 を“公理”にし、 「内接正 2n角形の面積 ≦ 円の面積 ≦ 外接正 2n角形の面積」 として論ずることが可能である。

言うまでもなく、 円の面積と半径の長さの二乗の比をもって円周率と定義すればよい。

注: ここでは当時の人の立場と現代のわれわれの立場をごっちゃにして言っているので、 数学史の上ではおかしなことを書いているかもしれない。

2001-07-05 (4) 00:58:35 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>岩倉使節団の津田梅子は「当時8歳」?

扶桑社「新しい歴史教科書」234 ページ、 「津田梅子と与謝野晶子 --- 女性が輝いた明治」。

岩倉具視に率いられて横浜を出航した岩倉使節団には, 60名ほどの留学生がいたが, その中に, 当時まだ8歳の津田梅子(1864〜1929)が加わっていた。

津田梅子の年齢を間違えているという指摘を読んだので、 広辞苑第五版で「岩倉使節団」を調べた。 1871 年 11 月から 1873 年 9 月までである。 津田梅子の生没年はこれであっている。 google で「津田梅子 誕生日」を検索したところ、 どうやら 12 月 8 日生まれのようだが、それは知らなくても、 出発の 1871 年 11 月にはまだ8歳になっていなかったことは確かだ。

じゃあ、これは間違いか、というとそうは言い切れない。 津田梅子が 1872 年に迎えたはずの8歳の誕生日は、 岩倉使節団の期間に含まれている。 上の文章の「当時」を「出航した当時」と読むから誤りと思うのであって、 「8歳になった当時」と思えば間違いではない。

参考: 落語「火焔太鼓」では、 主人公が小僧の年を偽って若く言い、 あとで事情が変わると本当の年を言う。 「さっき*歳と言ったではないか」と言い返されると 「*歳のときもあったんです」と答える。

付:実際のところは、誤って数え年の資料をそのまま使ったのではあるまいか。

2001-07-05 (4) 00:41:18 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「火炎のような土器」は形を言っている?

扶桑社「新しい歴史教科書」巻頭カラー部分の 1 ページ、 「日本の美の形」。

縄文時代には,火炎のような土器や奇妙な土偶, 弥生時代には幾何学的な銅鐸などが制作された。

「火炎土器」の写真の説明には 《この火炎型の土器のように》とあるので、 「火炎のような土器」は「火炎のような形の土器」の意味であることがわかる。 (「火炎土器」は術語として定着しているのかもしれない。)

2001-07-04 (3) 23:29:20 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「踊る埴輪」は「踊る人形」のように不思議

扶桑社「新しい歴史教科書」巻頭カラー部分の 2 ページに 《踊る埴輪」》とあった。

埴輪というのはあの人形のようなものを指すのだと思っていたが、 一応、広辞苑第五版で確かめた。 「古墳の上や周囲に立てならべた土製品」 である。 建物などの形のものもあるので、 “人形”と考えていたのは私の間違いだったが、 とにかく、あの作り物のことを言うのであって、そのモデルのことを言うのではない、 という点では正しかった。

だから、やはり、「踊る埴輪」は「踊る人形」と同じように不思議な表現である。 私だったら「踊る男女の埴輪」などとするだろう。 隣の《武具をつける埴輪》も不思議。 《馬の埴輪》は理解できる。

2001-07-04 (3) 23:18:55 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「幾何学的な銅鐸」「幾何学的な身体」

扶桑社「新しい歴史教科書」巻頭カラー部分の 1 ページ、 「日本の美の形」。

縄文時代には,火炎のような土器や奇妙な土偶, 弥生時代には幾何学的な銅鐸などが制作された。

ハート型土偶の写真の説明にはこうある。

やはり女性像だが,ハート型の頭部と幾何学的な身体は, 自由な造形性を伝えている。

「幾何学的な」という語は、 「模様」などは修飾できても、 そのような模様の描かれた「銅鐸」や「身体」 をいきなり修飾することはできないのが普通ではあるまいか。

最初から通読しようとして気がついた。

注) 「幾何学的な頭」は幾何学を得意とする頭脳の意味であって、 ここでいう「幾何学的な」とは違う。

2001-07-04 (3) 22:59:59 +0900

「宮刑を求刑」という事態になったら混乱するのでは?

「求刑は?」「宮刑です」 「だから求刑は?」「だから宮刑です」 「『だから求刑は』って聞いてるんだよ」 「『だから宮刑です』って答えてるじゃありませんか」

2001-07-04 (3) 22:45:23 +0900

/tu/ を「テゥ」で表わす例 --- 「アルテゥル・ショウペンハウエル」

ショウペンハウエル著 斎藤信治訳「自殺について」(岩波文庫) の訳者跋では著者名を 「アルテゥル・ショウペンハウエル」と表記している。 Arthur Schopenhauer なのでいまなら「アルトゥル・〜」とするところであろう。

小書きの文字を持つ音節は、(ラフに言って) 「第一の文字の子音に第二の文字の母音がついた音を表わす」 と言えると思う。 これを原則に採用するなら、「トゥ」も「テゥ」も同じ /tu/ を表わすことになる。 ただ、「ト」の母音のほうが「ウ」と似ていること、 「テゥ」は t に二重母音 eu がついた(外国語の) 音を表わすと思われかねないこと、 などから最近は慣習として「トゥ」と書くようになったのではないだろうか。

2001-07-04 (3) 22:18:38 +0900

「神は自殺しうるか」はプリニウスも問うている

ショウペンハウエル著 斎藤信治訳「自殺について」(岩波文庫)の 「自殺について」84 ページに、 プリニウスの書いたものから 《神と雖も、凡てをなしうるわけではない、 と私は考える。何故というに、 神は、 たとい彼がそれを欲したとしても、 自殺することはできないのだ。 ところが神は人間に対しては、 かくも多くの苦難に充ちた人生における最上の賜物として、 自殺の能力を賦与してくれた》 が引用されている。

矢内原忠雄 「余の尊敬する人物」193 ページに、 新渡戸稲造について 《基督教に入つた当時の先生は、 懐疑的傾向の強い知的な少年であつて、 朋輩から monk(修道僧)と綽名せられ、 ある時討論会で 「若し神が全能であつて何でも為し得るといふのであるならば、 神は自殺し得るか」といふ疑問を提出して、 相手を苦しめた逸話があります》 と書かれているのを思い出した。

2001-07-04 (3) 22:05:15 +0900

国語辞典には「身のため」が出ていない?

「身」と「ため」をよく読めばわかるように書いてあるのかも知れないが、 熟語として説明すべきではないだろうか。

日本語のネイティブでない人が、 辞書に「身のため」が出ていなかったために強盗に言われた 「金を出したほうが身のためだ」がわからず殺されてしまった、 なんてことが起きないといいが。

2001-07-04 (3) 19:42:00 +0900

扶桑社「新しい歴史教科書」>「〜を中心として前後7日」って全部で何日?

扶桑社「新しい歴史教科書」145 ページ、 「民間のおもな年中行事」では「彼岸」に 《春分と秋分を中心として前後7日》 と説明があるが、 これは「前7日後7日の計15日」なのか 「全部で7日」なのかあいまいな書き方である。 実際は全部で7日なのだから、 「春分と秋分を中心とした7日間」 でいいと思う。 (《春と秋の2度あり》という説明は別にある。)

2001-07-04 (3) 03:24:00 +0900


すのもの Sunomono