キース・アウト
(キースの逸脱)

2008年3月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。
















 



2008.03.04

漢字能力検定:高3の2級合格率、10年連続2割切る
「思考力に影響」


毎日新聞 3月2日]


 日本漢字能力検定協会(本部・京都市)が主催する漢字能力検定(漢検)で、高校卒業程度とされる2級の高校3年生の合格率が97〜06年度に10年連続で2割を切っていることが分かった。中学卒業程度とされる3級は中学3年生の合格率が5割を超え、高校生が漢字に力を入れていない実態が浮き彫りになった。同協会東京事務局の多和泰美次長は「漢字の活用力が不足すると思考力や感情の幅に影響する」と懸念している。
 協会によると、漢検2級は、学習指導要領で高校卒業までに習得すべきだとされる1945字から出題。漢字の読み、書き取りから四字熟語、誤字訂正などの問題が出され、200点満点のうち、約8割で合格となる。
 協会が過去10年間のデータを比較したところ、97年度は高校3年生延べ約4万6000人が2級を受検し、合格者は約6600人(14%)。06年度は受検者が延べ約6万9000人と2万人以上増加したが、合格者は約1万2000人(17%)。合格率は14〜19%の低水準で推移している。漢検は75年に始まり96年度までは学年別合格率を出していない。一方、3級(1608字)では中学3年生の受検者数と合格率が上昇。97年度は中学3年生延べ約4万5000人が受検し、合格者は約1万3000人(29%)。06年度は受検者が約5倍の延べ約23万7000人になり、55%が合格した。
 国語作文教育研究所の宮川俊彦所長は「国の文化を作ってきた漢字をどのように教えるべきか、根本から考え直す時期に来ている」と話す。【三木幸治】


表題をもう一度見てみる。
高3の2級合格率、10年連続2割切る 「思考力に影響」
思考力に影響があるとなると、やはり不安にならざるを得ない。しかも
高校卒業程度とされる2級を高校生の5人に一人が書けないのだ、これ出心配にならない方が不思議だ・・・と普通の人は思うかもしれない。

しかし例題を見てみるがいい。
私たちは大人だから何年も文章を読んだり書いたりしているうちに、「この程度の読み書きなら何とかなる」という人も少なくないかもしれない。

しかし部首となるとどうだ? 四字熟語はいかがか?
「丈」の部首が「一」で「粛」の部首が「聿」、「受」の部首が「又」といったことは果たして常識に属する範疇なのか?
天壌無窮 一得一矢 雲泥万里 少壮気鋭 が普通の高校生に書ける、あるいはかけなくてはいけない漢字なのだろうか?


 ところで、
私は漢検2級を持っているが準2級も3級も持っていない。

 大人になってから最初に4級(小学校卒業程度)を受けてコツが分かり、3級・準2級と受ければそれぞれかかる2000円を惜しんで、いきなり2級に進んだのだ。

 コツというのは実に簡単で、2級を受けるなら「2級のテストに出る問題を練習すればいい」というただそれだけのことである。2級の試験でそれより下のレベルの漢字が出題される心配がないから、準2級や3級の知識はなくてもいいのである。そこが算数・数学検や英検と異なる点である。

 そしてそのためには日本漢字能力検定協会のテキストを買って勉強するのが一番なのである。つまり、
漢検を受ける人が増えれば増えるほど、日本漢字能力検定協会は儲かる仕組みになっている。
 日本人の学力低下を騒げば騒ぐほど儲かる組織なのだ。
 
 
10年連続2割切る 
 それ以前の統計はない。
 
しかしたぶん、30年前の高校生だって、そんなものだったはずだ。問題を見れば分かる。
 
 ところで、
 97年度は高校3年生延べ約4万6000人が2級を受検し、合格者は約6600人(14%)。06年度は受検者が延べ約6万9000人と2万人以上増加したが、合格者は約1万2000人(17%)。

 記者は、受験者が増えれば合格率が上がると、本気で思っているのだろうか?






