タキタローツアーをふりかえって


第5話 1996年 「大雪で命がけだ」の巻

前年の1995年は、新規一転、いままで行ったことの無い人をさそってのツアーでした。そのツアー参加者の口コミがあって、1996年は、参加希望者が多くなりました。

いつものように出発は6月2週目あたりを想定して電子メールを出しました。第一回目からいっしょに行っているカズノリくんも、彼の職場の人を連れてくるということで、大勢様参加の面白いツアーになりそうでした。

参加予定者は、1999年に参加して、爆釣経験するはずの「カッシーくん」、「カズ」「O氏」など。そして、カズノリくんが、職場の同僚を連れてくると言うことになりました。
ところが、スケジュールがうまく合わず、6月の第二土日に、「今回はがんばるぞ」と、意気込んでいるガズノリくんが、行くことになり。われわれのパーティーは、次の週という、2度に分けることにしました。

準備ばんたん整えたカズノリくんは、同僚と土曜日の早朝、いつものように出発しました。
その夜、来るはずの無い電話が来ました。カズノリくんからの電話でした。大雪のため、登山道がなく、雪渓だらけで、2時間歩いてみたが、一つ目のつり橋にも到達できず、このままでは、山小屋に行けそうにないと判断して、登山をあきらめ、O川で釣りをした。そして、O集落のキャンプ場にいるというのです。来週になっても、雪は融けないだろうとの、話でした。

あとから、聞いた話ですが、O川で、まともに釣りをしたのは、はじめてだったのですが、けっこう良い釣りをしたということで、それなりには楽しんだようでした。私は、いまだにO川でまともに釣りをした経験がありません。川で釣りをするなら、O川にいかなくても近くに良い川がありましたので。

ツアーの延期をすることにしました。
だが、延期といっても、1週間や2週間の延期では雪は融けそうにもありません。話では、予想もできないほどの残雪というのです。そのため、予定してた日程で、タキタローツアーではなく、近くのSダム上流でキャンプをしながらの釣りということに変更しました。改めて7月にタキタローツアーをするということで。

Sダム上流の釣りとキャンプを簡単に報告すれば、そこそ釣れて楽しんだというところです。
渓流初挑戦のカッシーくんは、バスの経験しかないため、なんと、スピニングリールが使えませんでした。急遽スピニングリールの使い方を教えたのですが、面白い使い方をしました。右手巻き上げしか使ったことが無いため、スピニングリールのハンドルを右手巻き上げに付け替えて、左手でキャスティングして、そのまま右手で巻き上げるのです。彼の利き腕は右ですから、本来は右手でキャスティングするほうが、コントロールは効くはずですが、利き腕じゃない、左手で器用にキャスティングして、ちゃんと大物のイワナを上げました。何かひとつの釣りをマスターしていると、応用がきくのですね。感心しました。
釣れたイワナで楽しい宴会もしたし、まずまずのキャンプとなりました。

Sダム上流には、そのあと何度か、会社の同僚と行きましたが、2000年のツアーで、大物を釣り上げた、O氏をして、「キャスティングして、巻くだけで釣れる」と言わしめた場所となりました。本当は、渓流のルアーは初心者では、簡単に釣れないのだがなあ。
タキタローツアー本来での日程は、7月第二土日ということにしました。十年前あたりは、7月に登っていて、そのころは確かに最近よりも雪が多かったのです。十年前の日程でばっちりであろうと予想しました。

しかし、日程を変更したために、参加できなくなった人もいました。結局、私を含めて、3名となり、前回1995年のツアーと同じメンバーになってしまいました。
3人のパーティーでも、とりあえず隊長。
O氏 タキタローツアー2度目。前回はそこそこ釣れました。
カズ タキタローツアー2度目の挑戦。
釣れました
1995年は、季節の読みを間違ったため、あまり釣れず、残念な結果で、参加のみなさまには申し訳無いことをしたのですが、1996年は、なんとか釣れました。それが救いです。
実は、この年のちょっとした事件で、そのあとのツアーに大きな影響を与えるものがあったのですが、それはまた、そのうち回をあらためて説明したいと思います。


それでは、いつもの報告書を見てみましょう。一部、つごうにより、隠したい情報はモザイクがかかっていることを、ご承知おきください。参加者にのみ、無修正版を配布しております。
なお、なかで、「実物大」と書いてあるのは、A4サイズにしたときの「実物大」であることをご理解ください。これは、A4サイズの紙で、配布した、報告書をスキャナーで取り込んだものですから。









なぜ、報告書をへたなイラスト付きにしたのか
この年、1996年から報告書を描きはじめました。
ある登山サークルの山行の記録で、手書きのきれいなものがあることを知りました。時代はPCをはじめとして、デジタル情報が主となって来ていました。そのなかで、あえて古い形式での記録があってもいいのではないかと考えました。私の仕事はまったくのデジタル回路です。もちろん仕事の上では、報告書もレターもワープロソフトで作ります。社内には電子メールがすでに導入されていて、日々電子メールの送受信数が増えていて、将来はこれだなという予感がしました。そのなかで、あえてアナログな、手書きのへたくそ報告書にこだわりたくなったのです。
もうひとつ、理由がありました。この年は、記録に残る大雪の年で、つり橋のワイヤーが切れたというのは、聞いたことが無い、大事件でしたが、こんなときに限って、カメラを持っていっていません。話をするだけより、なにかビジュアルなもので、報告すれば、わかりやすく伝わるのではないかと思いました。
この考えは結構当たっていて、このあと、「ツアーに参加していないけれど、なんとかコピーをもらえないか」という話が結構来ていて、ホームページでの公開となりました。

というわけで、2000年から、さかのぼってきた、「タキタローツアーをふりかえって」は、私のツアーの「第三の時代」とも言うべき5年間のシリーズを終了します。
1995年以前は、記録に残そうと言う気持ちがなかったため、情報がほとんど無く、記憶にあることと、たまに持っていったカメラの、少ないカットから搾り出すしかないようです。1年で1回分とはいかないかもしれませんが、「第二の時代」と、「第一の時代」と言うべきシリーズを計画しています。


雪についてですが、確かに1980年代は、7月に登っても、残雪が結構ありましたし、この米沢での冬の雪の量も結構ありました。だんだんと、なんだか不思議なことに、地球温暖なのか、積雪が少なくなって、6月に登らないと、水温が上昇して、ヒメマスが釣れないという現象もありました。ところが、1996年は、すさまじい豪雪でした。2つのつり橋は、その何年か前に、コンクリートの基礎に、太い鉄の金具とワイアーとなり、強化されていたにもかかわらず、簡単に切れてしまいました。2000年の豪雪でも、A村の商工観光課に電話したときも、真っ先に聞いたのは、「つり橋は、無事ですか」でした。係の方も、「今年の雪は、1996年の雪より多いそうです」と、比較対象にするほど、記録に残る大雪でした。


若い頃は、みなさんもそうだと思いますが、そのときの遊びに夢中で、あえて記録に残すことなど考えていなかったと思います。インターネットという、簡単な自己表現の場は、過去にはありませんでした。本として、自費出版をするぐらいしか方法はなかったと思います。20年ちかくも続けたO池への釣行は、何かの形で残していきたいと思っていますが、もはや、記録も少なく、完全な形で残すことは不可能ですが、なんとか、資料をあさったり、当時の同行者から、思い出を聞いたりして第一回の、たしか1982年だったと思いますが、釣行まで、さかのぼって行きたいと思います。

(2001.1.3)



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