伊藤計劃×円城 塔


屍者の帝国


2012/09/12

 これほどまでに読み進めるのに難儀した作品はいつ以来か。僕にはこの作品の価値がおそらく理解できていないことを、予めお断りしておきたい。

 本作は、伊藤計劃さんが遺稿として残した冒頭部分を、盟友の円城塔さんが引き継いで書かれている。完成までに3年と4ヵ月を要した。一応伊藤計劃ファンのつもりである僕は、本作を読むべきかどうか正直迷った。手に取った時点でもまだ迷っていた。

 死者を「屍者」として働かせる、フランケンシュタイン技術が一般化した世界。これだけでも荒唐無稽だが、驚いたことに時代設定は19世紀。日本も含め、歴史上知られた戦争に「屍者」が兵力して投入されたことになっているのだ。ところが、「屍者」の暴走が各地で相次いだ。大英帝国は、秘密諜報員としてワトソンを派遣する。

 このワトソンとは、後にシャーロック・ホームズと出会うあのワトソンである。このように遊び心を感じる面もあるものの、全体的には難解だ。哲学的な作品世界こそ『虐殺器官』や『ハーモニー』に通じるものの、両作品のようなスピード感には欠ける。舞台がロンドンからアフガニスタン、日本、米国、そして再びロンドンと大きく動くにも関わらず。

 19世紀には存在しなかったはずの技術用語が飛び交う一方、禅問答のような議論が繰り返される。生命論、倫理論、文学論…。自らの文系の知識不足を痛感しつつ、騙し騙し読み進めると、物語の謎は1点にたどり着く。「屍者」の本質とは何なのか? それは同時に、人間の、生者の本質とは何か? という問いでもある。

 伊藤計劃は我々に何を伝えようとしていたのだろう。この結末は、そもそもの構想とはかけ離れているかもしれないが、確かめる術はない。あとがきによると、円城さんは「伊藤計劃風」を無理に目指そうとはしなかった。むしろ円城色を押し出した。その結果、よくぞ出してくれたという気持ちと、出すべきでなかったという気持ちが半々だろうか。

 円城塔さんは、第104回文學界新人賞、第32回野間文芸新人賞、第146回芥川賞と純文学系の文学賞を多く受賞している。いかにもエンターテイメント的な派手さを、円城流の衒学趣味(ペダンティズム)で包んだ、類を見ないSF大作…と思えばいいのかな。

 我々は、伊藤計劃に一生追いつけない。失礼ながら、円城塔さんも。



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