 



2008.03.08

土曜授業の全校復活へ30校をモデル指定
京都市


産経新聞 3月6日]


 京都市教委は6日、子供の学力向上を図るため、来年度から市立小中学校30校で「土曜補習」をモデル実施することを明らかにした。最終的に対象を市内全254校に拡大させる計画で、全児童・生徒に参加を呼びかける。学校単位の土曜学習は全国各地で取り組みが始まっているが、教育委員会が本格的に導入を推進するのは全国初という。
 市教委の高桑三男教育長がこの日の市議会本会議で明らかにした。
 市教委によると、実施する土曜学習は、学習指導要領に規定された授業ではない「補習」の位置付けで、教員を配置するのが困難なため、地域住民や保護者、PTAなどがボランティアとして指導する。全校児童・生徒の参加を求める。
 市教委は教育現場から、「週末に勉強しない子供が増えている」との報告を受けており、学習機会を増やすことが必要と判断。今後、モデル校30校を決め、学校の実情に即した形で土曜学習の頻度や時間数を決めていく予定という。
 土曜学習をめぐっては、昨年6月に政府の教育再生会議の第2次報告で、「教育委員会や学校の裁量で、必要に応じ土曜日にも授業を行えるようにする」と提言されている。



 授業時数や授業日数には、地方公共団体ごと、かなりの開きがある。私の知る限りでは、
年間の授業日数には190日〜215日ほどの開きがある。最小と最大の差は25日。学校は5日制だから、5週間の差があるということである。時数に直すと150時間。文科省にはその資料があって、どこの都府県が最大でどこが最小かよく分かっているはずだ。

 しかし文科省を当てにせず、全国展開をしているマスメディアは、その能力を利用して全国の教委に取材をすればいい。それだけで、授業時間の差はすぐに知れる。

 そこに昨年の全国学力・学習実態調査の結果を重ね合わせ、授業時数と学力との相関を取ってみる。
時数が多ければ多いほど学力が高いといった相関があれば、時数は学力向上の決め手だから何が何でも果たすべきである。しかし相関がないとしたら、アホな時数増加策はとらないほうがいい。

・・・と、
非常に簡単なこうした検証。しかし誰も絶対の行わないという凄まじい執念は、どこから来るのだろう?







 



2008.03.16

中1女子、校内自殺
部活めぐりトラブルか


産経新聞 3月16日]


秋田県潟上市の市立天王南中学校(一関雅裕校長、生徒389人)の校内トイレで、1年女子生徒(13)が首をつって死亡していたことが15日、分かった。トイレにあったスケッチブックに遺書のような走り書きがあり、五城目署は自殺とみて調べている。

 調べによると、14日午後6時20分ごろ、男性教員が校舎2階の女子トイレで、首をつっている女子生徒を見つけ、119番した。

 潟上市教育委員会によると、女子生徒は13日午後11時半ごろ、部活動の入退部をめぐり、同じ学年で友人の女子生徒に、傷つける内容の携帯メールを送信していた。

 メールを受け取った友人の保護者が文面が不適切だとして14日朝、学校に相談。男性担任教諭が1時間目の授業中、別室で女子生徒を指導したうえ、両親を学校に呼ぶことなどを話したという。

 女子生徒は反省した様子だったが、両親が中学校を訪れた午後6時ごろには、すでに姿が見えなくなっていた。

 同校の一関校長は「いじめもなく、指導も通常の範囲であり、自殺との因果関係はないと考えている」と話した。




 ここに学校の困難がある。
 指導しても地獄、しなくても地獄なのだ。
 
指導が甘ければいじめの被害者が死ぬ、指導が厳しければ加害者が死ぬ。
 そして、指導が厳しいかどうかは、その子の経験や心のあり方、精神の強さによって異なるのだ。

 この子にとって、親に知られるということは死に匹敵する苦しさだった。しかしそのことに教師は気づかない。気づけない。
 なぜなら、それは普通の中学生には考えられないことだからだ。

