宮部みゆき 31 | ||
ぼんくら |
『クロスファイア』以来、実に一年半振りとなる待望の新作にして、時代物長編である。インターバルの長さをファンに詫びたわけではないだろうが、とにかく厚い。何はともあれ、久しぶりの宮部節、たっぷりと堪能させていただいた。
本作の舞台となるのは、江戸は深川北町に位置する、鉄瓶長屋。ある事件をきっかけに、差配人(さはいにん)の久兵衛が長屋を出奔してしまう。代わりに送り込まれてきたのは、若輩の佐吉。佐吉の心を砕いての懸命の努力にも関わらず、店子(たなこ)たちは次々と長屋を離れていく。その背後に潜む陰謀とは一体何か?
事件そのものは、正直に言って平凡という気がしないでもない。しかし、個性的で味のあるキャラクターたちの魅力が、それを補って余りある。中でも、中心となって事件を追う同心、井筒平四郎の人物像は極めて魅力的だ。
「奉行所きっての怠け者同心」などと帯には書かれているが、なかなかどうして正義感が強く、優しい心根の持ち主だ。店子が次々と離れていくことを気に病む佐吉への配慮を怠らず、我がことのように怒りすら覚える。鼻毛を抜くという動作さえも、どこか憎めない。回向院(えこういん)の茂七親分のように絵に描いたような同心とは、また違った魅力がある。
また、本作の作風がこれまでの宮部さんの時代物作品とは一線を画することも、大いに注目される。本作における宮部さんの人物描写は、かつてないほど軽妙で、まるで名人の落語を聞いているかのように思える。この人物描写が、キャラクターの魅力を大いに際立たせ、読者の肩をほぐしてくれる。時代物作品は敬遠していた方も、是非読んでほしい。
ちなみに、平四郎の補佐役として、回向院の茂七親分の手下(てか)である政五郎が登場するが、茂七親分本人はほぼ引退同然という設定になっており、『初ものがたり』からはだいぶ下った時代設定のようである。茂七親分の再登場はいつになるのか。