京極夏彦 23 | ||
前巷説百物語 |
京極堂シリーズと並ぶもう一つの妖怪小説の最新刊である。「さきのこうせつひゃくものがたり」と読む。時代はシリーズ第一作『巷説百物語』よりもさかのぼる。前作『後巷説百物語』でネタ切れかと思いきや、今回は御行の又市のルーツに迫る。
『巷説百物語』以降、一貫して一味のリーダー格だった又市にも、駆け出しの時代があった。前作までのレギュラーは又市しか登場しない。お馴染みの決め台詞「御行奉為――」は、今回はなしか…と思ったらラストでやっと出てきたか。
最も注目される点は、前作まではほとんど描かれなかった又市の内面を描いていることだろう。本作では、又市は損料商いのゑんま屋に雇われた身。手に職を持つ同僚(?)たちのように、口先だけの又市は割り切れない。青臭いのはわかっている。
損料屋の仕事は復讐ではないという。しかし、依頼者が溜飲を下げるという面は否定できない。死者を出さずに丸め込めないものか。皮肉なことに、ゑんま屋に持ち込まれる難題は、犠牲を払うことを余儀なくし、また意図しない犠牲を招く。もっとも、『巷説百物語』以降でも、又市たちの作戦による犠牲者はゼロではないのだが…。
最後の二編「山地乳(やまちち)」と「旧鼠(きゅうそ)」で、又市たちは無力さを思い知らされる。魔物と呼ぶしかない黒幕。累々と築かれる死体の山。その恐るべきやり口は、日本で、世界で今まさに発生している事件そのものではないか。ここに描かれた江戸は、現代社会の縮図ではないか。娯楽小説として読み流すには重すぎる。
最初の「寝肥(ねぶとり)」こそ細工のくだらなさに苦笑するが、全体的には又市の心中同様に煮え切らない。とりあえず事は収めたはずなのに、どうもすっきりしない。だが、それは又市が人間らしく逡巡しているからに他ならない。又市の青臭さこそ本作の最大の意外性である。時系列順では本作が最初だが、是非刊行順に読みたい。
あの台詞に込められたのは、死んでいった者たちへの悔恨の思いか。この結末では、どう考えてもシリーズは続行ですよね、京極先生?