石持浅海 14


耳をふさいで夜を走る


2008/06/29

 本格の最もありがちなパターンと言える「連続殺人」だが、石持浅海さんが描くのは意外な印象を受ける。前作『賢者の贈り物』にはかなり批判的だっただけに。

 本作は、「人を殺そうを思う」という一文で始まっている通り、犯人による独白形式になっている。しかし、『扉は閉ざされたまま』のような倒叙型とは違う。『賢者の贈り物』とは違う意味で本格とは言い難い、サスペンスタッチの異色作だ。

 語り部かつ殺人者の男、並木直俊は一晩のうちに三人の女性を殺害することを決意する。並木が狙う三人、岸田麻理江、楠木幸、谷田部仁美には共通点があった。冤罪によって父親が逮捕され、嫌疑が晴れたのは亡くなった後だった。世間は「容疑者」と報道されれば「犯人」とみなす。素朴な市民による正義という暴力に晒された三人。

 並木は、冤罪被害者支援団体のメンバーとして三人をケアしてきた。その並木が、なぜ三人の命を狙うのか? ここでは「覚醒」というキーワードを挙げるに留めておくが、読めば読むほど身勝手な理屈である。それ以外に手がなかったとは思えない。

 並木が「任務」を遂行しながら猛烈に頭を回転させ、いかに騒がれず、証拠を残さずに三人を殺害するかを自問自答する点が、唯一石持作品らしさを感じさせる。同時に並木は自身の行為を正当化しようとする。しかし、いざ実行の段になると迷う。

 終盤、並木はある一言に愕然とさせられる。そのシーンに本作のテーマが凝縮されているように思う。並木の理屈は、秋葉原無差別殺傷事件の犯人と何ら変わらない。本格というジャンルは、殺人という行為をあまりにもあっさりと描きがちである。帯に掲載されたインタビューにある通り、単なる知的ゲームとは一線を画す意図が感じられる。

 結末については正直見え見えである。これほどまでに完璧な後始末ができるのか疑問が残るが、「覚醒」すれば可能なのか。終章の刑事の会話に出てくるある記述が、最近起きた凶悪事件と一致していることに、戦慄を禁じ得ない。



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