荻原 浩 12


さよならバースディ


2005/08/08

 荻原浩さんが過去に発表したシリアス路線のミステリーは、『』、『コールドゲーム』の2作のみ。これらの作品は、感情移入するような話ではなかった。待望の新刊は久しぶりのシリアス・ミステリー。今回はたっぷりと感情を揺さぶられることだろう。

 東京霊長類研究センターに勤務する若き研究者、田中真。彼の恋人でもある研究スタッフの藤本由紀が死んだ。一体なぜ? 目撃者は会話をするサル、バースディだけ。

 唯一の目撃者がサルという設定が、決して奇をてらったものではないことをまず言っておきたい。類い稀な言語能力を示すバースディは、人間と同じ、あるいは人間以上に重要な役割を担っているのだ。すべての人間にメッセージを送る役割を。

 生まれたときから真や由紀たちスタッフに育てられたバースディ。それは故郷の自然を知らないということでもある。いくら愛情を注いでも、実験動物という生き方を強いている事実。学問という建前と人間のエゴ。研究者は常に矛盾と向き合っている。

 大学という組織の裏側が徐々に明らかになっていくが、哀しいかなさほど誇張しているようには感じない。研究の現場から離れた教授に要求されるのは政治力。政治力のない教授は、自身の研究室に予算を確保できない。学生はそういう点にシビアで、力のある教授の下に行きたがる。これは自分の経験上言えることだ。

 それに対し、真があまりにも純粋でお人よしという見方もあるだろう。しかし、研究を支えるのはそういう人材なのである。これも自分が大学や会社で見てきたことだが、こつこつと研究に没頭するタイプは概して純粋だ。そして世間知らずと揶揄されがちである。

 出世するタイプではない真を、プレゼンが得意な人は鼻で笑うに違いない。だからこそバースディは真を信用した。プレゼンがうまければいいのか。不器用な僕は、不器用で僕より誠実な真のこれからを応援したい。うますぎるプレゼンを僕は信用できない。

 率直に言うと、僕はサルの言語能力の研究には懐疑的だ。それでも信じたい。真や由紀と、バースディは人間以上の絆で結ばれていたと。会話がコミュニケーションのすべてか。言葉がなくても温もりは伝わる。人間は言葉が使えても、気持ちを伝えるのは下手なんだ。



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