 さて、私たちはこれからどうやっていけばいいのか。






 



2008.03.19

友達から避けられる娘


読売新聞 3月17日]


【質問】茨城県、会社員女性 42
 小学6年生の娘が友達グループに避けられるようになり、昨年秋からは学校を休むようになりました。グループの中でリーダー的存在だったのですが、学校に行っても保健室にいたり、泣いてしまったりでした。他のグループには入れず、休み時間などひとりぼっちになってしまうようです。クラスの子が悪口を言っているような気がすると、とても怖がっていました。 月1回、最寄りの中学校に来るカウンセラーを訪ねています。最近は登校していますが、すごく疲れるようです。4月からは友達も一緒の中学校に行きます。中学でもクラス編成で考慮してもらえそうですが、不安です。


【回答】 NPO法人教育ネットワーク・ニコラ理事長 馬場 章
 「助けを求めて打ち震える小さな魂がここにある」
 文面からそんなことを感じました。今一番必要なことは、お子さんの存在を無条件に丸ごと受け止め、支えてあげることですね。
 そこで、まず伴走者としての親御さんがなすべきことは、子供の声なき声にじっくりと耳を傾け、その子の支えや励みとなり、自信を回復する手助けをすることです。小6の子が一人で耐えるにはあまりにも重過ぎる出来事です。

 では、お子さんはなぜここまで苦しむのでしょう。そこに現代の子供たちの問題が色濃く表れているのを感じます。一言で要約すれば、それは「学校に行けない自分がいるから」です。半分は自分の思いから、半分は外部、たとえば担任やカウンセラー、あるいは親御さん等からの有形無形のプレッシャーによるもの。いずれにせよ「駄目な自分」がそこにいて、無理を強いれば自己卑下が高じ、若き命を散らしかねない現実がそこにあります。
 
 確かに、他人の無責任な言動に疑心暗鬼になり、自分の心を傷つけ、自分を見失うのは愚かなことです。それに普通は自分が思い悩むほど他人は自分のことを気に掛けていないものです。でも、そうと理屈では分かっていても、気持ちをコントロールするのはとても難しいものです。

 今、学校ではグループに起因する同様のトラブルがどこでも起きています。何かのきっかけで異質と見られた子供はグループだけでなく、学校そのものに居場所を失い、不登校になるしかなくなります。

 では、学校とはそこまでして行かなければならないところでしょうか。周知のように義務教育とは親の義務であり、子供はどこで学んでもいいのです。つまり、必ずしも学校に行かなければならないことはないのです。学校を離れた子供たちが自分を生かす場としてフリースクール等に通っている現実もあります。

 お子さんは4月から中学生ですね。この際、このまま中学校に進むのも選択肢の中の一つと考え、もっと自由な広い視野から進路等の問題をよく検討されてはどうでしょうか。これは過去の自分を脱し、新たな自分をつくる好機です。想(おも)いは人を導くと言います。得心の行く道を自信をもってお進みください。



なんという無責任。
周知のように義務教育とは親の義務であり、子供はどこで学んでもいいのです。
たしかにどこで学んでもいいが、
親に義務違反をさせていいはずもないだろう。さらに、法律上は子どもに「学ぶ義務」もないから、まったく勉強しなくてもいいことになる。法律を盾に取るとそうなるが、本当にそれでもいいのか。
つまり、必ずしも学校に行かなければならないことはないのです。

さらに法律で話をするなら、少なくとも義務教育終了の段階でその子たちにも「勤労の義務」や「納税の義務」は発生するはずだが、
そのとき馬場章は「周知の通り、キミたちには『勤労の義務』も『納税の義務』もありますから、社会に出て、稼ぎ、税金を払いましょう」と言って終わりにするのだろうか? 
そんなことが可能とでも思っているのだろうか? 
この人の底の浅さには驚くべきものがある。


今、学校ではグループに起因する同様のトラブルがどこでも起きています。何かのきっかけで異質と見られた子供はグループだけでなく、学校そのものに居場所を失い、不登校になるしかなくなります。

異質なものは不登校になるしかないのか?


