比の写真用品   第一話   現像

比です。 
写真に興味があるのか、カメラに興味があるのか、自分でもよくわからなくなっているのですが、「今月のカメラ」の姉妹編として、「写真用品のおはなし」をやってみます。
ネットサーフィンする時間もないので、詳しくはないのですが、カメラやレンズについてのサイトは多いようですが、あまり写真用品についてのサイトは見かけませんね。


まず、フィルム、と、いきたかったのですが、資料を整理していないのと、友人のYくんのコレクションも、巻き込んでやろうと考えていますので、フィルムについては、しばしおまちを。(誰も待ってくれないかも)

ということで、一回目のお題は「現像」
カメラは、小学校3年生のときに、自分のものを所有できました。特に、裕福な家でもなかったのですが、お向かいの、おばあちゃんにもらっただけです。高級カメラじゃありません。どちらかと言うと、おもちゃの部類です。現物はどこかにあるはずなので、現在探して、「今月のカメラ」の題材にしようとしています。
それから飛んで、本格的なカメラを持てたのは、高校入学祝いをかき集めて、一眼レフを手に入れてからです。ああこれも、「今月のカメラ」の題材予定で、詳しくは、そのうちです。それで、カメラは手に入れたものの、写真を撮るには、フィルムが必要でした。これが当たり前の話と、笑えない。高い財布買ったら、入れるお金が無くなったと同じで、フィルム買う、お小遣いも少ない。当時は、富士フィルムのネオパンSS、SSSで、36EXPが、安いところで、150円でした。300円持っていって、2本買うということのくりかえしでした。現像料はいくらだったか覚えていません。遅からず、自分でやれば安いのか?と考えました。そこが原点ですね。


モノクロが、まだまだ幅をきかせていた時代ですからフィルム現像も簡単です。
雑誌やら、高校の図書館の本を見て、現像タンクがあれば、現像は簡単そうだという結論となりました
新しく買ったのは、キングの現像タンクでした、現在は、初代のベルトの残骸と、2代目のベルトの箱が残っています。現像タンクそのものは、頑丈でびくともしない構造ですから、3年くらい使い込んだものを誰かに譲ったはずです。液温計は、手持ちであった30センチくらいのものをとりあえず使いました。ポリタンクは買わずに、インスタントコーヒーに使う粉ミルクの茶色いビンを使いました。現像液、停止液、定着液と3本です。はじめに使ったのは、富士フィルムの「ミクロファイン」でした、ひとふくろで、10本くらい現像したと記憶しています。定着は「フジフイックス」でした。昭和50年ころの話です。

ダークバッグが無かったので、真夏でも押し入れの中で、毛布をかぶって、キングの現像タンクのベルト式に巻き込みました。
このダークバッグは大学時代に購入したもので、高校時代までは、押し入れだけに頼っていました。
写真では、大きく感じるダークバックですが、実際カメラを入れたり、現像タンクを入れてフィルムを扱うと、このくらいのサイズがないと、作業できませんね。









大学に入ると周りの皆様や、先輩の悪の誘いもあり、試してみました。現像タンクの2代目は、パターソンのユニバーサルタンクにしました。同級生のすすめがあって、「キコキコと回しているだけで、フィルムが勝手に巻き込まれて行くよ」、「35ミリも、120フィルムも使えるよ」というのが殺し文句でした。現在は、箱だけが残っています。3代目を買うときに、同級生のTくんに譲りました。正直に言うと、厄介払いをしました。「巻き込んでくれる」は正解ですが、「勝手にに」は、怪しい。35ミリの場合、36EXPでは、最後のほうで、うまく動かさないと、フィルムが進んでくれない。
そうそう、パターソンの原理を知らない人がいるはずなので、説明すると、中枠が両溝式になっているのですが、中枠の、溝の部分が、少し回転するのです。両手に手に持って、交互に枠をキコキコと、「少し回転させては、戻し」を繰り返すと、フィルムが中に送り込まれて行く仕掛けになっています。それから、枠と枠の間が伸び縮みするので、フィルム幅を変更できますから、ひとつの枠で、35ミリも120フィルムもできるのです。当時、120フィルムにも手を染めていた比は、便利とばかりに買ったのですが、120フィルムを巻き込むのは、簡単ではありませんでした。幅が広く、幅の割に、薄いので、下手に力を入れると、くしゃっと、フィルムにしわが入り、圧力カブリになります。もちろん220フィルムは現像したことがありません。



