実はここオーランドが私と友人Mとお別れの場であった。これから私は別の友人(K)と
南米のペルーで待ち合わせをしており、友人Mは日本に帰ることになっていたのだ。
オーランド空港で涙涙のお別れをし、友人Mはそのままオーランドで一泊し、私は再び、
マイアミヘ飛んだ。マイアミ空港で飛行機を乗り換えて、私はペルーの首都リマに向か
った。何事もなく、リマの空港に着くことはできた。しかし、そこで待っていたのはこれまで
にもない大トラブルだったのである。空港に着いたとたん早朝にもかかわらず、空港内
はざわついており、大騒動状態だった。何が起こったのだろうか、誰か偉い人でも来る
のだろうか、とのんきに考えていると、検査が終わった瞬間空港の職員らしき人が私に
「あなたはどこにいくの?」と聞いてきた。「これからクスコに行きます」と答えると、「どこの
航空会社?」と職員。「アエロ・ペルー」と私。するとその職員はこう答えたのである、「アエ
ロ・ペルーはさっき倒産したよ。」ガーン!たいへんなことになっていたのである。目の前
が真っ白になり、パニック状態になりかけた。どんなトラブルにも耐えてきた私であった
が、今回ばかりは完全にお手上げになりそうであった。しかしここでくじけても仕方がな
いと思い直し、なにかしら対策を考えることにした。スペイン語が話せない私はとりあえ
ず英語が話せる旅行会社の人を探し出し、必死で自分の力をふりしぼって今の状況を
うったえた。飛行機会社が倒産したこと、どうしてもクスコに行きたいこと、そして友人に
会いたいこと、、、結局、その旅行会社の人(最初はこの人物を信じていいものかと疑っ
ていたが、最後にはいい人だったことが判明した)に協力してもらって、別飛行機会社の
チケットのキャンセル待ちをすることになった。しかし、多くの客がこのキャンセル待ちを
していることもあって、いつクスコ行きのチケットが手に入るかは分からない。そこで私 は首都のリマに一人でチケットがとれるまで待機することになった。私はこのことをクス
コで待っている友人に伝えようと、友人が泊まっている予定の宿に電話をしてみた。スペ
イン語が話せない私は必死で、「Kという日本人は泊まってないか」、と聞いてみた。する
と返ってきた答えはこうであった、「Kはもういない。Kはマチュピチュ(有名な遺跡の一
つ)にいったよ。」再びガーン!である。Kに裏切られた。勝手にマチュピチュに行ったな
んて、、、、もしかしたらまだ他の宿に泊っているかもしれない、と思い、クスコにある宿
にいくつか電話をしてみたが、どこにもKという日本人は泊っていないということだった。
私はその時になってようやく自分がおかれている状況を目の当りにし、頭の中で「こんな
地球の日本の裏側で何をやっているのだろう」などと考えていたのである。それから私
は一人で飛行機のチケットがとれるまでリマで過ごした。その間に少しずつ、ここでくじけ
るわけにはいかない、ここでがんばって、一人でボリビアまでいってやる!という気持ち
が起こり、やる気が満ちてきたものであった。
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