さて、では質問者の問いかけに、本当はどう答えるべきだろうか?


 
小学6年生の娘が友達グループに避けられるようになり、昨年秋からは学校を休むようになりました。グループの中でリーダー的存在だったのですが、学校に行っても保健室にいたり、泣いてしまったりでした。他のグループには入れず、休み時間などひとりぼっちになってしまうようです。


 こういう情景は大昔からあったものです
 女の子の小グループはそもそもが排他的ですから、そこから外されればおいそれと他のグループに入れてもらうわけにはいきません。特にお嬢さんの場合は、かつてのグループのリーダーですから、自分が排除していた相手に仲間に入れてもらおうというのは、あまりにもムシの良い話です。

 ただし、だからと言って生きる道がないわけではありません。
 昔のこどもには今と違って、「不登校」だとか「いじめられたと訴えて親に学校へ行ってもらう」といった選択肢はありませんから、しかたなく学級の片隅にいました。休み時間などは、いつも一人ぼっちです。
 それでもそんなふうにじっと我慢していると、学級の人間関係は常に流動的なので、いつしか他のグループに取り込まれるとか、元のグループと仲直りするとか、あるいはいくつかのグループから弾き出されてきた子たちと吹き溜まりに溜まるように集まって新たなグループをつくるとか、そんなやりかたで新しい落ち着き場所を見つけられたのです。

 現代は少し違った事情があります。
 無視や仲間外しは代表的な「いじめ」だからと、すぐにいじめられたと訴えるお子さんがいます。「学校に行きたくない」と言えば、「学校に行きたくないほど深刻ないじめを受けている」と親は思ってくれますから、「教室の片隅にいる」などという苦しいことはしないで済むのです。

 さらに「いじめは、被害者が『いじめ』だと感じればいじめである」という定義もありますから、うっかりすると深刻ないじめ事件ということになって大騒ぎになり、結局、学校自体に入れなくなってしまったりします。
 いじめは訴えた方が100%正しく、訴えられた方は100%悪い、といった考え方もありますので、訴えられた方も素直になれません。
 問題が単なる「仲間はずれ」から「いじめ問題」へと発展してしまうと、絶対に元に戻れないのです。
 
 あなたはもお嬢さんも、このようないじめ事件の道を選択してはいませんよね。
 それはとても賢明なことです。 
 
 NPO法人教育ネットワーク・ニコラ理事長 馬場 章 さんの言う
 まず伴走者としての親御さんがなすべきことは、子供の声なき声にじっくりと耳を傾け、その子の支えや励みとなり、自信を回復する手助けをすることです。
 これには私も賛成できます。

 そしてその上で、こんなふうに言ってやるのが正しいと思うのです。
 「これは神様が与えてくださった試練なのだ。がんばろう。
  あなたががんばっている限り、神様は必ず助けてくれる。
  世の中にはさまざまな人間関係の結び方があるのです。
  引きこもってはいけない。
  まるで転校生のような気持ちになって一ヶ月我慢してごらん。きっとすべてはうまくいく。
  それは私が保証します。それでダメなら、そのときはまた、一緒に考えよう」


 もちろん、その間、担任の先生にも事情を説明して、本格的ないじめに発展しないか注意深く見ていてもらいましょう。ただしその場合も、問題が深刻化する以前に手を入れないようお願いしておく必要があります。子ども同士の人間関係回復の力は、いまでもかなり信頼できるものなのですから。
 







 



2008.03.23

PTA:東京・杉並の和田中が廃止
「地域本部」が支援、公立学校で初


毎日新聞 3月23日]