3代目の現像タンクは、LPLのステンレスタンクです。これは、ものも、現在残っています。20年近く使っていないので、中は錆が出ていました。中枠は、35ミリ用が2つと、120用がひとつあります。これのメリットは、現像液が少なくて済むことでした。現像液がなぜ少ないとメリットがあるのかは、当時の比の現像法にあります。








現像液は、高校時代にはじめた時から大学に入ったばかりの頃までは、富士フィルムの「ミクロファイン」を使っていました。600ml用で、缶入りから袋に替わりましたが、百数十円だったと思います。たまに、増感して遊ぶときは、同じく富士フィルムの「パンドール」を使いました。パンドールは、20年ほど前のものが3袋と、10袋用の箱が残っています。残骸というべきですね。同世代の方は、KODAKのTRY-Xに、パンドールで増感して、ざらざらのコントラストの高い写真を大量に作った方が多いのではないでしょうか。
大学に入ると、希釈現像というものを知りました。メインは、コダックの「Microdol-X」になります。Microdol-Xは、1ガロン用がひと袋、残骸として残っています。Microdol-Xの指定の濃度のものを作っておいて、直前に4倍に希釈します。希釈した分、少し温度を上げてやります。乳剤が剥離しないように、あまり高温にはできません。高校当時から、大学時代は、すべて現像条件は残しましたから、それで適性値を決めていました。希釈現像は、現像液を使い捨てます。そのため、現像液の使用量が少ないほど経済的です。ですから、小型で現像液の使用量の少ない、ステンレスタンクが最適だったのです。
このときのフィルムは、皆様はKODAKのTri-Xでしたが、比だけ、Plus-Xだったので、Tri-Xの方は、100フィートを共同購入できたのに、比だけは一人で100フィート買ったので、なかなか使い切れませんでした。
比の世代の少し後は、プロマイクロールの希釈現像も、流行したようですが、比は試していません。試しにやろうとしたD−76は、1ガロンの缶入りだけ、残骸で残してあります。写真は、Microdol-Xの1ガロン用袋です。比較に印画紙現像のDektolの1ガロン用の袋も載せましたが、親切に?「FILM」と「PAPER」と色まで変えて書いてあります。
スーパー富士フィックスは、流行で買いました。ここらへんは、昭和50年代中ごろの話です。



話は、LPLのステンレスタンクにもどりますが、ステンレスタンクは、攪拌も、ガチャガチャ振って、泡取りで、とんとんと、置いて、それが楽でした。キングのくりくり回すのは、面白く無くなっていました。それから、温度調整も楽で、希釈現像するために、希釈時に、一気に調整できまして、そして、調整用のバットに水か、お湯を張れば簡単でした。ということで、最終的な、比の現像システムの中に完全に組み込まれていたのですね。
残念ながら、そのあと、カラーに興味を示しましたので、モノクロ現像の一式は、ダンボールの中の残骸となってしまいました。
いつかは再開という気持ちも当時はあったのですが、もはや残骸ですね。薬品はすてるとして、タンクやポリタンクは、まだ使えるようです。


フィルム現像の話ばかりじゃなくて、引き伸ばしとか、印画紙現像はどうしたって? そのうちの話題にしますよ。
カラー現像はしませんでした。はじめに興味を引かれたカラーフィルムはコダクローム25とコダクローム64でしたので、個人が絶対に現像できないものでしたから。当時は、アジア地区で、横浜の現像所しかできないといわれていましたが、いまもそうなのかなあ。

高校時代に始めてリバーサルを使ったのが富士フィルムだった。クラブでのスライド映写の目的もあったので、マウントにしています。この時代の仕様はこれひとつしか残っていません。
高校時代は、エクタクロームとコダクロームに興味はしめしていませんね。金銭的な余裕の問題と思います。高校時代は、カラーの撮影は、ネガとリバーサル含めて、一桁だったと思います。



富士フィルムはこのあと、マウントが紙からプラスチックに変わりました。比はこのプラスチックマウントが気に入っていて、フィルムと現像料が安く済むということもあり、フィルムの好みとは別に、結構富士フィルムを使っています。マウントは、ルーペのついたプラスチックケースに入ってきますが、後に、長巻きで頼むと、このプラスチックケースがつかなくなりました。原価低減?






