福井晴敏 08


Op.ローズダスト


2006/05/21

 『Twelve Y.O.』、『亡国のイージス』と続く福井晴敏の「日本に絶望」路線に対して、僕の見方が好意的ではないことを最初にお断りしておく。

 その瞬間、男は言った。「ショータイム」と。そう、これはショーだ。エンターテイメントだ。それ以上でもそれ以下でもない。あの9.11まで、テロリストはハリウッド製アクション映画のお手軽な敵役であり続けた。本作とて発想の根本に大差はない。

 この国の現状に、閉塞感を感じていない国民は皆無だろう。だがしかし、この分厚い上下巻に、日本の戦後60年を、未来を問うなどという意図があるとしたら、それは傲慢と言うしかない。そんなことはエンターテイメントの本分ではない。新書にでもまとめて出すがいい。「お台場で派手にドンパチやってみたかった」とでも言われた方が、いっそ潔い。

 乗れない上に長いのは辛い。日本がいかに語るべき言葉を持たないかを、「古い言葉」を弄して繰り返す上巻。こんな苦痛を読者に強いる作品は、絶対に叩いてやる。そう思いながら、半ば自棄になって下巻に取りかかった。

 ご都合主義にご都合主義を塗り重ねて、国家の命運が三人の男に委ねられる舞台が整った。ショータイム。ローズダストを生んだこの国の状況も、孤軍奮闘する男たちに横槍が入るのも、結局はお膳立てに過ぎない。この期に及んで国体の維持などとは片腹痛い。どれだけ能書きを垂れようと、本作はどうしようもなくエンターテイメントなのだから。

 ようやく乗ってきたのは下巻も半分を過ぎてから。「ハムの脂身」と蔑まれる中年男が、ローズダストと深い因縁があるダイスの若き戦士が、地獄絵図と化した臨海副都心を這いずり回る様に、どうして手に汗を握るんだ。叩いてやるんじゃなかったのか。その挙句がこんな甘い結末なら世話はない。それなのに…。ああ、腹が立ってしかたない。

 ブラックボックス化された強力兵器を小道具に用いるのは、毎度のことだから目を瞑ろう。しかし、いかんせん体感的に長すぎた。何より、行き着くところまで行ってしまった。作者が心配すべきは日本の未来ではなく、このシリーズの未来だ。

 超大作であることだけは認めるが、無邪気に絶賛してしまっては、それこそ「語るべき言葉を持たない日本人」との謗りは免れないのではないか。これが年末ランキングの上位に入るかどうかで、日本人の資質が問われている、と言っては暴論だろうか。

 福井晴敏自身は、この超大作で「新しい言葉」を提示できたのか?



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