 進学塾講師による有料受験対策「夜スペシャル」を実施している東京都杉並区立和田中(藤原和博校長)が来年度、PTAを廃止することが分かった。保護者は、地域住民らボランティアで構成している「地域本部」に参加し、「地域全体で生徒を支える仕組みにしたい」(藤原校長)という。公立学校のPTA廃止は全国でも例がなく、新たな論議が起きそうだ。【三木幸治】

 ◇「前例踏襲」敬遠され、「多様な人材確保を」
 同中は、リクルート出身の藤原校長が就任した03年に地域本部を設置した。会社を退職した地域住民や主婦、大学生らが学校の支援活動をしている。これまでに、▽放課後に図書室を利用できるようにする自主管理制度▽土曜日に生徒が教室で自習する「土曜寺子屋(ドテラ)」のサポート▽週3〜4回、塾講師が有料で受験対策をする「夜スペシャル」の運営−−などを手がけている。
 一方、PTAは、保護者を中心に、▽登下校する生徒の安全確保のための見守り▽運動会など行事の手伝い▽保護者の問題意識向上のための研修−−などを実施してきた。PTA活動に参加する保護者が減っているため、その啓発に苦労しているという。
 藤原校長は「能力があり、学校支援への意欲を持っている保護者はいるが、前例踏襲型の『PTA』を敬遠する人は多い。地域本部に統合することで、多様な人材を受け入れたい」と話す。PTAの活動で必要なものは地域本部で行う。また、PTA活動は無償だが、地域本部は交通費など謝礼を出すことも検討しているという。
 同中は5月にもPTA総会に諮り、廃止を正式決定する。全国の公立小中学校が加盟している日本PTA全国協議会(赤田英博会長)からも脱退する。
 文部科学省は来年度から4年をかけ、和田中をモデルに広がっている地域本部を全国の中学校に作る方針で、PTA廃止が他校に影響を与える可能性がある。同省社会教育課は「地域本部と保護者が互いに連携を取り、学校支援活動が活発になればいいのではないか」と話している。
 一方、同協議会の赤田会長は「PTAは保護者の教育という大きな役割があり、一方、地域本部は教員ではカバーできない面を補う別の役割がある。PTA廃止が全国に広がるとは思えない」と話している。

 ◇やっと新しい試み−−ノンフィクション作家・吉永みち子さんの話
 現在のPTAは形骸(けいがい)化している。本来、学校を支援したり、親と教師をつなぐものだが、教育現場の荒廃や役員選出の難航ぶりから、機能していないことが分かる。PTA活動を見直し、新しい形を模索する試みがやっと生まれた印象だ。消えた「地域」を取り戻すきっかけになる可能性もある。



和田中の藤原校長とPTA広報部長の主催するWebサイトから、今回のPTA廃止に関する文書(「慣性の法則から抜けられないPTAのみなさんへ、和田中より愛を込めて」)を見ると、こうある。

全国のPTAのみなさんが泣いて喜ぶ大改革。

これはある意味、正しい。
PTAが廃止され、保護者に何の負担もなく学校教育が受けられるとなれば、全国の保護者は泣いて喜ぶに違いない。

PTA活動は保護者にとっても教職員にとっても負担なのだ。

夜の会合、
学校の保全のためのPTA作業(除草作業、側溝の泥上げ、校地内の道の整備、子どもにはさせられない高い場所の窓拭きなど)
予算不足を補うためのバザーや資源回収
学級PTAや講演会による保護者の啓発活動

こういったものをすべて廃止できるとなれば、こんな楽なことはない。教育活動というものは、もう保護者がすべきものではないのだ。
PTAの廃止は歓呼の声をもって迎えられるだろう。
私たちにしても、日曜日や夜間、無償で働くことはなくなり、その分、本来の教育活動に当たることができる。
 
