宮部みゆき 08 | ||
返事はいらない |
数ある宮部さんの短編作品の中から、印象に残った作品第一位を選ぶとすると、僕は迷わず『我らが隣人の犯罪』に収録の「サボテンの花」を挙げる。では第二位を選ぶとすると…本作に収録の「ドルシネアにようこそ」しかない。
営団地下鉄日比谷線の六本木駅は、その頭上に広がる街の鬼っ子である…の一文で始まるこの作品。なるほど、僕は六本木で下車したことは一度もないが、その華やかなイメージとは裏腹の駅構内の雰囲気は、車内からもよくわかる。主人公の篠原伸治は、毎週金曜日の午後七時にこの駅に降り立つ。彼は駅近くの速記事務所でアルバイトをしていた。
伸治と同様、六本木は僕には縁のない街だし、有名クラブ「ドルシネア」ではお呼びでない存在だろう。しかし、本作は語りかける。この街の華やかさは空虚さと表裏一体であること。誰もが伸治であり、外面を取り繕っているか否か、ただそれだけの違いであること。本質を冷徹に見抜く目線と温かい目線が融合した、宮部さんならではの傑作短編だ。
表題作「返事はいらない」もいい。銀行のオンラインシステムを狙うという、宮部さんとしては珍しい作品だが、そのリアリティは真保裕一さんの『奪取』にも匹敵する。しかし、その裏にはある女性のささやか復讐心が込められていた。優れたリアリティの中にも心理描写のうまさが光る。
『我らが隣人の犯罪』における「サボテンの花」と同様、どうしても「ドルシネアにようこそ」以外の5編の印象が薄くなってしまう。他の作品も悪くないんだけど。しかし、断言しよう。「ドルシネアにようこそ」一編のためだけでも本作を買う価値は十分にある。
まったくの余談だが、ある日夜の山手線内で、英語圏ではない外国人の方に「六本木に停車するか?」と聞かれたことがある。拙い英語で「恵比寿で日比谷線に乗り換えてください」と答えておいたが、あの後彼らは無事にたどり着けたのだろうか…。