北村 薫 32


鷺と雪


2009/04/30
2009/05/06改訂

 『街の灯』『波璃の天』と続いた昭和初期ミステリーの完結編。昭和初期の世情と謎をうまく絡めたこのシリーズだが、今回は謎の要素は薄く、世情を描くことに重点を置いている印象を受ける。一見、好景気に活気づいた世の中。その背景では…。

 最初の「不在の父」からどきりとさせられる。当時は現在の格差社会など比較にならない階級社会。現在では差別用語とされる「ルンペン」という言葉が頻発し、英子たち上流階級の人間も誰はばかることなく口にする。当時はそれが普通だったから。そんな時代に、ある男の選んだ道とは。最後に出てきた悪趣味な詩に、ぞくりとする。

 好奇心もほどほどに…「獅子と地下鉄」。「不在の父」でも言えることだが、名家の令嬢が生きる世界とは決して交わらない世界があることに、英子は無自覚すぎる。ベッキーさんの後ろ盾をいいことに、軽率な行動をする英子に引っかかった。謎そのものは軽いが、チャーミング。すがりたい気持ちはわからなくもないか?

 シリーズ最後の作品、表題作「鷺と雪」。先の2編も伏線であったことに気づかされる。全編を通じて鳴り響く、ブッポウソウの声。能の演者が、直面(ひためん)で演じるべきところで面を被る。何やら暗示的なエピソードの数々が、読者の不安を煽る。

 一方で、一週間もの修学旅行に出かける英子たち。最も安いカメラでも庶民には当然買えないのだ。他愛のない謎。あくまで時代の空気に鈍感な令嬢の世界。それだけに、英子にとっては運命のいたずらとしか言いようがない結末に衝撃を受ける。

 聡明なベッキーさんには想像できたのだろう。この先、日本がどこに進むのか。英子は事実を知った後、打ちひしがれただろうか。それでも、この歴史上の一大事件は、まだまだ混迷の入口にすぎないことを、英子は知るまい。

 いわば上流階級の「日常の謎」系ミステリーであるこのシリーズは、厳然たる現実を読者に突き付け、幕を閉じる。北村薫という作家の、リアリストな一面がここにある。



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