比の写真用品 | 第一話 | 現像 |
比です。 写真に興味があるのか、カメラに興味があるのか、自分でもよくわからなくなっているのですが、「今月のカメラ」の姉妹編として、「写真用品のおはなし」をやってみます。 ネットサーフィンする時間もないので、詳しくはないのですが、カメラやレンズについてのサイトは多いようですが、あまり写真用品についてのサイトは見かけませんね。 |
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まず、フィルム、と、いきたかったのですが、資料を整理していないのと、友人のYくんのコレクションも、巻き込んでやろうと考えていますので、フィルムについては、しばしおまちを。(誰も待ってくれないかも) |
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ということで、一回目のお題は「現像」 |
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モノクロが、まだまだ幅をきかせていた時代ですからフィルム現像も簡単です。![]() 新しく買ったのは、キングの現像タンクでした、現在は、初代のベルトの残骸と、2代目のベルトの箱が残っています。現像タンクそのものは、頑丈でびくともしない構造ですから、3年くらい使い込んだものを誰かに譲ったはずです。液温計は、手持ちであった30センチくらいのものをとりあえず使いました。ポリタンクは買わずに、インスタントコーヒーに使う粉ミルクの茶色いビンを使いました。現像液、停止液、定着液と3本です。はじめに使ったのは、富士フィルムの「ミクロファイン」でした、ひとふくろで、10本くらい現像したと記憶しています。定着は「フジフイックス」でした。昭和50年ころの話です。 |
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ダークバッグが無かったので、真夏でも押し入れの中で、毛布をかぶって、キングの現像タンクのベルト式に巻き込みました。![]() このダークバッグは大学時代に購入したもので、高校時代までは、押し入れだけに頼っていました。 写真では、大きく感じるダークバックですが、実際カメラを入れたり、現像タンクを入れてフィルムを扱うと、このくらいのサイズがないと、作業できませんね。 |
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大学に入ると周りの皆様や、先輩の悪の誘いもあり、試してみました。現像タンクの2代目は、パターソンの![]() そうそう、パターソンの原理を知らない人がいるはずなので、説明すると、中枠が両溝式になっているのですが、中枠の、溝の部分が、少し回転するのです。両手に手に持って、交互に枠をキコキコと、「少し回転させては、戻し」を繰り返すと、フィルムが中に送り込まれて行く仕掛けになっています。それから、枠と枠の間が伸び縮みするので、フィルム幅を変更できますから、ひとつの枠で、35ミリも120フィルムもできるのです。当時、120フィルムにも手を染めていた比は、便利とばかりに買ったのですが、120フィルムを巻き込むのは、簡単ではありませんでした。幅が広く、幅の割に、薄いので、下手に力を入れると、くしゃっと、フィルムにしわが入り、圧力カブリになります。もちろん220フィルムは現像したことがありません。 |
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3代目の現像タンクは、LPLのステンレスタンクです。これは、ものも、現在残っています。20年近く使っていないので、中![]() |
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現像液は、高校時代にはじめた時から大学に入ったばかりの頃までは、富士フィルムの「ミクロファイン」を使っていました。600ml用で、缶入りから袋に替わりましたが、百数十円だったと思います。たまに、増感して遊ぶときは、同じく富士フィルム![]() 大学に入ると、希釈現像というものを知りました。メインは、コダックの「Microdol-X」になります。Microdol-Xは、1ガロン用がひと袋、残骸として残っています。Microdol-Xの指定の濃度のものを作っておいて、直前に4倍に希釈します。希釈した分、少し温度を上げてやります。乳剤が剥離しないように、あまり高温にはできません。高校当時から、大学時代は、すべて現像条件は残しましたから、それで適性値を決めていました。希釈現像は、現像液を使い捨てます。そのため、現像液の使用量が少ないほど経済的です。ですから、小型で現像液の使用量の少ない、ステンレスタンクが最適だったのです。 このときのフィルムは、皆様はKODAKのTri-Xでしたが、比だけ、Plus-Xだったので、Tri-Xの方は、100フィートを共同購入できたのに、比だけは一人で100フィート買ったので、なかなか使い切れませんでした。 比の世代の少し後は、プロマイクロールの希釈現像も、流行したようですが、比は試していません。試しにやろうとしたD−76は、1ガロンの缶入りだけ、残骸で残してあります。写真は、Microdol-Xの1ガロン用袋です。比較に印画紙現像のDektolの1ガロン用の袋も載せましたが、親切に?「FILM」と「PAPER」と色まで変えて書いてあります。 スーパー富士フィックスは、流行で買いました。ここらへんは、昭和50年代中ごろの話です。 ![]() ![]() ![]() ![]() |
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話は、LPLのステンレスタンクにもどりますが、ステンレスタンクは、攪拌も、ガチャガチャ振って、泡取りで、とんとんと、置いて、それが楽でした。キングのくりくり回すのは、面白く無くなっていました。それから、温度調整も楽で、希釈現像するために、希釈時に、一気に調整できまして、そして、調整用のバットに水か、お湯を張れば簡単でした。ということで、最終的な、比の現像システムの中に完全に組み込まれていたのですね。 残念ながら、そのあと、カラーに興味を示しましたので、モノクロ現像の一式は、ダンボールの中の残骸となってしまいました。 いつかは再開という気持ちも当時はあったのですが、もはや残骸ですね。薬品はすてるとして、タンクやポリタンクは、まだ使えるようです。 |
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フィルム現像の話ばかりじゃなくて、引き伸ばしとか、印画紙現像はどうしたって? そのうちの話題にしますよ。![]() 高校時代に始めてリバーサルを使ったのが富士フィルムだった。クラブでのスライド映写の目的もあったので、マウントにしています。この時代の仕様はこれひとつしか残っていません。 高校時代は、エクタクロームとコダクロームに興味はしめしていませんね。金銭的な余裕の問題と思います。高校時代は、カラーの撮影は、ネガとリバーサル含めて、一桁だったと思います。 |
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![]() コダクロームには思い出も多いので、「フィルムの巻」で、そのうちいろいろ書きます。誰かの歌じゃないけれど、ほんとに「ぼくのコダクローム」だったのです。 |
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![]() それから、エクタクロームは1970年代、米沢から現像に出すと、仙台で現像されていたのですが、大学当時ちょうど、仙台地震の時に現像に出したら、仙台で現像できなかったので、札幌で現像したそうです。横浜で現像しないところが面白い。特に仕上がりは、仙台と違いは見つけられませんでした。あたりまえですが。 |
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![]() 思うに、当時の比は、写真の仕上がりもさることながら、実は、モノクロに関してはプロセスを楽しんでいたところがありました。そのうち、印画紙の昔話などしたいと思います。今は、モノクロにもどる気持ちはないので、昔話だけにとどめておきます。 カラーも10年間ほどブランクがありました。こどもが生まれたので、こどもの記録写真をネガカラーで撮っていたので、知識も何もいらない写真でした。比のカメラは記録を残すカメラじゃなかったので、デート機能がなかったので、「いつ撮ったかわからない」とよくおこられました。 そのブランクで、カメラも知識も過去のものとなってしまったていたのですが、最近カメラのいたずらを始めたので、現役復帰しつつあります。こんどは、おじさんの趣味ということでやってきます。 今コダクロームの現像を、米沢でたのむと、10日以上かかります。デジタルカメラにはない、仕上がりを待つ楽しみを味わっています。でも、やっぱり、早く仕上がるほうがいいよね。 |
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