貫井徳郎 18


追憶のかけら


2004/07/26

 直接的暴力という形の悪意を描いた北村薫さんの『盤上の敵』。一方、名誉を貶める悪意を描いた東野圭吾さんの傑作『悪意』。言い切るのは少々乱暴ではあるが、対照的な悪意を描いた「悪意ミステリー」の双璧だと思っている。

 そして新たな「悪意ミステリー」が誕生した。早くも届けられた貫井徳郎さんの新刊『追憶のかけら』は、悪意に翻弄される男の物語である。

 主人公は最愛の妻を事故で亡くした大学講師。ただでさえ失意の底にある彼に、追い討ちをかけるような何者かの悪意。さぞかし重い内容だろうと思いきや、実際にはすいすい読み進められた。その理由は、失意の主人公の人物像に依るところが大きい。

 主人公は一言で言えば簡単に信じやすいお人よし。周りの目を気にしてどこかおどおどしている。だからこそ物語が二転三転する。そんな彼を情けないなどと断じるつもりはない。むしろ僕は強いシンパシーを感じる。自分の経験上、疑うことは信じることよりずっと難しいからである。自分自身、周りの目を気にして生きているからである。

 戦後間もなく自殺した作家の手記、という形で作中作が挿入されているのが効果的だ。自殺した作家を追い詰めた過去の悪意と、主人公を追い詰める現在の悪意。密接に絡み合った二つの悪意と、彼は戦わねばならない。彼を動かすのは、ただ一つの望み。

 悪意の主の動機に呆れると同時に、嬉々として語る様子に薄ら寒さを覚える。読んでいる方も真綿で首を締めるようにじわじわと追い込まれていくのだから、主人公の味わった苦痛は察するに余りある。手間と金を惜しまなかっただけの効果はあっただろう。だが、彼を取り巻く人間たちは悪意の主のように愚かではなかった。

 世の中は悪意に満ちている。だけど、決して捨てたものではない。本作を最後まで読み通せば、心からそう思えるだろう。悪意の主こそが真の敗者なのだ。



貫井徳郎著作リストに戻る