Overseas Ellery Queen

アメリカ銃の謎

The American Gun Mystery

2007/02/15

 クイーン氏は、父親である警視とともどもに、腕を組んで捜査に当たると主張している事件で、一見、その協力に冷淡であるかのごとき態度を示し、読者からしばしば非難されている。―(中略)―関心を持たるる読者には、『ギリシア棺の謎』を想起されるように指摘するだけでたりる。―(以下略)

 何とも言い訳じみたことが、わざわざ脚注に書かれている。そう、エラリーは「一点の疑問の余地なく絶対に正しいという確信を持つまでは、その推理を、決して口外しない」のだ。ここまでシリーズを読み進めれば、もはや百も承知である。だがしかしだ。

 エラリーさん、一体何の権限があって、こんなとんでもない重要情報を直ちに開示しなかったのだ? 正規の捜査員なら首が飛ぶぞ。第二の殺人が起きた後、エラリーは「待て。あの男の死は、お前の責任ではない。待て」と自らに言い聞かせる。そりゃ直接の責任はないだろうが、さっさと開示していればいくらでも手の打ちようがあったのではないか?

 ニューヨークの大スポーツ殿堂に二万の観衆を集め、四十人の騎手を従えて颯爽と登場したロデオのスター。ところが直後に男は射殺され、馬蹄に無残に踏みつけられた。気の遠くなる数の容疑者と銃をいくら調べても、凶器も真犯人も見つからない…。

 いわゆる衆人環視下での殺人である。凶器の銃はどこに消えた? 真犯人は誰か? 僕は前作『エジプト十字架の謎』の感想に、論理性が薄れているように感じる、と書いた。本作は一転して論理に力が入っている。確かに書いてありましたよ、読み返したら。

 疑問がなくもないが、謎解きについてはよい。一方で、論理性を重視するあまり、先に挙げたような無理が色々と見受けられる。読者への挑戦というスタイルを成立させるためとはいえ…。本格というジャンルが抱えるジレンマを、端的に感じさせる作品と言える。

 個人的に、本格である以前に小説であると思っている。小説としての本作の評価は低くせざるを得ない。本格というジャンルを考える上では優れた参考書かもしれない。



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