横川ふたたび | 横川の切石の堰堤 |
松川の支流はいくつかあります。川と名前がついたものは、佐沢川、渋川、横川、間々川。 4月はじめに挑戦して果たせなかった、横川上流の切石の堰堤を見に行きました。 |
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横川橋。 4月はじめに来たときには、まだ雪がのこっていたし、木は、葉が出ていませんでした。青葉の季節です。ハルゼミも鳴いています。 この上に、切石の堰堤があると思うと、ドキドキする。 (2001.5.19 E950) |
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4月はじめには、雪の上をカンジキで歩いたため、だいぶ下のほうで、力尽きたが、今回はすいすいだ。沢が二つに分かれる直前に、大きな不思議な堰堤があった。いったいなんのために、また作るのだ。どのようなメリットがあるというのだ。アメリカでは、ダムを壊し始めていると言うのに。堰堤で治水ができると言うのは、いったい誰が、証明したのでしょう。10年もたずに、埋まります。 (2001.5.19 E950) |
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沢が二つに分かれる。東側が、水量も長さも勝るので、本流ということだろうと思いますが、地形図上では、長倉沢と記載されています。まず一つ目の、堰堤は、壊れていました。ざんねん。 それも、結構こなごなに壊れています。 (2001.5.19 E950) |
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二つ目は、わずかに壊れていますが、ほぼ、原型をとどめていると言えます。両岸に長く伸びた切石を積んだ護岸は独特です。きれいに積んだものです。 (2001.5.19 E950) |
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三つ目というべきか、三つと四つ目というべきか、壊れた堰堤のすぐ上に、また作ったという、状況で作ってあります。これは、完璧な状態です。感動の瞬間です。 (2001.5.19 E950) |
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残っていた銘板。 長倉澤 第壹(壱の別字)号?壹堰堤 昭和八年十月竣工 と読める。 もう、70年以上も壊れずに、のこっていたことになる。石を積み上げただけで、この耐久性はたいしたもんだ。 この切石の堰堤はなぜ作られたか、地元の人に聞くと、治水のためだという。昔、大平の開拓地があったためかもしれない。 この銘板のある堰堤は、のこって欲しいと感じた。貴重な歴史の証人です。 (2001.5.19 E950) |
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もうひとつ上は、結構壊れていた。残念。銘板も残っていない。 (2001.5.19 E950) |
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もう少し上流にいっても、また壊れていました。これも残念。 70年以上は、なかなか持たないのか。 (2001.5.19 E950) |
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たがねの痕発見。川にある石を、切り出して使ったのですね。重機も無い時代に、手作業でやったのでしょう。先人の努力がしのばれます。 今回は、ここまでで終了。もっと上にもあるらしい。また、次の機会に上を挑戦してみましょう。 今回は、マムシもでたし、なかなかでしたよ。 (2001.5.19 E950) |
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横川ふたたび、5月末版 (2001.5.22) (2001.5.30一部修正) |