木場川2 鬼面川から水をもらう

川の概要地図にまだ描いていないので、わかりにくいと思いますが、米沢の西部を流れる人が掘った川です。木場のあった、木場町を流れる川です。人によっては、この川で、昔材木を流したというのですが、今見ると、そのような規模には見えません。

米坂線、西米沢駅付近より西の上流方向を見る。
今回は、この地点より、鬼面川の分水地点へ上流に向かって見ていきます。
水量も少なく、街中の木場川と変わらぬ姿です。
(2001.7.15 E950)
上の写真より、約200m上流。
鬼面川で取り入れられた水は、ここで3方向に別れる。一番左に、水門が無く流れて行くのが木場川。水門から先は、名も無い流れとなる。農業用水に利用されるのだろうか。その先には、西部地区の果樹地帯が広がっている。
(2001.7.15 E950)
銘板のある橋は少ないのですが、その中でもこんな名前の橋がありました。「直江兼続橋」。国道121号線、喜多方に向かう道路、それも米坂線を越える、越線橋のすぐ近くに、新しく作られた。この橋は、長さより、幅が広い橋だ。たぶん、米沢市民でも、この場所に、こんな橋があると、認識している人は少ないと思われる。
(2001.7.15 E950)
「直江兼続橋」より西で、田んぼと、名産のりんごの畑の中を流れる。これは、南西方向の、なでら山、それも、御成山のジャンプ台方向を眺める。
(2001.7.15 E950)
貴重な「川ガキ」発見。でも、お父さんと来ていた。
「メダカだ」というので、あわてて行ってみたが、ウグイ(米沢では「ハヨ」と呼ぶ)の稚魚だった。ほかに、ドジョウも捕まえていた。お父さんが言うには、シマドジョウもいるという。
「米沢の川」で、探しているのは、この光景です。昔は、川ガキが多くて、夏の遊びは、虫捕りと川遊びだったものです。
この川ガキに感謝。
(2001.7.15 E950)
もう一ヶ所、よどんでいるところがありました。ウグイとタニシが見えました。ハグロトンボも飛んでいました。遊びたくなります。この場所の意味は不明ですが、遊び場のつもりじゃないですよね。
(2001.7.15 E950)
木場川の記念碑があります。その中で、石に彫られた、昔の木流しの絵も3個あります。
その記念碑によると、1610年、つまり、関が原の10年後ですね、直江兼続によって作られたと記されています。堀立川と言い、直江公は、かなりの土木工事を行っています。
(2001.7.15 E950)
やっと水門が見えました。鬼面川からの分水地点です。
(2001.7.15 E950)
ここが分水の水門。その鬼面川側になります。しかし、この川がすでに、農業用水路であり、鬼面川の流れではありません。
この地点に、木場川の記載はありません。東北農政局としては、たんに、農業用水の水路への取り入れ用水門とだけ考えていて、400年近くの歴史については、考えていないようです。ざんねん。
後ろに広がるのは、米沢の味ABCの、A、アップルの果樹地帯です。いわゆる、「舘山りんご」です
(2001.7.15 E950)
上の写真の水門の100mぐらい上流です。このちょうど横で、トンネルをくぐった水が流れ出します。鬼面川はこの左の林の向こうを流れて行きます。
(2001.7.15 E950)
これはもう、木場川ではありません。鬼面川頭首工です。ここから農業用水が取り入れられて、木場川に分水されます。
鬼面川から分水された水は、掘立川に流れて行きます。
その、鬼面川本流は、下流で、松川と合流するわけです。
(2001.7.15 E950)
木場川2。鬼面川から水をもらう。
(2001.7.25)


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