石持浅海 02 | ||
月の扉 |
最初に読んだ石持作品『扉は閉ざされたまま』は、趣向もさることながら動機が興味深い作品だった。『セリヌンティウスの舟』は、突っ込みどころの多さはともかく全編が絶対的信頼感に貫かれていた。本作は、絶対的信頼感故の動機が大きなポイントだ。
各国の要人を迎える国際会議を控え、厳重な警戒下にあった那覇空港で、ハイジャック事件が発生した。乳幼児を人質に取った三人の犯行グループの要求はただ一つ。那覇警察署に留置されている彼らの「師匠」石嶺孝志を、空港滑走路まで「連れてくる」こと。
犯行グループが「師匠」と崇める石嶺は、不登校児を対象にしたキャンプを主催していた。参加した児童は、見違えるように元気になるという。心酔する者も数多いが、当の本人は野心の欠片もない。それ故に、公安当局はそのカリスマ性を恐れていた。その凄さを文章で伝えるのは困難な人物だが、とりあえず認めないことには成り立たない。
現実にこんな簡単にハイジャックに成功するかという疑問はさて置き、彼らが手荒い手段に訴えたのには必然性がある。弁護士を通すなど穏便な手段もあったはずなのに。これ以上詳しく書かないでおくが、その必然性を支えているのは石嶺への畏怖と信頼。
そんな中、機内のトイレで乗客の死体が発見される。要求を通すことを最優先する彼らは、乗客の一人に真相解明を命じる。ハイジャック犯が乗客を探偵役に指名するという趣向は面白いが、それ以上に注目されるのが特命探偵(?)の推理である。
偶然指名したにしては大した頭脳の持ち主だが、彼のロジックは「師匠」石嶺のカリスマ性を前提として組み立てられる。どうして石嶺がこれほどの尊敬を集めるのか、ピンと来ない読者がほとんどだろうと思う。実際、探偵役の彼にもピンと来ないのだから。
絶対的な信頼感故に矛盾をはらんだ結末。石嶺という人物の描写に下手にページを割いていたら、本作の前提であるカリスマ性の嘘臭さを、到底許容できなかっただろう。敢えて詳しくは触れないことで、際どいバランスながら前提が崩れていない。これからも、ストライクゾーンぎりぎりの勝負に期待したい。このジャンルの未来のために。