貫井徳郎 29


微笑む人


2012/08/23

 大変感想を書きにくい作品である。一切の先入観なく読みたいという方は、念のため以下の文章には目を通さないことをお勧めする。

 日々報道される凶悪事件には、動機が極めて不可解なものが少なくない。というより、合理的にすべてを説明できる事件は皆無ではないか。結局は「心の闇」という常套句で片付けられ、やがて新たな事件の前に忘れ去られていく。

 ところが、ミステリーというフィクションの世界では、読者が一応納得できる謎の解明が求められる。ミステリーとはご都合主義な読み物だ。もちろん、読者は百も承知。

 本作は、ある不可解な事件についての取材記録という体裁を持つ。いわば、ノンフィクションを装ったフィクションである。こうした手法には、宮部みゆきさんの『理由』など先例があり、貫井徳郎さんご自身の『愚行録』も似た構成を持つ。目新しくはない。

 妻子を殺害したとして逮捕された男が語った動機は、耳を疑うものだった。作家である「私」は、この仁藤という人物に強い興味を抱き、取材することにした。職場や学生時代、近所での評判。生い立ち。徹底的に嗅ぎ回るが、今回の事件に結びつく決定的な証言は得られない。一見穏やかに微笑む仁藤の仮面は、あまりにも強固だった。

 そもそもフィクションの作家である「私」が、どうしてこれほどまでにのめり込むのか。徐々に「私」の一人相撲が目立ってくる。結局、「私」は結論ありきで、思い込みで動いているのではないか。中盤のある人物の証言に、大きく影響されたのか。確かに、偶然と考えるのは難しいかもしれないが、一方で必然を立証する根拠もない。

 ついに核心に迫ったかと思いきや…。この結末を、どう受け取るべきか。「ぼくのミステリーの最高到達点です」という帯の一文は、誤解を招く危険性が高い。僕自身、読み終えてもやもやしているのだから。だが、これは狙った「もやもや」なのだろう。

 他人の心を理解しようとすること自体、傲慢とも言える。ある意味、ミステリー作家が自己矛盾をさらけ出した本作は、問題作には違いない。そして諸刃の剣でもある。



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