そんなすばらしいことが、なぜ今までできなかったのか。
和田中にできて他の学校にできないのはなぜか。
 
その理由のひとつは、明らかに学校の予算不足である。現在のところその意味で資源回収やバザー、PTA作業は絶対必要なものであり、この部分が解消しなければPTA活動の廃止もありえない。
 
ところが藤原校長の宣言を見ると、国はPTAの廃止の後押しをし「地域本部」を設置するため、1800箇所に50億円を出すという。一校につきおよそ280万円である。
確かに、これだけあれば資源回収もバザーもいらない。保護者の力を借りずとも、保護者の啓発活動もできようというものである。
 
全国34000箇所の小中学校、一校につき280万円ずつ配当。その総額およそ950億円である。
 
私は吉永みち子の言うようにPTAが形骸化したり、教育現場が荒廃したりしているとは思わない。むしろ、PTAの廃止が教育現場を荒廃させる。
 
保護者のOB・OGと地域ボランティアでつくるという任意団体「地域本部」。藤原のような強烈な個性をもつ校長なしで、維持存続できるものだろうか? そもそも普通の校長にメンバーを集められるものだろうか?
 
そして、
国は毎年一千億円近い税金を投入して、保護者に楽をさせる気が本当にあるのだろうか?
 
 






 



2008.03.24

校長「力足りなかった」 授業妨害問題の中学校で修了式 
在校生に陳謝 田川郡


西日本新聞 3月24日]


 授業妨害などを繰り返し、生徒2人が逮捕された福岡県田川郡内の町立中学校で24日、修了式があり、一連の問題について校長が「力が足りなかった」と、1、2年生約130人を前に陳謝した。校長は「本当に申しわけありませんでした。先生たちも十分に反省している」と頭を下げた。

 また、昨年の卒業生が呼びかけ、地域住民ら約140人が実施した22日の清掃奉仕活動について報告。「地域の人も応援してくれているので、皆さんも4月からは責任ある行動をとってほしい」と呼びかけた。

 同校では昨年10月ごろから一部の生徒が窓ガラスを壊すなど授業妨害を続け、ストレスから前校長らが休職。14日の卒業式直後に、生徒2人が田川署に暴力行為法違反容疑で逮捕された。



何という屈辱!!

保護者や住民に対して謝るのならまだしも、校長が学校を荒らした張本人とその取り巻きを含む生徒に対して、謝罪するのだ。
本当に申しわけありませんでした。先生たちも十分に反省している
しかし当該の生徒は十分に反省しているのか?
その保護者たちは反省しているのか?

力が足りなかったのは事実としても、では、彼らを止める「力」というものを、現今の教師が持てるものなのか?

私は体罰に賛成するものではない。しかし、
20年前の教員なら、子どもを上回る暴力で彼らを抑えることができた。
正座をさせる、廊下に立たせる、便所掃除をさせる、居残り清掃をさせるなど、教室内にさまざまな懲罰があり、そうしたものの積み重ねで、こんなふざけたガキが誕生する前に止めることができた。
少なくともその取り巻きだけは押さえきり、普通の子として卒業させることができたのだ。

 しかし今は違う。
 教師は「言葉」という頼りないものを唯一の武器として、子どもに立ち向かわなくてはならない。
 そしてこのとき、頼みにしたい保護者はしばしば無力だったり、あるいは子とともに銃口を教師に向ける。

 それでもなお、教師は荒れ狂う子どもを押さえきり、十分な学力をつけ、真っ当な人間に育て上げ卒業させなければならないのか。それが可能なのか?
 教師の言葉の力というのは、本来、それほど凄まじいものだったのか?

