東野圭吾 56


容疑者Xの献身


2005/08/28

 理学部の中でも、数学科は特異な学科と言える。物理学や化学と違い、数学には実験がない。理論がすべての世界。教育実習で我が母校に来ていた先生が、こう言っていたのを思い出す。数学科を出ると数学の教師になるしかない、と。

 帝都大学理学部数学科出身の石神は、類い稀な頭脳を有しながら現在は高校の教師に甘んじていた。興味があるのは数学のみ。帰宅後は数学の難問に没頭する日常。そんな彼が、思いを寄せる女性のために完全犯罪を目論む。そこに現れたのは、石神の同期である物理学科の助教授、湯川学。天才が構築した理論を湯川は崩せるのか。

 『探偵ガリレオ』『予知夢』に登場した「ガリレオ先生」こと湯川が長編に登場である。とっつきにくいという声も聞かれるこのシリーズだが、別に数式が出てきたりはしない。リーマン予想やP≠NP問題を知っている必要はない。敬遠していた人にこそ読んでほしい。

 やはり湯川の同期である刑事の草薙は、今回も湯川に助言を求めようとする。だが、湯川の様子がおかしい。独自に動いて調査しているようだが、詳細を語ろうとはしない。その背景には、ライバルと認めた石神への思い、そしてあまりにも悲しい真相があった。

 本作は精緻なミステリーであり、湯川と石神の友情の物語であり、そして不器用な石神の恋愛の物語である。決して叶わぬ恋、というのはネタとして珍しくはないだろう。だが、ここまで凄まじい純愛はどうだ。今どき愛に殉じた男なんてと、あなたは笑えるか。

 読み始める前は、どれだけ巧妙な偽装が施されるのかと期待に胸を膨らませていた。しかし、いざ読んでみると、むしろ行き当たりばったりな印象を受ける。ところが、そこが盲点だった。詳しくは書かない。少なくとも、僕が読んだミステリーの中では前代未聞の真相。なんて馬鹿げたことを…。愛ゆえの、天才ゆえの悲しい発想。

 「心を読ませない」石神の恋を、草薙と湯川はそれぞれのきっかけで知る。捜査の過程で知った草薙に対し、ふとしたことから見抜いた湯川。僕自身理系の出身者だからよくわかる。僕らの代になると垢抜けた連中も多かったが、だからこそよくわかる。

 石神が研究者として大学に残れていたら、フィールズ賞でも受賞していたかもしれない。同時に、生涯恋をすることもなかっただろう。どちらが幸せなんだろうか。



東野圭吾著作リストに戻る