コニカは、小西六でした、ブランドはサクラカラーでした。試しに使ったものが残っています。長巻きで現像を頼んでいますので、マウントのみ残っていました。高校のクラブにあったスライドはこのピンクのマウントが多かったのを覚えています。桜色のシャレでしょうか。









コダクロームにしたのは、大学時代に某カメラメーカーのカメラマンの方といろいろお話するチャンスがあって、その時にコダクロームの特性とか教えていただいて、そして、コダクロームを数本いただいたのがきっかけです。はじめは、コダクローム25だったのですが、その後、コダクローム64にしています。紙マウントの状態のコダクロームとエクタクロームは少ないのですが、実は、長巻きを指定しわすれて、「やられたっ!」結果です。当時は、デート機構のあるカメラは少なかったのですが、東洋現像所(当時の名称です)はマウントに年と月を入れていますので、これが1978年の現像であることがわかりました。

コダクロームには思い出も多いので、「フィルムの巻」で、そのうちいろいろ書きます。誰かの歌じゃないけれど、ほんとに「ぼくのコダクローム」だったのです。




東洋現像所(当時の名称)に、近くの写真屋さんから、長巻き指定で現像に出すと、この袋に入って、フィルムケースに、紙といっしょにまかれて、現像があがってきました。のちに添付されてきた紙マウントはついてこなくなりました。実は、今回当時のものを写真に撮っていて、この袋は、写真やさんから引き取ってきて、まったく開封していないことに気がつきました。開けてみたのですが、当時よく撮っていた、野草の写真で、被写体としては特に珍しいものが無かったので、仕上がりを気にしていなかったのでしょうね。一種のタイムカプセルでした。
それから、エクタクロームは1970年代、米沢から現像に出すと、仙台で現像されていたのですが、大学当時ちょうど、仙台地震の時に現像に出したら、仙台で現像できなかったので、札幌で現像したそうです。横浜で現像しないところが面白い。特に仕上がりは、仙台と違いは見つけられませんでした。あたりまえですが。

マウントはあまり使わなかったのですが、1970年代と1980年代は、リバーサルからダイレクトプリントに出すときは、マウントに入れることが必須だったので、マウントも別途購入しています。キングからも紙マウントが出ていましたが、当時の比は何の目的で、この紙マウントを買ったのか覚えていません。富士フィルムと東洋現像所の紙マウントは、たくさん余っていたので買う必要はまったく無かったはずですが。しかも、未開封です。スウェーデンのGEPEマウントはアンチニュートン仕上げの両面ガラスのため、フィルムの保護には完璧と思い購入して、ダイレクトプリントの時に入れて出したのですが、「マウントの厚さが厚すぎる」ということで、紙マウントに入れ替えられてしまいました。がっかり。GEPEマウントは、スライド映写機で有名なキャビン工業が輸入していました。


1980年代の東洋現像所(当時の名称)の120フィルムは、このような状態で現像があがってきました。筒に入っているのは、夜景を撮ったもので、境目がわからないので、長巻きのまま、筒に入ってきます。透明な袋にも東洋現像所の印刷をいれて、「ブランド」強調していました。











富士フィルムの120は、形状は東洋現像所(当時の名称)のものと似ていますが、紙マウントのおまけがついてきました。使い道がないので、ビニール袋未開封で残っています。写真は645ですが、66のものもあったはずですが、見当たりませんでした。











現在は、富士フィルム、KODAKともに、長巻き指定の現像は受け付けていないようで、1980年代にはなかった、6コマのスリーブで受け付けています。以前の120用のような紙に入っていますが、KODAKは、現像所の名前を一切入れていません。米沢から現像に出すと、仲介業者の袋に入ってくるので、どこからも現像所の所在は特定できません。現像所がブランドだった時代は去ったのでしょうか。おじさんには、さびしい限りです。



思うに、当時の比は、写真の仕上がりもさることながら、実は、モノクロに関してはプロセスを楽しんでいたところがありました。そのうち、印画紙の昔話などしたいと思います。今は、モノクロにもどる気持ちはないので、昔話だけにとどめておきます。

カラーも10年間ほどブランクがありました。こどもが生まれたので、こどもの記録写真をネガカラーで撮っていたので、知識も何もいらない写真でした。比のカメラは記録を残すカメラじゃなかったので、デート機能がなかったので、「いつ撮ったかわからない」とよくおこられました。
そのブランクで、カメラも知識も過去のものとなってしまったていたのですが、最近カメラのいたずらを始めたので、現役復帰しつつあります。こんどは、おじさんの趣味ということでやってきます。
今コダクロームの現像を、米沢でたのむと、10日以上かかります。デジタルカメラにはない、仕上がりを待つ楽しみを味わっています。でも、やっぱり、早く仕上がるほうがいいよね。







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