 さて、
 学校を破壊し、したい放題をした上で、悪かったのは教師たちだと校長が謝ってくれるなら、荒れた子どもたちはさぞかし痛快なことだろう。

 教師たちは割り切れない。
 良い子たちは教師を見限る。
 そして悪い子たちは、
 自分たちのしてきたことに自信をもって世に出て行く。
 社会を破壊し、他人を弄び、時に他人の命を奪って刑務所に収監されるまで、彼らの洋々とした前途は続くのだ。



参考

<傍若無人>生徒8人がつば、放尿、喫煙… 福岡の中学校
3月13日2時36分配信?毎日新聞

 福岡県田川郡内の公立中学校で、一部生徒による“授業妨害”が続き、校長と教頭が心労で体調を崩し休職や自宅療養する事態となった。管理職不在を避けるため、校長は今月1日に後任が着任した。生徒たちは2月末まで約1年間、校内の一室に“隔離”されていたが、現在は指導が事実上及ばない状態にあり、教育委員会は「混乱のおそれがある」として卒業式の14日、県警に警備の要請を検討している。 

 教委によると、これらの生徒は2、3年生の計8人。廊下の窓や校長室のロッカーを壊すなどの器物損壊や教師への威嚇行為を繰り返した。また、校内を徘徊(はいかい)しては訪れた保護者につばを吐きかけたり、2階渡り廊下から放尿したこともあったという。

 学校側は生徒たちを美術準備室に個別断続的に“隔離”したが、生徒はテレビゲームや電熱器、ラジカセなどを自宅から持ち込み、喫煙や飲食するなど事実上のたまり場となったため、2月末に準備室は閉鎖された。現在も生徒たちは登校しているという。

 この間、教頭は昨年末に約1カ月間休養し、2月下旬から現在まで自宅療養中。校長も2月上旬から病欠し、今月1日から休職した。ともに心労で体調を崩したという。

 所管する自治体の教育長は生徒たちの行動について「原因は分からない」と話す。教育長によると、学校側は生徒らの親に話し合いを求め、生徒が一度は学校や親の注意を聞いても、仲間で群れると再び荒れ出したりするといい、結果的には改善できなかったという。

 校長の病欠を受けて、教委は事故防止のため職員6人を連日学校に派遣。一部保護者も週1回、校内のたばこの吸い殻などを拾う活動を始めた。しかし、実態に憤る保護者は少なくなく、2月末の緊急保護者会では「生徒らを出席停止にしてほしい」との要望も出た。また、4月に入学する新1年生数人は、親類宅などから通う形で隣接自治体の中学校への進学を決めているという。

 1年生の保護者という40代の主婦は「校内は吸い殻が散乱しているし、荒れているのは事実。子供が巻き込まれないか心配でたまらない」と話した。

 教育長は「信頼される公立学校という責務を全うできず、深く反省している。正常化に向けて地域の協力もあおぎ、生徒の生活指導を徹底して、全力で立て直したい」と話している。【林田雅浩】








 



2008.03.26

<緊急報告・荒れる学校>【その3】
「大人はびびらないで」


毎日新聞 3月24日]



 ◇放置された「隔離」の場 

 体育館の床には自転車のタイヤや土足の跡が残り、トイレは汚物まみれだった。一部生徒による授業妨害が続いた福岡県田川郡内の中学校。今年1月、学校を訪れたある保護者は、あまりの乱雑さに言葉を失った。「昨日は先生が7人休んだ、今日は6人休んだという状況で、まさに『学校崩壊』だった」。PTA役員は振り返る。

 保護者たちは1月から交代で週1回、学校の清掃作業を始めた。教委も職員を派遣したが、それが裏目に出た面もあったという。「職員や私たちが彼らを注意すると『監視しよるんか』『関係ねえやつが来んな』と。2階からつばを吐かれ、放尿もされた」と保護者の一人は話す。

 授業妨害をしていた生徒8人のたまり場だった美術準備室。当初は、手の空いた教師が指導していたが、次第に手が付けられなくなった。問題のある生徒を「隔離」したことについて、あるPTA役員は学校側から「そこにいれば他の生徒の邪魔にならないから」との説明を受けている。

