小学校何年生くらいのときだったかしら、とうちゃんが「いいとこつれてってやる」って横須賀中央へいったですよ。当時はまだ京急の久里浜駅はベニヤ板で京浜久里浜って名前だったですな。
それはいいとして、ジャンボ横須賀(今豪華なマンションみたいな建物になっちゃったとこに立ってた西友ストアは当時そういう名前だった)を素通りして、金星劇場とかはかすりもぜず、なんか金網に英語が書いてある前も素通りして、海の方へいったら、地面に灰色の船・・・大砲がついてる・・・が埋まってるのが見えました。ひらがなで「さかみ」って金文字がついててそう読んだら、「三笠だよ!」って言われて、でもにわかに思い当たらずぽかんとしてたら、戦艦だよ!って言われて、戦艦三笠残ってたっていう事実に大衝撃を受けたのでした。。
当時は坂の上の雲で文春からいっぱい絵や写真の入ったムックが出てたのが家にあって、それで三笠とかは名前で知っていたけれど、現物が残ってたってのは子供心にものすごく嬉しい衝撃だったことでした。そうして、なんでプラモデルがでてないんだろうって残念に思ったことを覚えています。売店(当時左舷中央にあった記憶)には巨大なペーパークラフトを売ってましたけれど。
旧軍のものなら近所の久里浜駐屯地に37ミリの速射砲とか旧軍の通信機とか飾ってあったんだけど、残念なことに当時は興味なかったんだよ・・・
戦艦三笠といえば日露戦争の勝利の代名詞的な船であります。ロシア海軍と戦争するためにイギリスに作らせた戦艦群の一隻で、海軍では五流のロシア相手にするには十分な性能と、充分以上バランスの良い船であったわけであります。でも詳しく知らんのでハセガワの説明書通りに作りましてん。
今日の1/350艦船模型ブームから起こった艦船模型の大隆盛は、このキットの先祖の1/350のやつが巻き起こしたのでしたな。
フルハルモデルが出たので買いました。
キットは日本海海戦時と、不運な、かなり不運な提督のウイトゲフトをふっ飛ばした黄海海戦時で作れるように指示があります。今回は日本海海戦時で作りました。エッチングと挽物砲身がついてきたけど、お風呂に浮かべて遊ぶんでトップヘビー要因になるから使用せず。
黄海海戦時と比べると、マストのスパーや大砲、デッキ上の大砲の防盾が省かれてたりするんで、トップヘビー気味だったのかな?
空中線のたぐいは全部パス!ぬるいモデラーです!
塗装は、当時はもっと白黒で派手なのかなと思ってたのですが、意外なことに太平洋戦争中途変わらないグレーが基本の地味なものなのですね。
正面から見ると、菊の御紋がスピード感のある流線型でちょっと面白い
フルハルならではの、スクリュー・プロペラ鑑賞。この時代はクローバーみたいな形ですな。
艦尾の偉い人用の張り出しは、帆船時代を引きずっててロマンチック。
舷側の大砲は全部可動にしました。動かすと表情が付いて楽しい。
ボート甲板の各種の多彩なボート群は、船の規模に比べて多すぎな感じ。動力船が3つもいます。単体でもかっこいい。
驚くことは、下の甲板は英国由来のチーク材だということですが、ボート甲板の床はすでにリノリウムが使われていたそうで、違う塗料使って塗ってみたんだけど写真だといまいち差が出てませんな。
当時のチークは横須賀の三笠にも一部残っていて、鮮やかなオレンジっぽい色でしたが、再現できませんでした。リノリウムはもっとぼんやりした灰茶色かな?
船体はタミヤのジャーマングレイで塗った。
ひっくり返して船底を鑑賞できるのもフルハルモデルの醍醐味。
三笠は戦争終わったら事故で爆沈、引き上げられたあとも座礁事故とか起こしたおかげで早めにぼろぼろになって太平洋戦争前に記念艦になってしまいましたが、おかげで太平洋戦争に引っ張り出されて沈められたりとかなく生き残れたわけで、すごく運のいい船だと思います。
これからもずっと保存されますように。