 「隔離」は、その先に起きる出来事を見据えたうえでの決断だったのか。近隣中学の教師は「(あの人数に)付き添いの教師がいないまま一部屋を使わせるやり方は全く理解できない」と指摘する。指導の場はなし崩し的に「隔離」の場となり、暴走の温床になっていった。

 学校は今年1月、生徒の一人が校長室の机を壊したとして警察に被害届を出していた。だが、間もなく「学校で指導したい」と取り下げている。また、あるPTA役員は教委に改善を訴えたが、らちがあかず、2月半ばに町幹部に直訴した。幹部は「視察したい」と応じたが、教委が「少し待ってほしい」と止めたという。

 取り返しがつかなくなるまで問題を抱え込んだ学校、適切なサポートをしなかった教委。そして、そこにつけ込んだ生徒たち。教諭の一人は「日ごろから厳しく接していればよかった。歯車がずれた」と力なく語る。

 子どもたちは大人を見ている。問題行動を繰り返した生徒とは別のある生徒は「先生が教室に入ってくる時、すごくビクビクしているのが、おれらから見ても分かってイヤだった」と話す。

 今春卒業したその生徒には、4月から中学生になる弟がいる。「同じことがあったらどう思う?」。記者が聞くと、少し考えて言葉が返ってきた。

 「やっぱ今度はきちんと解決してほしいと思います。きちんと学校の中で、大人がびびらずにやってほしい。おれはそう思います」



 時々新聞の記事に出てくる「発言者」と言うものが信じられなくなる。
 例えば、
近隣中学の教師は「(あの人数に)付き添いの教師がいないまま一部屋を使わせるやり方は全く理解できない」と指摘する。
 これが本当に教員だったら、なんとも想像力の欠けた発言というしかないだろう。

 ごく常識的に考えても、学校に付き添いのできる教師がいると考える方が不思議だ。福岡県の状況はよく知らないが、
普通の都府県の学校では、すべての教師が1日1〜2時間の空き時間のほかは授業のために教室に行っている。丸一日空いている教員などひとりもいない。

 その1〜2時間の「空き」だってコーヒーを飲んでゆっくりしているわけではない。
わずか50分の空き時間に40人もの日記を読んで返事を書き、英語や数学の教師は120冊に及ぶ提出ノートに目を通しサインをし、記録に残す。緊急性や忙しさの点で言えば「空き時間」こそ大変なのである。

その時間を犠牲にして
当初は、手の空いた教師が指導していた
などということを始めても長続きするはずがない。どの教師も、自分のクラスを守ることに精一杯なのだ。


 さらに
「先生が教室に入ってくる時、すごくビクビクしているのが、おれらから見ても分かってイヤだった」
 私たちが恐れるのはその子どもたちではない。その子たちが暴れることによって授業が成立しないこと、そしてその暴力を阻止する何の方法も、私たちには残っていないということなのだ。願わくば何とか静かにしていて欲しい。邪魔さえされなければ、他の子の学力は何とか保障することができる、それが私たちの本音なのだ。

「やっぱ今度はきちんと解決してほしいと思います。きちんと学校の中で、大人がびびらずにやってほしい。おれはそう思います」

けっこうだ記者諸君。
この子(ホントに実在するのか?)の発言を取り上げたあなたに聞こう。

大人がびびらずに、なにをやってほしいのだ?

殴り倒して欲しいのか、相手が聞いていなくても怒鳴り声を上げて欲しいのか?
蛍雪に突き出して欲しいのか?


―きちんと解決して欲しい? どうやって?



ところで、26日、毎日新聞の林田記者は、問題のあれる少年の写真を撮ったはずだが、そのとき、この子たちにどうやって対応したのだろう?
その顛末を聞いてみたいものだ。

まさか、びびって写真を撮ってきただけなのではないだろうな?


参考:【その1】消えた校長と教頭----無法地帯へ「自壊」
参考:【その2】誰が指示?「出席停止」実現せず